第八話 『夜の道』
眠りの森を抜けた頃、世界は夜の始まりをむかえていた。空には無数の星が輝き、平原の彼方にあるだろう大聖殿の姿は暗闇に飲まれたように覆い隠されている。
そういえば、この世界での夜は境界の浸食を受けやすいためかなり危険だったな。神霊であるイサオがいるから大丈夫かもしれないけど、警戒するにこしたことはない。
目印がほとんどない夜の平原でも、シオンは迷いなく進んでいった。
「本当に、この方向であってるのか?」
「安心しな。星空を見て方向はちゃんと確認してる」
なるほど、たいしたもんだ、と素直に感心する。
しかしそれから間もなくして、シオンは立ち止まった。
「見ろよ。どうやらこっから先は簡単に進めそうにねえぞ」
シオンは丘の上を指さす。よく見ると、丘の上を取り囲むようにかがり火らしき明かりが灯っていた。大聖殿の厳戒態勢はまだ続いているらしい。
「さて、どうしたもんかねぇ。この様子じゃ、あたしが通った抜け道もおさえられてるだろうし。かといっていつまでもここでぐずぐずしてたら境界に食われちまうし……」
「なら、その手を使うしかないだろう」
イサオは右手を前へのばし、手のひらを広げる。
「その手って、どういう手だ?」
「境界を通って大聖殿に入り込むんだ。SFでいうワープみたいな方法だな」
話している間に、イサオの手を中心に空間が歪み、やがて人が通れる程度の大きさの黒い穴が発生した。
そういえば以前、神官長が突然現れたことがあったな。その時も境界を通って来たのだろうか。
「よし。行くぞ颯太」
「ああ。シオンも早く」
シオンに声をかける。すると彼女は恐怖に上ずった声で言った。
「ちょ、お前ら、正気かよ……。マジで境界に入るのか?」
「神霊である俺が一緒なら大丈夫だ。ただし二人とも、境界を出るまでは絶対に俺の手を離すなよ。下手をすれば境界に閉じ込められてしまうからな」
わかった、とおれはイサオの手を握る。シオンもしぶしぶイサオの手を握った。
「じゃあ、行くぞ」
イサオはおれ達の手をしっかりと握ったまま、境界の入口へ進む。あと一歩で入り口に入り込むというところまで来たとき、入り口の黒い穴は獲物を飲みこむ獣のように一気に広がり、こちらへ迫って、おれ達を飲みこんだ。
◆ ◆ ◆
境界の中はどこまでもどこまでも真っ暗で、自分の体以外は何も見えなかった。
けれど、イサオの手の感覚はしっかりと感じる。
カイやクウと同じ、熱いと感じるほどに高い体温の手だ。
その手はおれを引っ張るように動き、それに合わせて一歩、一歩と進む。地面の上を歩いているという感覚はないけど、前へ進んでいるという感覚はあった。
そういえば、ここは別世界へ転世する時に通った空間とよく似ている。
真っ暗か真っ白かのちがいくらいだろうか。
あの空間も、境界に分類されるのだろうか。
やがてイサオの手は動くのをやめ、彼の声が聞こえた。
◆ ◆ ◆
「もう大丈夫だ」
暗闇は消え、松明の明かりに照らされた石造りの通路と、その両脇に並ぶ牢獄の列が見えた。
ここはたしか、大聖殿の地下牢だ。どうやら無事に侵入できたらしい。
そう安心した時、そばにいたシオンが苦し気にひざをついた。
「シオン、大丈夫か?」
「……わりぃ、少し、休ませてくれねえか」
「普通の人間が境界を通ったんだ。負荷がかかるのは当然だ。幸いここなら滅多に人も」
そうイサオが言った直後、背後から大きな物音が聞こえた。
振り向くと、そこには足元に槍を落とし、ガクガクと震えている憲兵が立っていた。
うん、まあ、厳戒態勢だから見張りの一人や二人はいるだろうさ。
憲兵は恐怖に顔をひきつらせ、震えた声を出す。
「お、お、お前は……、たしか、死んだ、はずじゃ……」
どこか聞き覚えのある声だということに気づく。よく見ると、彼はいつもの憲兵の兄ちゃんだった。
「な、なぜ、お前がここに? それに、そこにいる男は、まさか、あの、前の、し、しし」
「俺を知ってるやつがまだいたとはな。なら話は早い。何も見なかったことにして、俺達を見逃せ。そうすれば命までは取らない」
「頼むよ。おれ達を行かせてくれ。おれはカイとクウを助けたいんだ。それにこのままだと、エポラッテのクソ野郎が都の支配者になっちまう。これ以上あいつをのさばらせるわけにはいかないんだ」
「たしかに、あのエポラッテとかいう生き物はなんとも可愛らしい姿をしているが、どうにも信用できない。それにエポラッテは、ルシカ様を供物に捧げ儀式を完了させようとしているし……」
「供物って、どういうことだ?」
「私も詳しいことは知らないが、ルシカ様が転世者の監視を怠ったために儀式が中断されることになったとかで、その責任を取り、自身を儀式のための供物とすることになったそうだ」
「まさかそれもエポラッテが指示したことじゃないだろうな」
「エポラッテの指示だ。罪を償わせることでけがれた魂を浄化し、救済することができるとか言ってたそうだ」
「あの屑……。でもどうして供物なんてのが必要なんだ。イサオは何か知ってるか?」
「おそらく、ルシカの命を代償にして神霊の自我を消去する力を引き出そうとしているんだろう。自我が消えれば、颯太と神霊を結ぶ絆も消える。結界の核に取り込ませる準備が整うというわけだ」
「なら、急がないとな。助ける相手も一人増えたみたいだし」
イサオはうなずく。シオンも立ち上がり、だなとうなずいた。
「お前達は、ルシカ様も助けるのか?」
「ああ。なんだかんだで世話になったし、供物云々ってのもおれのせいだしな。ルシカもカイもクウもみんな助ける。そのためにおれは戻って来たんだ」
「そうか。なら、私にはお前達を止める理由がない。行ってくれ。幸運を祈ってる」
「ああ。まかせとけ」
憲兵の兄ちゃんが道を開ける。おれ達は世界樹の間を目指して走った。




