第七話 『希望を絶たれた人達』
開門の鐘が鳴り、ルシカが今日の公務を伝えにやって来た。
「おはようございます、ソウタ様、カイ様。本日の公務ですが、都を守護する法石の点検をお願いしたく思います。すでに用意はできていますので、正門前へお越し下さい」
ほんの数時間前までの大騒ぎがうそみたいに、ルシカは普段通りの様子だった。
「それとソウタ様。日没後にクウ様と一緒に礼拝堂へ来るようにと、神官長から指示が出ています」
嫌な予感しかしない。まあ、反抗したところで無意味なのはわかってるけどさ。
「わかったよ。ところで、シオンは今どうしてるんだ」
「申し訳ありませんが、彼女については何もお答えできません」
「さっきの指示はシオンのことと関係があるのか?」
ルシカは何も言わず、一礼して神霊の間から出て行った。
「……まあ、なるようになるか。というわけだ、カイ。今日も一日がんばろう」
カイは寝台の上で体を丸め、びくびくと震えていた。
「僕は……、僕は、いらないんだ。いらない神霊なんだ……」
「カイ。しっかりしろ。誰もそんなこと言ってないだろ」
「でも、でも、クウにも指示が出たんでしょ? それってつまり、僕のかわりにいろんな仕事をしてもらって、だから僕はいらなくなって……、しょ、処分され」
「カイ!」
少々乱暴だが、カイの体を力任せにつかみ、彼としっかり目を合わせる。
「大丈夫だ。カイも、クウも、処分なんかさせない。おれがさせない。だから、悪いことばっかり考えるのはよせ。そんなことしたってなんにんもならないぞ」
「でも……」
「今は、今のことを考えるんだ。後のことは後になってから考えればいい。今は自分の役割を果たすことを考えろ。ちゃんと神霊として役に立ってるってことをアピールすれば、誰もカイをいらない神霊だなんて思ったりはしないだろ」
強引な理屈だが、カイのネガティブ思考を軌道修正するには多少の勢いがなければ無理だろう。
「…………わかった。ソウタが言うなら、ソウタを信じる」
「ああ。信じてくれ。それじゃ行くか。あんまりルシカを待たせるのも気の毒だからな」
おれはカイの手をつなぎ、神霊の間を出た。
昨夜の事件は公表されていないらしく、都は普段通りの賑わいを見せていた。
大通りを行く人々はおれ達が乗っている馬車を目にすると立ち止まり、両手を組んで祈りを捧げた。
上品な身なりの婆さんも。
恰幅のいい商人風のおっさんも。
やたらと顔がてかてかしている貴族の子どもも。
みすぼらしい身なりの少年も。
誰も彼も。
彼らの立場に違いはあれど、神霊に救いを求めているという点は同じなんだ。
今になって気づいたことだけど、大通りには以前目にした異様な光景を想起させるものはどこにもなかった。おれ達が表に出てくるときは目につかないよう隠れているのだろうか。だとしたら、彼らにもそれなりの後ろめたさがあるのかもしれない。
いや。それはないな。連中の顔ははっきりと覚えている。
自分達よりも圧倒的な弱者をいたぶることに快感を覚える、クソ外道な連中の顔だ。
もといた世界でも、いやというほど目にしてきた。
あんな奴らに、ひとかけらの良心だってあるものか。
「ソウタ様、カイ様。到着いたしました」
ルシカに言われ、馬車を下りる。そこは大通りの一画にある手ごろな広さの公園で、広場の中央には大きなガラス玉を乗せた世界樹のモニュメントが設置されていた。
「あれってたしか、大聖殿の映像を映し出す法石だったよな?」
「はい。同時にあれは、この都を守る結界を構築する法石でもあるのです」
「……どうせなら、最初に教えてほしかったな」
申し訳ありません、とルシカは言った。
まあ、言えるわけないか。結界のことを話せば、当然境界のことも話すことになる。身の危険を感じるようになれば、公務にも支障がでるかもしれない。
結界の法石の点検作業は簡単なもので、神霊であるカイがガラス玉に触れるだけでいいらしい。ガラス玉が静かに輝けば、それは正常に機能していることを示しているという。実際、カイが触れるとガラス玉は静かな輝きを放った。その様子を遠くから見ていた人々は、喜びと期待に満ちた歓声を上げた。
「神霊様、万歳!」
どっかのおっさんが言う。それに呼応して、人々は「神霊様、万歳!」を繰り返した。おかげでカイの顔は今にも蒸発しそうなくらい赤くなってしまった。
「ルシカ。あの連中を黙らせてもいいか?」
