第十二話 『小さな英雄』
いつの間にか眠っていたらしく、目を覚ました時にはすでに夜が明けていた。
眠っていた?
目を覚ました?
今の自分にとってそれが異常なことであるのに気づき、心臓が軋むように鼓動を打つ。
「う、ふ、ふ。お、そ、よ、うっ! こぉーの寝坊助さんっ!」
すぐそばからエポラッテの声が聞こえた。奴はおれの隣に座り、ノートを広げ鉛筆を握り、幼児が描くように自分の顔をページいっぱいに描いていた。しかもそのページは、クウが絵を描いたページだった。
奴はクウの絵を塗りつぶすように絵を描いていた。
「やめろ! 返せよこのクソ野郎が!」
エポラッテからノートを取り返す。
「エポポ! なんてことするんだい! せっかくおいらがカワイイ絵を描いてあげたのに」
「ふざけんな。そんなこと誰も求めちゃいねえんだよ。そうだろ、カイ」
寝台のほうを見る。しかしそこにカイの姿はなかった。クウの姿もない。
「なんで、なんでだよ。カイ、クウ、どこ行ったんだ、おい!」
「二人なら世界樹の間に連れてかれちゃったよぉ。なにしろこれから大切な儀式が始まるからねぇ。いやはや、大聖殿の外はもう厳戒態勢の真っただ中さ。憲兵や神官がずらーっとならんじゃってさ、おお、おっかないねえ」
「大切な、儀式? なんだよそれ。おれはそんなの、全然聞いてないぞ」
「そりゃそうさね。アンタが寝てる間に決まったんだから」
不安定な鼓動がどんどん早まっていく。
それを察したのか、エポラッテはにやりと笑った。
「カイがねぇ、アンタが起きないもんだからさぁ、えーん、えーんってみっともなく泣き喚いていたのさ。そしたら神官長が来てさ、こう、きりっとした感じで『時が、来てしまったか……』なーんてかっこつけちゃって、カイとプウを世界樹の間へ連れてっちゃったの。で、アンタはその間ずーとぐーすかぐーすか眠ってたってなわけさ」
「世界樹の間って、まさか!」
「あら。アンタ知ってるの? 神霊が結界の源にされるってこと。なーんだ。知ってたのかー。おいらはさ、そのことを教えてあげたくて、アンタに初めて会った日の次の日にここへ来たんだよぉ。じゃああれだね。知ってたんなら意味なかったね。ざーんねん、無念!」
いつもなら、おれは怒りのままにこの畜生を殴り倒していただろう。でも今はそんなことをしている場合じゃない。今は一刻も早く、カイとクウを助けに行かないと。
「あ、それと言っとくけどぉ、儀式の邪魔しちゃメっ! だよぉ? 儀式の様子は水鏡を通じて法石の水球に映し出されているからね、都の連中はみんな真剣に儀式の様子を見守って――」
これ以上聞く必要はない。おれは神霊の間を飛び出し、世界樹の間を目指して走った。
終わらせてたまるか。
こんな終わり方、あってたまるか。
おれはまだ生きている。可能性は残っている。
あきらめたくない。あきらめたくない。あきらめたくない。
カイ。クウ。
二人を、ここで、終わらせてたまるか。
心臓が破れそうなほどに痛い。内臓がぶちぶちと絞られるように痛い。息が苦しい。目の前がかすむ。
恐怖と緊張と混乱と絶望と、とにかく嫌なものが次から次へと湧き出てくる。
でも、そんなものにかまっている暇はない。
今は前だけを見て、走れ。
警備は大聖殿の外に集中しているというのは本当らしく、誰にも会わず世界樹の間に到着する。もちろん、そこには最も出会いたくない奴がいた。神官長だ。その隣にはサーベルを下げた議長もいる。
そして連中の奥に見える世界樹のすぐそばには、カイとクウがいた。二人は幹にもたれかかって眠っていた。その頭上には、結界の核となる光の玉が浮かんでいた。
「カイ! クウ!」
二人の名前を叫ぶ。しかしどちらも目を覚まさない。
「なぜ貴様がここにいる。見張りにあたらせたルシカはどうした」
神官長が言う。すると隣にいた議長が渋い顔をして言った。
「かまわないのか。今この場所は法石の水球を通じて都全体に映し出されているのだろう?」
「問題はない。鐘が鳴るまで声は届かないからな」
「そうか。なら……」
議長はサーベルを抜き、その切っ先をおれに向けた。
「小僧、そこから一歩たりとも動いてはならん。もし一歩でも動けば、即座にお前の首をはねる」
「なんだよ。今までとずいぶん態度がちがうじゃねえか」
「当然だ。じきに儀式が行われ、二体の神霊は結界の源となるべく取り込まれる。神霊の役目が終われば、お前には何の価値もない。強きにへつらい弱きをくじくのが、大人というものだ」
「ああ、そうかい!」
