第三話 『人ではない人々』
シオンに気づかれないよう明かりを消し、生い茂る森の木々に身を隠しながら慎重に進む。やがて、暗闇の向こう側に灰色の城壁が見えてきた。視界もだんだん開けてくる。城壁の一部は川とつながる水門になっていて、そのそばには管理所らしき小屋が見えた。
シオンは、川のすぐそばにいた。彼女の足元にはクウが横たわっている。
さて、どうやってクウを取り戻そうか。
考えを巡らせていると、シオンはクウを抱きかかえ、川へ放り込むような動きを見せた。
「待て待て、早まるな! いらないならおれにくれ! じゃない、返してくれ」
慌てて止めに入る。するとシオンはこちらを見て楽しそうに笑った。
「心配すんな。あんた達がなかなか出てこないから揺さぶりをかけただけさ」
どうやら最初からばれていたらしい。ルシカは再び明かりを灯し、シオンの前に姿を見せる。
「クウ様を返しなさい。神霊を失えば都がどれほどの被害を受けるか、知っているでしょう」
「もちろんさ。あの時もひどい騒ぎになったし、おかげであたしはこの有様だ。だから思うんだよ。こんなくそったれな都になんか守る価値はない。一度何もかも全部ぶっ壊れちまえばいいってな」
「ふざけたことを言わないで!」
「ふざけてんのはてめえらのほうだろうが!」
シオンは激しい怒声を上げる。
「この都がどういう仕組みで動いてるか、知らねえとは言わせねえぞ。あんたら神官は結界の管理を盾にして住民を服従させ、貴族連中と結託して金をたんまりむしり取り暴利を貪ってやがる。つまりあんたらはあたしらを食い物にしてるんだ。あたしら貧民は一生死ぬまであんたらに搾取されるのさ。そんな連中が牛耳る都を、なんで守らなくちゃならねえのさ」
「そんなことない!」
ルシカが叫ぶ。だけどそれは、むしろ自分に言い聞かせているような叫びだった。
「私達神官は、都で暮らす人々を守るため最大限の努力をしているわ。けれど、神官だけでは都の機能全てを管理できない。だから権力を持つ人達、貴族と協力して都を守っているの。彼らだって都の人々を守りたいという意思を持ってがんばっているのよ」
「ほーう、そうかいそうかい。そのわりには貧民街の人間は目に見えて増えてるじゃねえか。神官どもはますます態度がでかくなるし、貴族連中はどんどん強欲に、残虐になってるじゃねえか」
「そんなこと……」
「ないわけねえだろ。お前だって知ってるはずだ。貴族連中の間でどんな娯楽や見世物が流行ってるのか。貧民街の人間を亜人に作り替えて、何をやらせているのか。それでもお前は連中があたしらを守ろうって意思を持ってるって言うのか。どうなんだよ」
ルシカは何も反論できなかった。以前おれが大通りで見た異様な光景は、彼女も知っていたらしい。
「そもそも神官や貴族だけが都の仕組みをつくれるってことが間違いなんだよ。あたしらはそれに一切口出しできねえ。もし逆らおうもんなら亜人にされるか、城壁の外へ放り出されるかのどっちかだ。これでわかったろ。あんたらにはな、あたしらを食い物にすることしか頭にねえのさ」
シオンはおれを見て、どこか皮肉めいた笑みを浮かべる。
「あんたがいた世界じゃどうだったか知らねえがよ、ここじゃ生まれた時点でそいつの人生は決まっちまうのさ。神官の子どもは神官に、貴族の子どもは貴族に、貧民の子どもは貧民にってな具合にな。だけど一つだけ、貧民でも貴族になれる方法があるのさ。なんだと思う?」
おれは何も言えず、ただ首を振ることしかできなかった。
「子どもを都の公共物として献上することさ。都は献上された子どもの数に応じてそいつ一代限りの貴族の位と金を授けるんだ。この都にはそうやって貴族の仲間入りをした連中が大勢いるのさ。ひどいやつだと同じ貧民の女を襲って何十人も子どもを献上した奴もいるぜ」
「なんでそんな、おぞましいことを……」
「簡単に言うと、人柱が欲しいのさ。あたしみたいな自警団員や憲兵みたいに危険な役割を負う人間は必要だが、誰もそれをすすんでやろうとはしない。だからそういう役割には、死んでもあとくされのない孤児が適任なんだよ。合理的な話だろ」
「まさか、シオンもそうなのか?」
シオンは何も言わずシャツの胸元を開く。ルシカが灯した明かりは、彼女の胸元に刻印された紋様のようなものを照らしていた。
「献上された子供には、世界樹の紋様が刻まれる。都の公共物であり、人間ではないことの証としてな。それとこの紋様にはもう一つ効果があるんだ。なんだっけなあ、ルシカ」
「……都に隷属するよう、意識に暗示をかける効果があるわ。でも、こんなことができるということは、その効果も無効化されているようね」
「親切な奴が呪いを、いや失礼、紋様の御加護を解いてくれたのさ」
「やはりあなたは、他の都とつながっていたのね」
「そんなところさ。じきに迎えが来る。クウを連れて外へ出ればあとはこっちのもんだ。この都を出て、あたしは人間として自由に、まっとうに、生きていくんだ」
「それならあなた一人で都を出て行けばいいじゃない」
「バカ言うなよ。いくらあたしでも結界の外で生きていけるとは思ってねえ。あたしの安全を保障する担保として、クウはどうしても必要なのさ」
「つまりクウを取引材料にしようってことか?」
「そういうことさ。クウには悪いが、これも運命と思ってあきらめてもらうしかねえな」
「いやいや、そんなんであきらめられるわけが」
「ソウタ様、下がってください」
ルシカはおれの前に立ち、シオンと向かい合った。




