第十一話 『豊かな都の僻地にて』
現れたのは、シオンだった。スライムは法石が砕けると同時に蒸発するように消滅した。
シオンは軽々と槍をかつぎ、こちらに目を向ける。
「ついてきな。ここにいるとまた厄介な目にあうぞ」
そう言ってシオンは大通りとは反対の方向へ走った。
「ここは彼女に従いましょう。落ち着き次第、大聖殿へ救援を要請します」
ルシカが言う。おれはカイを背負い、シオンを追って走った。
都の中心部から遠ざかっているためだろう、街の様子はだんだんと見すぼらしいものへ変わっていった。古びた木造の家屋が無秩序に建ち並び、いたるところから異臭が漂っている。おそらく上下水道が整備されておらず、生活排水が垂れ流しになっているのだろう。街路の隅には生ゴミが散乱し、飢えた野生動物が群がっている。目にする人々の姿も貧困にまみれたもので、活気ではなく殺気に目をぎらつかせている人も少なくなかった。
シオンが目指す場所がどこかはわからないが、とにかく身の安全が保障される場所であることを祈るしかない。
息が切れ、わき腹が痛み、もうこれ以上は走れないというくらい体力が削られたところでようやくシオンは立ち止まった。
「ここなら安全だ。ま、他と比べればだけどな」
おれ達がやって来たのは、数世代前の学校の校舎を思わせる木造二階建ての建物だった。建物の奥には灰色の城壁が見える。どうやら都の最果てまで走ったらしい。
「どうだいルシカ。懐かしい場所だろ?」
シオンは皮肉めいた笑みを口元に浮かべる。ルシカもおれと同じく息を切らしていたため返事ができず、抗議するような目をシオンに向けただけだった。
「懐かしいって、どういうことだ? 二人にとって、何かある場所なのか?」
「なんだ、ソウタは知らないのか。ここは孤児院だよ。あたしとルシカはここで出会ったのさ。ルシカが神官長補佐官になる前、大聖殿の奉仕活動の一環でよくここの手伝いに来てたんだよ。飢えたガキどもにエサを与えて、大聖殿と神官のお恵みとありがたみを何時間も丁寧に話してくれたのさ。心温まるいい思い出さね」
おもしろおかしくシオンは笑う。なるほど、この二人にはそういう背景があったのか。
「とりあえず中に入ろうぜ。あたしは体を流してくるから、あんたらはのんびりくつろいでな。それとルシカ。神官様のお説教はもう間に合ってるからしなくていいぞ」
なにはともあれ、建物の中なら妙なバケモノに襲われることもないだろう。お言葉に甘えてお邪魔することにする。孤児院の院長である婆さんとルシカは顔見知りで、おれ達を暖かく迎えてくれた。ついさっきのことなのでこの婆さんもバケモノに変化しないか不安だったが、どうやら本物の人間らしい。食堂に案内され、コップ一杯の水をいただく。ここでは飲み水すら貴重品らしい。
神霊と転世者が来たということで、ここで暮らしている子ども達が続々と食堂にやって来た。みんな幼稚園児か小学生くらいの子どもで、おれがいた世界なら間違いなく救済措置が必要と判断されるほど悲惨な状態にある子どもばかりだった。服はゴミ同然の古着で、骨と皮だけと思えるほど痩せこけ、動物に近い体臭を発散している。それでもみんな表情は明るく、おれやカイに好奇心に輝いた目を向けていた。ルシカと楽し気に話をしている子どもも少なからずいた。院長によると、今でもルシカは時間をつくってここへ奉仕活動に来ているらしい。
子ども達はカイを取り囲み、次から次へと質問をぶつけていた。
「お名前はなんていうの?」
「転世者様から生まれたってほんとなの?」
「神霊様はすごい力をもってるんでしょ? どんなことができるの?」
「いつ都の守り神になれるの?」
「私達を救ってくれるって本当?」
「もう一人の神霊様ってどんな人なの?」
「この葉っぱ食べる? 甘いかおりがするよ」
子ども達に無邪気に詰め寄られ、カイはすっかり困惑していた。それでも最初の頃のようにあからさまに取り乱したりはしていない。カイもある程度人に慣れたということか。
そうこうしているうちに日が落ちたらしく、はるか彼方から鐘の音が聞こえた。カイは子ども達に囲まれたままふらりと倒れ、そのまま眠りについた。おれはカイを抱きかかえ、長椅子に寝かせる。そのそばで院長の婆さんが言った。
「さあみんな、晩飯の時間だ。今日はお客さんもいるから、ちゃっちゃと支度するんだよ」
子ども達は明るい声で返事をし、夕食の支度にとりかかる。ルシカも厨房に立って手伝っていた。
「おれも何かしたほうがいいですか?」
「気にしなさんな。あんたらはお客さんだし、今は坊やのそばにいてあげな」
院長のその言葉に、おれは久しぶりに人のぬくもりを感じた。神霊とか転世者とかそんなことには関係なく、院長はおれ達をここにいる子ども達と同じように見ているのだろう。
夕食の支度が終わり、大勢の子ども達とテーブルを囲んで食事をとる。学校の食堂で飯を食っている時と同じよな賑やかさの中、おれは久しぶりの食事を楽しんだ。ものを食っている間にも子ども達からあれやこれやと質問攻めにされたが、それもまたよしである。
ただ気がかりなことに、シオンの姿は見えなかった。
食事がすみ、子供たちは各々の部屋へ帰っていった。おれ達は客間へ通され、大聖殿からの迎えが来るまでここで過ごすことになった。カイをベッドに寝かし、おれはルシカと向きあってテーブルにつく。
「昼間の件ですが、おそらくあの怪物は都の外部から送り込まれてきたものと思われます」
「なんでまたそんなことを」
「都の守り神となりえる神霊を葬ることは、その都に多大な損害を与えることになりますから。過去にいくつか例があります。この都の周辺は霊石の産地ですし、都には法石の職人も大勢いますので支配下に置こうとたくらむ都は多いのです。それに今はこの国全体で戦乱が広まっているそうですから、どこの都も生き残りをかけて必死になっているのです」
「なるほど。じゃあまたカイやクウを狙う連中が来るかもしれないってことか」
「ええ。ですがご安心ください。じきに大聖殿から迎えが来ますし、今は夜ですから相手もうかつに動くことはできません」
「夜のほうが敵に狙われやすくないか?」
「それは……」
ルシカが言葉を詰まらせた時、それを見計らったように客間の扉が開きシオンが現れた。
「夜に外を出歩くなんて、正気の沙汰じゃねえよ。『境界』に食われるからな」
体を洗ってきたばかりらしく、彼女が身に着けているペラペラの薄汚れたシャツはうっすらとした膨らみのある胸にはりついていた。
まあ、それはさておき。
今、なんて言ったんだ? 境界に食われる?
またろくでもないことが明かされそうな、そんな嫌な予感がした。それでも避けるわけにはいかないんだろう。なのでおれは聞かなければならなかった。
「その、境界ってのは、なんだ?」




