第四話 『資格ある者へ』
「まだ完全に結界に取り込まれてはおらん。自我も人格も記憶も失われてない。せやからアンタの両手には紋様が残っとるんや」
ラトナはため息をつき、小さく首を振る。
「間におうたといえば間におうたんや。あんたはあの子らと絆を結べた。両手の紋様はその証や。あとはあの子ら自身を結び付けて、完全な神霊に成長させればめでたしめでたしで終わってん。けどその前にあんたはあの世界で死んでしもた。せやから中途半端な形で終わったんや。今頃神官長はあんたらの絆を消滅させるために、あの子らの自我を消すための儀式をはじめとるやろ。それが済んだらあの子らは結界に取り込まれて、ほんまにおしまいや」
「もう一度、おれをあの世界へ転世させてくれ」
その言葉に、迷いはなかった。
「頼む。二人を、助けたいんだ」
「転世はできる。せやけど、前と同じく代償は必要やで。この世界との絆を、生きたいっちゅう意思を失った状態であの世界へ行っても、なんにもならん。無駄死にするだけやぞ」
ただし、とラトナは続ける。
「ある条件を満たせば、代償なしであの世界へ行くことは可能や」
「本当か?」
「あんたは聖域でイっくんが歌った歌を歌えばあの世界へ行けるて思たやろ。それは正解やし、間違いでもあるんや。その歌にはイっくんとあの世界を結ぶ絆が存在しとる。せやけど、あんたとその歌にはない。あんたと歌が結びついとる別世界は、今んとこ聖域だけや。せやからあんたは聖域に行くことはできるし、その資格もある。つまり、まずはあんたが聖域に行って、ほんでそこでイっくんに協力してもろて聖域からあの世界へ行ったらええっちゅうことや」
「でも、聖域へ行くにしたって転世の代償は必要なんじゃないのか?」
「それは必要ない。聖域はどんな世界ともつながることができる特別な領域やからな。聖域の『聖域』たる所以や。ただし、普通の人間では聖域で活動できん。これも聖域たる所以やな。今のあんたは聖域へ行くことはできる。でも、聖域で動くことはできん。すぐに体が参ってしまうからな。クウが倒れたんは覚えとるやろ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「さっきも言うたやろが。ある条件を満たせばええって。その条件はな」
ラトナは両手を広げ、手の甲をおれに向ける。
「あんたが『転世神』の力を授かることや」
いつだったか、ラトナが言った言葉が、よみがえる。
転世神になれる資格のある者に、双方の合意のもと転世の力を授ける。
「異なる世界におる相手と絆を結ぶ。これが転世神の力を授かるための資格なんや」
自分の両手の甲を見る。紅く輝く紋様と、蒼く輝く紋様が、はっきりと見えた。
おれには、その資格がある。
「ただし、注意点が二つあるで。一つは、転世神の力をあんたの体に直接授けることや。諸々の調整は力を授かることでどないでもなるけど、別の世界で死んでしもたら今度こそほんまに死んでまう」
「それは、覚悟がいるな」
「びびったか?」
「むしろ望むところだ。なにしろおれは、一度死んだからな」
ラトナは口元にかすかな笑みを浮かべる。
「ほんでもう一つは、今の段階であんたに授けられる力は一時的で限定的なもんになることや。本来なら絆を結び合ったもん同士がそろっとかな力を授けられん。せやけど今ここにおるんはあんただけやから、不完全な力しか授けられんのや。もって半日程度、長くても次の朝日が昇る頃には力は失われる。そうなる前に自分はあんたをこの世界に引き戻さなあかんから、それまでにあの子らを助けなあかんで」
「タイムリミットがあるってことだな」
「もっかい確認するで。ほんまにええんやな?」
「時間が惜しい。早くしてくれ」
「……わかった。ほな、これ持ってけ。あんたに渡したろ思て持ってきたんや」
ラトナは通学鞄からノートを取り出す。それは、カイとクウが絵を描くのに使っていたノートだった。
ノートを受け取り、ページをめくる。二人の絵はエポラッテに上書きされ台無しになっていた。
「まだ白紙のページが残ってるのに、あの野郎……」
「またあの子らに描いてもろたらええやないか。それと、あんたのバッグは自分が預かっといたる。こっちの世界に戻って来た時に、また使うやろ」
「どうだろうな。でもまあ、頼む」
ノートを閉じ、キャンバスバッグをラトナに渡す。
そうだ。おれは二人を助けて、そしてこの世界にもどらなくちゃいけない。
二つの世界には、おれが果たさなくちゃいけない役割があるのだから。
「最後にもう一度聞くで。ほんまにええんやな?」
「ああ。もちろんだ」
よっしゃ、とラトナはうなずき、池に向かって歩き出す。おれもその後に続いた。ラトナは当然のように池の水面を歩き、おれもまた彼女に続く。いつかと同じように。
池の真ん中あたりまで来たところでラトナは立ち止まり、おれと向きあった。
「これからあんたに『転世神の力』を授ける。目を閉じて、聖域におるイっくんのことを思い浮かべるんや。そしたら聖域へつながる道を進めるようになる」
言われた通り、目を閉じて、聖域にいるあの少年のことを思い浮かべる。
はっきりとイメージが固まった時、何かが頬にふれた。
たぶん、ラトナの指だ。
彼女はおれの両頬にふれ、額を頭にくっつける。
「がんばりや。颯太なら絶対、成し遂げられるで」
それは心に希望の明かりを灯すような、優しくて暖かくて力強い声だった。
ラトナの声が深く響き、体に、心に広がった時、果てしない水底へ沈むようにおれは落ちていった。




