第七話 『宵の空』
話を終えたイサオは、カッターシャツのボタンを外し、胸元を見せた。
彼の胸には、輝きを失った世界樹の紋様がはっきりと残っていた。
「彼女は俺を助けようとしてくれた。だから俺達は絆を結び合えたんだ。けれど彼女は、ずっと眠り続けている。まるで心を失ったみたいに」
イサオは胸の紋様に手を当て、目を閉じる。
「ラトナ様はいろんなことを教えてくれた。けれど、どうすれば彼女が目覚めるのかは教えてくれなかった。それは教えてはいけないことらしい。だから俺は探した。彼女が目覚める方法を」
「だから、歌を歌ってくれって言ったのか」
「ウタが鍵になると思ったんだ。でも、結果はこの通りだ。もしかしたら彼女の心は、あの都の世界樹の核に囚われてしまったのかもしれない。俺が考えられる可能性は、もうそれだけだ」
だから、とイサオはおれの顔を見る。
「俺も一緒に行く。颯太、お前は自分の神霊達を助けるため、あの都へ行くんだろう。俺もそこへ行かなければならない。俺はお前に力を貸す。だからお前も、俺に力を貸してくれ」
「正直に言って、イサオが来てくれるなら頼もしい限りだ。でも、あの子を一人でここに残しても大丈夫なのか?」
「心配はいらない。この聖域には彼女を脅かすものは存在しないんだ。初めてラトナ様に会った時に教えてもらったから、間違いないだろう」
「なら安心だ。あいつはなんだかんだで信用できる。ただ、今度はイサオが心配だ。無事にまたここへ帰って来れるかわからないぞ。それでも行くのか?」
「俺が颯太に同じことを聞いたら、なんて答えるんだ」
イサオは自信に満ちた笑みを浮かべる。そうだな。聞くまでもないことだ。
「さて、そろそろ行こうか。手遅れになっては元も子もないからな」
おれとイサオは貯水池の水面を見下ろすように並んで立つ。
静止した水面に、おれ達の虚像が鮮明に映し出された。
「前と同じ要領だ。目を閉じて、あの世界のことを思い浮かべるんだ」
言われた通りに目を閉じる。ほどなくしてイサオの歌声が聞こえてきた。彼の歌声は、以前よりもずっと強く心の響きを感じさせた。
その響きを心の奥底に感じた時、眠りに落ちるように体の感覚が崩れ、意識が形を失っていった。
それでも彼の歌声は、消えることなく響き続けた。
どうしてこの歌が、彼女と世界を結ぶ絆になったのか、わかった気がする。
おれにとっての絵と同じなんだ。
この歌にも、いや、きっと歌うことに、彼女は自分の生きる意味を見出していたんだ。
生きたいという意思が、自分を生きるべき場所につなぎとめ、新たな世界への道を拓く力になるんだ。
◇ ◇ ◇
目を覚まして最初に見えたのは、夕闇にのまれていく暗い森の姿だった。
どうやら前回と同じように、眠りの森の神殿跡地に来たらしい。おれとイサオは石造りの舞台の上に立っていて、背後には世界樹を模した石像がそびえ立っていた。
「……懐かしい、という気がしないでもないな」
イサオは空を見上げ、静かに息を吐く。深い夕闇に染められた宵の空にはすでにいくつかの星が輝いていた。次の太陽が昇るまで、あまり時間はない。
先を急ごう、とイサオに声をかけようとした時、どこかから足音が聞こえてきた。
まさか、おれ達がここに来ることを予測して、待ち伏せされていたのか。
足音は迷うことなくこちらに近づいてくる。まずい、と思ったとき、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ソウタ……? お前、本当にソウタなのか?」
それはシオンの声だった。見ると、最初に出会った時と同じような身軽な服装のシオンが立っていた。
「シオン! 無事だったのか。よかった。でも、どうしてここに?」
「あたしにもよくわからねえんだ。正午の鐘が鳴った時、地下牢に妙な服を着た栗毛の女が突然現れてさ、すぐにここを出て眠りの森の神殿跡へ行けって言ったんだ。そこでソウタが来るのを待てってさ。それだけ言うと目の前でふっと消えちまった。これはやばいなって思って、言われた通りにしたんだ」
シオンの話を聞き、あらためてラトナに感謝した。彼女はおれを信じてくれたんだ。
「なあ、ソウタ。何がどうなってるんだ?」
「わかってることは全部話す。落ち着いて聞いてくれ」
シオンに一通りの事情を話す。
儀式のこと。
カイとクウのこと。
次の太陽が昇るまでに、二人を助けなければいけないこと。
「どうりで警備がやたら厳重だったわけだ。そういうことなら、あたしも協力する。クウはあたしの友達だからな。ところで、そいつは誰だ?」
シオンはイサオを指さす。
「彼はイサオ。おれをここへ連れてきてくれた協力者だ」
「イサオねぇ、なんかどっかで見たことあるような……、あっ! お前たしか、前の神霊じゃねえか! 消滅したんじゃなかったのかよ!」
するとイサオはため息をつき、シオンと向きあった。
「君はたしかルシカの友人だったな。俺のことをまだ覚えていたとは」
「たりめえだ、忘れるわけねえ。あんたが消えちまったせいで、あたしがどんだけ散々な目にあったと思ってんだ!」
「まあまあシオン、落ち着いて。今は一刻も早く二人を助けたいんだ。言いたいことはあるだろうけど、今はなんとかおさえてくれ。頼む」
シオンは忌々し気に舌打ちをする。
「……しゃあねえな。で、どうやって二人を助けるんだ。なんか考えはあるのか」
「とりあえず世界樹の間へ行く。そこから先はそこで考える」
「なんも考えてねえのか」
「だが颯太の意見は間違ってはいない。とにかく世界樹の間へ行かなければ話にならないからな」
「そういうことだ。大丈夫、なんとかなるさ。それにおれには、これがある」
ラトナから渡されたノートをかかげる。
「それって、クウが絵を描くのに使ってたノートか。そんなのが何の役に立つんだ?」
「ただのノートじゃない。これはおれとカイ、クウの絆の証。いわば神器なのさ」
「なんだそりゃ。ま、いいさ。とにかくまずはこの森を出るぞ。ついてきな」
シオンは森の外へ走り出す。おれとイサオも彼女の後に続いて走った。




