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いつか、おなじ空をともに  作者: 青山 樹
第五章 『絆』
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第二話 『代償』

 おそらく、物心がついた頃からおれは絵を描いていた。


      ◇            ◇            ◇


 はっきりと記憶しているのは、幼稚園に入りたての頃のことだ。親父が自由帳とクレヨンを買ってきてくれた。おれはさっそく絵を描いた。親父と、母親の絵だ。二人はその絵を見てとても喜んでくれた。

 おれはそれがうれしかった。

 うれしくて、誇らしくて、だからたくさん絵を描き続けた。


 幼稚園にいた頃、おれは他の誰よりも絵がうまかった。

 まわりの同級生も、先生も、おれが描いた絵をほめてくれた。

 自信を持ったおれは、もっともっとうまくなろうと絵を描き続けた。


 小学生の頃に、おれの絵は確かな評価を受けるようになった。

 地域の絵画コンクールでは何度も入賞し、地元のお祭りの宣伝ポスターや警察署の広報ポスターにも採用されるようになった。終業式の全校集会では毎回のように表彰台に上がった。

 いつからか、おれは「画伯」のあだ名で呼ばれるようになった。勉強も運動もさっぱりだったおれにとって、絵を評価されることは自分の価値を認めてもらう唯一絶対の方法になっていた。

 だからおれは、この能力と才能を高めるために努力を重ねた。

 休日は森林公園に行って四季折々の風景を描き、図書館に通って古今東西の美術資料や画題になりそうな風景の写真集をあさった。作風の幅を広げるために漫画やアニメのイラストもたくさん描いた。


 絵を描いて、評価してもらうこと。

 それがおれの生きがいであり、生きる意味だった。


 中学生になると美術部に入部し、創部以来初となる快挙を次々と成し遂げた。

 一年生のうちに多くのコンクールで入賞を果たし、全国レベルの審査会にも手が届いて、おれの名前と華々しい功績を謳った垂れ幕が校舎に下げられた。それを見たおれは、自分は特別な人間なのだと一足早い中二病を発症した。


 そんなおれの中二病は、中学二年生の時に、それまでの栄光と共に終わった。


 二年生の一学期に転校生がやって来た。

 その人は去年の夏ごろから盛んにメディアで取り上げられるようになった、今大注目の中学生アーティストだった。百年に一人といわれる天才的な絵の才能の持ち主で、小学生の頃から個展を開き、画集も発売し、海外でも高評価という正真正銘の神童だった。

 おれもその人のことは知っている。

 自分とは圧倒的にちがうということも。完全に別世界の住人だということも。

 そんなやつが自分の学校に転校してくるなんて、天文学的な確率じゃないだろうか。隕石の直撃をくらって死ぬのと同じくらいかもしれない。


 実際、おれの日常は隕石の直撃をくらったかのごとく崩壊した。


 周囲の関心は完全にそちらへ向けられ、おれは見事に忘れられた。

 誰もが「そういえばお前みたいなのいたなぁ」という目をおれに向けた。「画伯」というあだ名はからかいのネタになった。校舎の垂れ幕は速やかに撤去された。神童様がいらっしゃるのだ、でしゃばるなこの無礼者が、というように。

 それはもう見事な手のひら返しだ。人間の心は、ここまであっさり変われるのかと驚愕した。

 今まで築き上げてきたものがすべて壊れた。

 自信も、誇りも、喜びも、生きる意味も。


 それでもおれは、あきらめたくなかった。


 絵を描くことをやめたら、おれには何の価値もない。だからおれは再起をはかった。転校生の衝撃から立ち直るべく、今まで以上に絵の練習に取り組んだ。部活を辞め、放課後になるとすぐ家に帰り、キャンバスバッグに画材を詰めて街に出て、日が暮れるまで黙々と絵を描き続けた。家に帰ってからも寝る間を惜しんで絵を描き続けた。


 いつか。いつか必ず見返してやる。

 その一心で、描き続けた。


 それから間もなくの、ゴールデンウィーク初日。

 画材を持って森林公園へ出かけようとした時のこと。

 両親はおれを呼び止めて、こう言った。


 もう、絵を描くのはやめて、勉強に専念しなさい。

 いつまでも遊んでるわけにはいかないだろう。


 その時、おれは思った。


 こんなことになるのなら、何もしなければよかった。

 こんな思いをするのなら、最初から何もしなければよかったんだ。

 自分に、生きている意味なんかない。


 そもそもの最初から、生まれてこなければよかったんだ。


      ◇            ◇            ◇


 キャンバスバッグをひざに乗せたまま、声を殺して泣き続けた。

 勝手にもほどがある。やめろって言ったくせに、こんな時に、こんなものを。

 でも、今なら、あの時の二人の気持ちがわかる気がする。

 二人はわかっていたんだ。

 おれの中で絵を描くことの喜びが、苦しみに変わってしまったことを。

 生きることの喜びが、逆のものになってしまったことを。

 だから、止めたかったんだ。

 そうだ。

 あの世界にいた時は、絵を描くことの意味をすっかり忘れていた。

 転世の代償は、そういうことだったのか。わかってしまえば、この上なく単純明快だった。

 

 自分と世界を結ぶ絆の正体は、この世界で生きたいと思う意思だったんだ。


 そんな単純なことがわからなかったから。

 わかろうとしなかったから。

 カイとクウを救えなかった。


 ちくしょう。


 おれは本当に馬鹿だ。

 救いようのない大馬鹿野郎だ。


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