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いつか、おなじ空をともに  作者: 青山 樹
第五章 『絆』
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第一話 『正午の目覚め』

 目を開けて最初に見えたのは、清潔な白い天井だった。


「ああ、よかった。目を覚ましたんだね」


 人の声が聞こえた。見ると、白衣を着た小太りの男性が立っていた。その顔には暖かな微笑みが浮かんでいて、なんというか、福の神的な印象を感じさせた。


「神、様……?」


「あっはっは。そんなたいそれたものじゃないよ。君と同じ人間だ。いやしかし、突然うなされ始めたと聞いたから何事かと思ったけど、むしろ快方に向かってくれて良かったよ」


「快方? あの、ここは……」


「ここは市民病院の病室で、私は医者だ。君は一週間ほど前に森林公園で倒れているところを発見されたんだよ。それから今までずっと意識不明の状態だったんだ。学校の制服を着ていたから身元はすぐに特定できたけど、意識不明の原因はわからなくて、手のつけようがなかったんだよ」


 医者の説明を整理しながら、まわりの様子を見る。ここは手狭な個人用の病室で、おれが横になっているベッドのそばには小さなタンスが置いてあり、その隣にはハンガーラックがあった。ハンガーラックにはおれの高校の制服がかけてある。


 どうやらおれは、もとの世界にもどってきたようだ。


「君の身に何があったのか、今はまだ無理に思い出さなくていい。でも、確認しておきたいことがあるんだ。君は自分のことを覚えているかな。君の名前を、君自身の口で、言ってくれないか?」


「おれは……、おれは、ソウタ。一橋、颯太です」


 覚えている。自分のことを。

 つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、嫌なこと、忘れたいことも、全部。


 あの世界のことも、全部覚えている。

 カイとクウのことも。

 あの世界で、おれが死んだことも。


 そうだ。おれは死んだんだ。

 なのにどうして、もとの世界に帰ってきたんだ?


「そう。君は一橋颯太君だ。自分のことがわかっていれば、まずは一安心だね」


 おれを励ますように、医者は優しい口調で言う。


「体調のほうはどうだい? もし問題がなければ一通りの検査と診察をしたいのだけど。大丈夫かい?」


「大丈夫です。お願いします」


 考えたところで答えなんか出てこない。今は流れに身を委ねよう。

 診察室へ向かう途中、医者は言った。


「そうだ。意識が戻ったことを君の御家族にも連絡しておかないとね」


 わかりました、と返事をしつつ心の中でため息をつく。

 我ながら勝手なもんだ。つい最近にもう一度会いたいとか言ってたくせに、いざとなると逃げだしたくなる。結局のところ、おれはおれのままで、何も変わっていないんだ。

 ふと、気になって手の甲を見る。

 変化らしきものは、なにも見えなかった。


 昼過ぎまでに検査は終わり、異常なしと診断された。もっとも、しばらくは経過をみなければいけないので通院することにはなるらしい。それでも今日中に退院しても大丈夫だと言われた。

 病室に戻り制服に着替える。ハンガーラックのそばには、昔よく使っていたキャンバスバックが置いてあった。

 転世する前にこんなものは持っていなかったはずだ。

 なのにどうしてここにあるんだろう。

 そう思ったとき、ドアが開いた。見ると、そこには父親と母親がいた。二人とも仕事の途中でここへ来たのか背広姿のままで、父親のほうは息を切らしている。よほど慌てて来たのだろう。

 父親は無言のままこちらに近づいてくる。

 やばい、と思った直後、父親の拳がおれの顔面をぶち抜いた。


「この大馬鹿者が! 人様に散々迷惑をかけて! 自分が何をしたか、わかってるのか!」


 しりもちをついたおれに、父親は容赦なく怒鳴り声を浴びせる。


「あなた、よして。ここは病院なのよ。これ以上恥をかかせないでちょうだい」


 母親が言う。おれには見向きもせずに。

 痛みが頭の奥までズキズキと響く。目の裏が熱くなって、涙がにじむ。


 ああ、そうかよ。

 結局はそういうことかよ。


「うるせえ! てめえらの恥なんか知るか! はっ、残念だったなあ、意識が戻ってよ。このままくたばってれば厄介者が消えてくれたのになぁ。失敗作を始末する手間だって省けたのによ!」


「お前はっ!」


 父親が胸ぐらをつかむ。騒ぎを聞きつけたのかさっきの医者と看護師がやってきて、おれと父親を引き離した。退院の手続きをするということで、父親と母親は看護師と一緒に病室から出て行った。


「いやはや、意識が戻ったとたんにこれとはねぇ。元気なのは何よりだけど、まずは落ち着こうか」


「おれは落ち着いてます。落ち着いてないのは親父のほうだ」


 そうかい、と医者は穏やかな微笑みを浮かべる。


「私は君の治療に関わったから、君のご両親とも何度かお話をしたことがあるんだ。だから君とご両親の間にいくつかのトラブルがあったことも知っている」


「……どうせあいつらのことだ。おれのこと、ろくでなしの失敗作のごみ屑だって言ってたんでしょ」


「君は、そうであってほしいと思うのかな?」


 おれは何も言えなかった。

 医者はキャンバスバッグをおれにわたす。バッグの中には、昔使っていた画材が入っていた。

 スケッチブック。

 鉛筆。

 色鉛筆。

 使い捨ての紙のパレット。

 水入れと何本かの絵筆。

 使いかけの絵の具。

 懐かしい匂いがした。しずかに心を震わすような、懐かしい匂いがした。


「ご両親から聞いたよ。君は、小さい頃からずっと、絵を描くのが好きだったそうだね」


「……でも、どうして、これがここに?」


「ごく稀にだけど、意識不明になった人がその人にとって大切な人の声を聞き続けたり、思い出深い歌や音楽を聴いたり、好きなにおいをかいだりすることで意識がもどることがあるんだ。君のご両親は毎日ここへ来て、君に絵筆や鉛筆を握らせて、目覚めることを信じて話しかけていたんだよ」


「そんな、そんなの、うそだ。だってさっきは……」


「人間はね、いつだって素直に心を動かせるわけじゃないんだ」


 知っている。よく知っている。

 だけど、どうにもならなかったんだ。


「さて、落ち着いたら早く家に帰りなさい。ご両親が君の帰りを待っているから」


 それじゃ、と医者は病室から出て行った。

 キャンバスバッグの中をもう一度見る。

 画材の数々を見ているうちに、次々と記憶が、思い出がよみがえり、様々な感情が胸を押し潰すようにこみ上げてきた。

 ひとつ、またひとつと、涙がこぼれ落ちる。

 そうだ。

 ずっとずっと昔から、おれは絵を描くことが大好きだったんだ。


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