どのみち死ぬんだ。今更びびる理由はない。だからおれは走った。カイとクウのもとへ、全力で。
どうあがいてもおれ一人では勝ち目なんてない。なら、カイかクウの力を借りるしかない。今はまだ日が出ている。カイなら目覚めさせられるかもしれない。
「戯けがっ!」
議長は恐るべき速さで跳躍し、おれとの距離を一気に詰め、正確に首を狙い、切りかかってきた。奴の目と、サーベルの刀身を目にしたとき、おれは生まれて初めて本物の殺気を感じた。
こいつは本当におれを殺そうとしている。
「まだ殺すな」
神官長の言葉が飛ぶ。それが議長の判断を狂わせたのか、奴はわずかに狙いを外し、おれの足元の地面にサーベルを叩きつけた。またとない好機を逃すまいと、再び走り出す。
「カイ! クウ! 目を覚ませ!」
二人に届くと信じて、叫ぶ。
「だまれクソガキがっ!」
背後から議長の声が聞こえる。追いつかれるのも時間の問題だ。それにおれの前には、神官長が立ちはだかっている。二人のそばへ行くのは絶望的だ。なら、せめて、声だけでも。
「おれは、二人と一緒にいたい! 二人の絆を、結びたい! だから、目を覚ませ!」
その直後、議長が体当たりをくらわし、おれを取り押さえた。
「このガキが、これ以上無駄口をたたくなっ!」
「てめえ、はなせ、このっ!」
「ソウタ!」
カイの声が聞こえた。
顔を上げると、世界樹の幹のそばで立ち上がり、こちらを見ているカイの姿が見えた。
「な、なんで……。ねえ、ソウタ。なにが、どうなってるの? ねえ!」
「神官長! 儀式を始めろ! その神霊は危険だ!」
わかっている、と神官長はカイのほうへ振り向き、一歩、また一歩とカイに迫る。
その手には、輝く刀身の短剣が握られていた。シオンが持っていたものに、よく似ている。
まさか、あれも、神殺しのなんたらとかいうんじゃ――。
「カイ! 逃げろ! そいつはお前を殺す気だ!」
もうだめだ。おれは殺される。眠っているクウも、助からない。ならせめて、カイだけでも。
「いやだ……、いやだいやだ、いやだ」
カイは頭を抱え、うめくようにいやだを繰り返す。その様子は、最初に神言を暴走させた時とそっくりだった。
「いやだぁぁぁああああああああああああああ!」
カイの絶叫が世界樹の間に響く。直後、地鳴りの音が聞こえ、地面が激しく揺れ動いた。
おれをねじ伏せていた議長はバランスを崩し、そのすきをついておれは議長をはねのけ、走り、神官長に体当たりをくらわせる。神官長は仰向けになって倒れ、その手から短剣を奪い、力任せに遠くへ投げ捨てた。
カイは頭を抱え、叫び続けている。おれはカイを抱きしめ「しっかりしろ!」と呼びかけた。
「逃げるぞ、カイ。クウも一緒だ。早く!」
クウを右手で抱え、左手でカイの手を握る。
「とにかく生きるんだ! 生きてりゃそのうちなんとかなる。何があっても、何がなくても、生きてりゃどうにかなるんだ。だから――」
突然、左手の甲が熱くなった。
あの時と、クウと絆を結べた時と同じだ。
見ると手の甲には青く輝く世界樹の紋様が浮かび、カイの体も淡い光に包まれていた。その胸には、おれと同じように青い輝きが宿っている。
そうか。そういうことだったのか。
転世の代償。
おれと、もといた世界を結ぶ絆。
それは――。
「こんちきしょうめっ!」
わざとらしい甘みを残した汚い声が聞こえた。
同時に、何かがおれの体に突き刺さる。
おれの胸に、短剣が突き刺さっていた。さっき放り投げたやつだ。
その短剣の柄を両手で握り、憎々し気な目をおれに向け、心臓を貫いているのは、エポラッテだった。
「この悪党め! 神霊を奪おうなんて、そうはさせないぞっ! 都はおいらが守るんだ……、都は、みんなは、このエポラッテが、守るんだぁいっ!」
カイの悲鳴が聞こえた。体の感覚が消え、おれは崩れるように倒れる。
視界はうすれ、すぐに何も見えなくなった。
わずかに残った感覚から、エポラッテがおれの体を何度も何度も刺していることがわかる。殺意満々のめった刺しだ。音だけははっきりと聞こえた。鋭利な刃物が肉を突き刺し、引き抜き、また突き刺す、柔らかくて、生々しくて、不快な音だ。
カイの悲鳴がうすれる。鐘の音が聞こえたような気がした。何を意味するかはわからない。
死ぬんだ。
これで、おれは死ぬんだ。
声が、聞こえる。
誰の声だ。
カイ?
クウ?
ラトナ?
なんて、言ってるんだ。
「やった……、ひひっ、やったぞぉ! どぉんなもんだいっ! エポラッテだぁあいっ!」
……は、はは。マジかよ。
悪い冗談だ。
こんな終わり方って、ありかよ。




