第五話 『祝福の鐘』
放たれた光の矢は、すぐそこまで迫ってきていた。
これに貫かれれば、おれは死ぬ。
そう直感したからか、おれの思考はどこまでも引き伸ばされた時間の中で働いていた。
逃げるんだ。頭の中で声がする。同時に、逃げるな、という声も聞こえた。どちらもおれの声だ。
逃げるも逃げないも、おれが決められる。おれの意思で。おれの責任で。
一歩だ。あと一歩動けばいい。そうすればおれは光の矢を避けられる。おれは助かる。
でもそうすれば、クウは光の矢にあたってしまう。そしてたぶん、死んでしまう。
このまま動かなければ、光の矢はおれにあたって、クウはきっと助かる。もちろん、おれは死ぬ。
どちらが死ぬか。あるいは、どちらが生きるのか。
いや、ちがう。そうじゃない。
おれが選ばなければいけないのは、クウを助けるか助けないかだ。
そんなの、どうするかなんて、決まってる。
おれは一歩踏み出した。迫りくる光の矢に向かって。
見捨てたくない。助けたい。おれはクウの生みの親だ。クウを守らなくちゃいけない義務がある。
親ってのは、そういうもんだろ。
そうさ。おれは、おれの両親とはちがうんだ――。
光の矢は、おれの腹に突き刺さり、爆発するようにまばゆい光を放って、消滅した。
なぜか痛みはなかった。というか、何の感覚もない。
不思議に思ったその時、おれはバランスを崩して仰向けに倒れた。その時も特に何も感じなかった。
ああ、そういうことか。
感覚そのものが消えてしまったんだ。
どうやら正解らしく、眠りと目覚めの狭間を揺れ動くように、おれの意識はぼやけはじめた。手足の感覚はなく、自分の体がここにあるという実感も消え、意識だけが虚空を漂う煙のようにさまよっていた。
クウは、無事だろうか。
そう思ったとき、視界にクウの姿が、顔が見えた。どうやら無事らしい。
いや、ちがうな。クウは涙で顔をぐしゃぐしゃにして、おれに向かって必死に何かを叫んでいた。クウの声は聞こえない。聴覚も失われたようだ。クウの顔もだんだんとぼやけてくる。視覚もダメらしい。
なるほど。
おれは本当に、死んでいくんだな。
まだ声は出せるだろうか。
口は動かせるだろうか。
わからない。でも、言葉を伝えられると信じて、おれはクウに言った。
わるい。なんかもう、ダメみたいだ。おれのことはいいから、早く逃げてくれ。そして、生きてくれ。
せっかくこうして生まれてきたんだ。もっと楽しい思いをしなくちゃ、損ってもんだろ。
……よく言うよ。もといた世界から逃げてきたくせにさ。
まあ、でも、おれの人生にだって、それなりに楽しいことはあったんだ。
生きてりゃそのうちいいことがある。悪いことばかりが続くわけじゃない。
だから。
だから、クウ。
生きてくれ。
「いやだ! ソウタと一緒がいい! あたしは、ソウタと一緒に、生きたいのっ!」
クウの声が、頭の中に、心の内に、はっきり届いた。
その瞬間、右手の甲が燃えるように熱くなった。その熱に導かれるようにおれの意識ははっきりとし始め、確かな感覚がよみがえった。
目を開けると、涙でぐしゃぐしゃになったクウの顔が見えた。
「ソウタ!」
クウはおれの胸に顔をうずめ、泣きじゃくった。おれはクウの声を、その体のぬくもりを、熱い涙をしっかりと感じられた。そのことが、おれがまだ生きていることを証明していた。
「……クウ。もう、大丈夫だ。だから、もう、泣かなくていいぞ」
「うっさいバカ! 泣いてないもん! 全然、泣いてなんか、ないんだからっ! う、うぅ、うわぁあああああああああああん!」
言ってるそばから盛大に泣き出した。ほんと、よく言うよなぁ。
でも、これでいいんだ。泣いたり、強がったりしていい。それは心があるって証なんだから。
そうだ。クウは神霊だ。でもおれと同じように心を持っている。生きている。
だからおれは守らなくちゃいけない。守りたい。
そのためにも、おれは彼女のそばで、生きなくちゃいけないんだ――。
「……って、熱っ!」
右手の甲に感じていた熱が、急激に激しくなった。まるで炎で炙られているような、猛烈な熱を感じる。だけど不思議なことに痛くはなかった。見ると、手の甲には燃え盛る炎のように紅く輝く紋様が浮かび上がっていた。それは、世界樹によく似た形をしていた。
「ソウタ」
クウに目を移す。彼女の胸元にも、おれと同じ紋様が紅く輝いていた。クウは安らかな微笑みを浮かべると、そっと目を閉じ、おれにもたれかかるように倒れ、眠りについた。彼女の眠りと同時に紋様の輝きは消え、手に感じていた熱も消えた。それでも紋様の跡はしっかりと残っていた。
クウを抱きかかえ、立ち上がる。はるか遠く、大聖殿のほうから鐘の音が聞こえてきた。深い夜に閉ざされた都の果てに、鐘の音はどこか明るく響いていた。
「祝福の鐘だ」
神官長が言う。
「どうやら貴様達の間には絆が結ばれたらしい。その神霊の力は危ういが、まだこの先を見る価値はできたということだ」
「クウを処分するのはやめるってことか?」
「現時点では、その必要性はなくなった」
神官長は背を向け、神官や憲兵達にシオンを連行するよう指示を出す。
「シオンをどうするつもりだ」
「今回の件の黒幕について吐かせ、その後適切に処分する」
「待てよ。おれとクウが絆を結べたのは、偶然とはいえシオンのおかげでもあるんだ。シオンはおれとクウを助けてくれたこともある。それにシオンの身に何かあったらクウが」
「善行と悪行は相殺するものではない。一人の命を救ったとして、それが一人の命を殺めてよい理由にはならないだろう」
「でも……」
「くだらねえ情けをかけるな」
シオンが言う。憲兵達に拘束されながらも、彼女は堂々とした態度を崩さなかった。
「あたしは極刑覚悟でクウをさらった。全部あたしの意思と覚悟の問題だ。それより、クウに謝っといてくれないか。あたしのこと友達だって言ってくれたのに、悪いことしちまったから」
シオンは連行され、おれはただ見ていることしかできなかった。




