第十二話 『夜がはじまる』
おれがたずねると、シオンは呆れたようにため息をついた。
「おいおい。あんたそんなことも知らねえで夜中に外を出歩いてたのか?」
「ソウタ様。境界とはこの世界と他の多くの世界に存在する領域のことです」
「なんかSFっぽい話になってきたな。で、それがどう問題なんだ?」
「日が落ちて夜になり世界の姿が不安定になりますと、境界は世界への浸食を始めます。この世界のものを別の世界へ引きずり込んだり、逆に別の世界のものをこちらの世界へ潜り込ませたりと、世界のバランスを乱すのです。そのため境界の浸食により様々な災いがもたらされることがあります」
そういえば、おれがいた世界でも夜になればオバケがでるなんて言われてたな。実際に見たことは、まあ、もといた世界ではなかったけど。
「ソウタ様も都の巡礼をされた時に、市街地のいたるところに街燈が設置されているのをご覧になったと思います。少しでも明かりがあれば、境界の浸食を防ぐことができますから。ですがそれも完全ではありません。境界の浸食を完全に防ぐためには、膨大な霊力によって構築される結界が必要なのです。そしてその結界の核となるのが神霊なのです」
「神霊が都の守り神になるっていうのは、そういうことだったのか」
「はい。それに神霊の力が強ければ、結界によって守られる領域を拡大することもできますし、人々の活動範囲が広まれば、それに合わせて都もより栄えていきます」
「とはいっても、完全に安全が保障されているのは都の中心部だけさ。結界の中心点である大聖殿から遠ざかれば遠ざかるほどに効果は弱まるし、都の最果ての城壁付近はご覧の通りの有様だ。住人が境界に食われて行方不明になるなんて日常茶飯事さ。それでも城壁の外へ追放されるよりはマシだけどな」
シオンは挑発的な目をルシカに向ける。
「神官様や貴族連中にとっちゃ、あたしら貧乏人なんかいつくたばってもかまわない消耗品なんだよ。だから安全な区域には住まわせねえ。金持ちや権力者は安全な場所で面白おかしく生きて、あたしらを慰み者にして高笑いしてるんだ。そういう奴らがこの都を牛耳っているのさ」
「大聖殿も議会もできる限りのことはしているわ。決して都の人々を見捨てているわけじゃない」
「そりゃそうだろうよ。自分達が贅沢三昧な生活を送るには、税金を搾り取るための貧民が大勢いてくれなくちゃ困るからな。あたしらは死ぬまであんたらに金をむしり取られ続けるのさ。生かさず殺さずってやつだ」
だんだんと空気が険悪になってきたので、話題を変えようとシオンに話しかける。
「そういえば、まだ助けてくれたことのお礼を言ってなかったな。改めて、ありがとう。助かったよ」
「礼なんかいらねえよ。あたしはあたしの仕事をしただけだからな」
「仕事?」
「都の自警団の下っ端さ。夜になると、都を守護する法石の見回りをするのさ。もちろん、いつ境界に食われるかわからねえ。ようするに、使い捨ての駒ってやつさ」
「どうして、そんな危ない仕事を……」
「学もねえ孤児にまともな仕事なんかあるもんか。でも、本当ならもっとマシな仕事につける予定だったんだ。前の神霊があんなことにならなけりゃな」
「もうやめて!」
ルシカが叫ぶ。シオンは肩をすくめ、やれやれと薄く笑った。
「まあいいさ。どうせ過ぎたことだ。それより今の話をしようぜ。ソウタも認めた通り、あたしは神霊と転世者を助けたんだ。だから都からはそれなりの謝礼があって当然だと思うんだが?」
「……何が望みなの?」
「あたしを大聖殿へ連れていって、クウに会わせてくれ。それでいい」
「ちょっと待って。どうしてあなたがクウ様を知っているの?」
「シオンは一昨日の夜、眠りの森にいたおれとクウを助けてくれたんだ。その時にクウがシオンをずいぶん気に入ってさ、友達になったんだよ」
そういうことだ、とシオンは得意げにうなずく。
「おれからも頼むよ。今頃クウは一人で目を覚ましてさびしい思いをしてると思うんだ。シオンが来てくれたらきっとよろこんでくれる」
「わかりました……、そういうことでしたら」
それからほどなくして大聖殿から迎えが来た。ルシカが神官達に事情を説明し、シオンの同行は許された。おれ達は憲兵達が護送する馬車に乗り、孤児院をあとにして大聖殿を目指した。
さっきの話の通り、夜の都にはほとんどまったく人の姿が見られなかった。ごくたまに、シオンの同業者と思われる十代前半ほどの少年少女の姿が見えた。
「ほんと、いい眺めだねぇ」
そう口にしたシオンの目からは、少女とは思えないほどの苛烈な怒りが感じられた。
夜もすっかり更け、星空が美しく輝いた頃に大聖殿に到着する。おれはカイを背負い、ルシカとシオンと共に神霊の間へ向かった。
神霊の間に入った時、やはりクウは起きていた。
「遅いじゃないのソウタ! いったいどこほっつき歩いてたのよ!」
クウは大変ご立腹な顔をこちらに向ける。しかし後ろにいるシオンに気づいたのか、すぐに表情を明るくした。
「シオン? え、え、どうしてここにいるの?」
「どうしてもあんたに会いたくてな。元気そうでなによりだ」
「うれしい! あたしもシオンに会いたかったの! ねえ、見て。シオンの絵! あたしが描いたのよ!」
クウはノートを持ってシオンのそばへ駆け寄る。シオンもクウのそばへ向かい、二人の姿が重なった。その時だ。
バチンっ! と何かが弾ける音が響いた。
「な、なんだ、今の……」
クウはシオンにもたれかかるように倒れた。シオンは何かを床に投げ捨て、クウの体をしっかりと抱きかかえる。
「シオン。今のは一体」
「悪いな。こいつはあたしがもらってくよ」
そう言って、シオンはクウをかついで神霊の間の窓へ向かって走り、そのまま外へ飛び出して夜の闇に姿を消した。シオンの身体能力なら、ここからでも大聖殿の外へ脱出することは容易なのだろう。
いや。いやいやいや。そうでなくて。
なんだ。一体、なにが起こったんだ。
思考が硬直した時、大聖殿の鐘が激しく鳴り響いた。
まるで、都全体の危機を訴えるように。