「どうかご容赦ください。人々の信仰心も、結界を構築する霊力の糧となっているのです」
「信じる者は救われる、か。嫌な言葉だ」
結界の法石は十二個で一つの円を構築しているらしい。都の領域の拡大に合わせて円の数は年輪のごとく増え、現在では九つの円が都を守護している。合計すると百八個の結界の法石があるわけだが、それらすべてを今日一日で点検するようだ。
都の中心部には神官が常駐しており、結界の警備は万全で、その効力も強い。けれど中心部から遠ざかるにつれて結界の効力も弱まり、だんだんと貧民街の姿が目立ってきた。安心して暮らしたければ豊かになるしかないという現実を突きつけるように。
慌ただしく走る馬車の車窓から飢えた街並みを眺めていたとき、ルシカが言った。
「昨夜シオンが言ったことは、事実ではないと否定はできません」
「神官と都の権力者がずぶずぶになって利権を貪ってるって話?」
「はい……。もちろん、私をはじめ多くの神官はいつまでもこのような状態が続くとは思っていません。それは貴族や大商人達も同じです。捨て身の覚悟で権力者に一矢報いようとする者は、過去に何人もいましたから」
「でも暴利を貪るのはやめられない、とまらないと」
「都を指導し、人々を治める立場にある者達のなかには、この都のあり方を変えなければならないと考えている者もいます。ですが、ソウタ様がおっしゃった通り利権を手放したくない者は大勢いますし、改革にはまだまだ長い時間がかかります。その時間を得るためにも、神霊の力はどうしても必要なのです」
カイのほうを見ると、彼はつらそうに顔を下に向けた。
「この都は成立から現在に至るまで、数多くの神霊の力を授かって結界を構築し、領域を拡大させてきました。ここからさらに結界の領域を拡大させることができれば、都はさらに多くの富を得ることができます。都の近隣にある山々は霊石の産地ですから、そこまで結界が拡大し、人々が安全に活動できるようになれば、都の産業はさらに活発になります。そして富が増えれば、貧しい人々を救済することができますし、彼らが安心して暮らせるようになれば統治する側への反発もおさまり、都を改革する時間が得られるのです」
「そんなにうまくいくとは思えないけどな。おれが見た限り、この都の連中、特に貴族か、そいつらの下衆っぷりは常軌を逸してたぞ。豊かになったからって、あいつらが貧困層に優しくなるとは思えないな」
「……この都を守護する結界は、次の年が来るまでに消滅すると考えられています」
「マジ、なのか?」
「記録によれば、結界を維持するためには百年に一度は必ず神霊の力を用いて儀式を行わなければならないそうです。ですが最後にその儀式が行われたのは、今からおよそ九十九年前と言われています。なのでいつ結界が消滅しても、おかしくはありません。もちろん、結界が消滅すれば都は境界の浸食に晒され、崩壊します」
「それで連中は自暴自棄になってるのか」
「はい。希望が一度失われてからは、とくに……」
「シオンが言ってた、前の神霊のこと?」
ルシカは黙ってうなずいた。
「教えてくれないか。その神霊に、何があったのか」
しばらくの沈黙の後、ルシカは顔を上げ「わかりました」と言った。
「二年前のことです。この都に転世者が現れ、神霊が生み出されました。ですが転世者と神霊の関係は悪く、儀式を行う前に神霊は消滅し、転世者は行方知れずとなりました。この事件は都に大きな混乱をもたらしました。結界消滅の危機は広く知れ渡っていましたから、誰もが神霊に期待を寄せ、救いを求めていたのです。それが、最悪の形で終わってしまいましたから」
そして今、この都はカイとクウという神霊をむかえたわけだ。
人々のあの態度も、十分納得できる。
「私達の都にとって、カイ様とクウ様は最後の希望なのです」
ルシカがそう言ったとき、それまで黙っていたカイが口を開いた。
「あの、ルシカ……」
「なんでしょうか、カイ様」
「もし、クウが僕より先に守り神になったら、僕はいらなくなって、その……」
「たとえクウ様がカイ様より先に守り神になったとしても、それでカイ様が否定されることはありません」
カイの不安を察したのか、ルシカは励ますような強い口調で言った。そして、カイの不安をやわらげるように優しい微笑みを浮かべる。それを見て、カイはうなずいた。
しかし彼の青い瞳には、不安の影がまだ強く残っていた。




