第七話 『のどのかな昼下がりの都にて』
眠りの森から大聖殿までどのくらい歩かなければならないのか。考えただけでうんざりする。
それでも歩かなければならない。歩く限り前へ進めるし、前へ進むためには歩くしかない。
まだ日が高い昼過ぎだというのに、森の中は不気味に静まり返っていた。数知れぬ死者の遺灰が眠っているのだからそう感じてしまうだけかもしれない。聞こえるのはそよ風にゆれる木々の葉の音くらいで、森の動物的な存在を感じさえる音はまったく聞こえなかった。姿さえも見えない。空気は冷やりとしていて、それとなく重苦しさを感じさせる。
とにかく、前へ進もう。都の市街地へ出れば少しは気もまぎれるはずだ。
歩調はどんどん早まり、気がつけば走っていた。
追い立てられるように森を抜け、川にかかった橋を渡り、市街地へと続く道に出る。草原の中をまっすぐに通っている一本道なので、まず迷うことはない。もっとも、市街地に入ったら多少迷うかもしれないが。その時は地図を頼ればいい。それでもだめならその辺の人に道を尋ねればいいんだ。
草原の道を歩きながら、これからのことを考える。
もっとも、やるべきことはずいぶん前から決まっていた。
おれはカイやクウと絆を結び、二人を互いに絆で結び合わせ、完全な神霊にしなければならない。
それがあの二人を守る唯一の方法だからだ。
でも、どうしておれは、そんなにもあの二人を守りたいのだろう。
おれがあの二人の生みの親だから?
それとも、おれの親に対する当てつけだろうか。
おれは自分の子どもを見捨てない。最後まで向きあって見せる。お前らとはちがうんだ。
それを、おれ自身に証明したいから?
おれのためなのか、あの二人のためなのか。
……なんにしろ、今は早く二人のもとへ帰らないとな。
城壁の外とちがい、都の市街地は大勢の人々でにぎわっていた。
大通りを行く人々の足音は風情ある街並みに軽快な足音を響かせ、都の豊かさを示すように露店が立ち並び、商人達の活気ある声が飛び交っている。
おれがもといた世界でも、都会のほうまで行かなければこういう光景は見られないだろう。
人の波に埋もれているためか、おれが転世者であると気づいた人は一人もいなかった。
人々の足音、話し声。
孤独を忘れさせてくれるようで、でも孤独を感じさせてしまう、名も知れぬ人々の営み。
ふと立ち止まり、誰ともわからぬ声に耳を澄ませる。
柄にもないことをするんじゃねえよと言いたくなるが、こういうこともしてみたくなるのさ。
なんにせよ、にぎやかなのはいいことだから――。
「さあさあ! らっしゃいらっしゃい! 今日は活きのいいのが入ってるよおっ!」
パン! パン! と手をたたきながら客を呼び込む中年商人の声。
「産地直送! 今朝入荷したばかりの活きのいい奴隷だよお! 素体に使うもよし! 気晴らしに嬲り殺すもよし! 今なら手枷足枷首枷もつけて、ついでに鎖も大サービスだあ!」
うん。
聞かなかったことにしよう。
おれは何も聞いてないし、何も見ていない。
恰幅のいい中年男の背後にある檻の中に全裸の成人男女が半殺しの状態でぶち込まれているのが一瞬見えた気がするけど、それは悪い白昼夢の断片みたいなものだ。
自分で自分をごまかしながら足早にこの場を去る。
そこからすぐ近くにある広場では、なにやら熱狂的な歓声をあげる人だかりができていた。
「いいぞ! やれ! やれ! ぶっ殺せ!」
「どうした! もう終わりか! 生きて故郷に帰るんだろ! 根性見せろ! お前にどれだけ金をかけたと思ってんだ!」
よせばいいのに、どうしても足がそちらへ行ってしまう。
見ると、鎖でつながれたゴブリンと思われる生き物が棍棒で殴り合いをしていた。
二匹のゴブリンは互いを鎖でつながれていて、全身傷だらけになりながら衆人環視のもと殴り合いを続けている。彼らの表情は、見るに堪えなかった。生への執着と死への願望が入り混じった、あまりにも悲惨なものだった。
そんな彼らを取り巻いているのは、美しく身なりが整った貴族らしき上流階級らしき人々だった。
老年の紳士は立派に蓄えた髭をなでながら、豪華な日傘を従者にささせた貴婦人は嗜虐的嗜好に満ちた笑みを浮かべながら、ゴブリンたちの殴り合いを眺めていた。
「いやぁ、二匹とも必死ですなぁ。あんな下等な生き物でも、やはり命は惜しいのでしょうな」
「しかしめでたい連中ですよ。勝てば生きて故郷に帰れると思ってるわけですから。連中の故郷なんてとっくに滅びているのに」
「やつらに見せてやりたいですよ。焼け野原になった故郷の姿を。無様な晒しものになった同胞共の死骸の群れを」
背筋が凍るとは、このことだろう。
いつの間にいたのか、おれの隣にいたあどけない男の子が明るい声を出した。
「ねえ、パパ。ぼくが賭けたゴブリン、相手をぶっ殺せるかな?」
「はっはっは、もちろんだよ坊や。もし負けたらパパが二匹とも買い取って八つ裂きにしてあげるよ」
「わぁい! パパ、大好き!」
常軌を逸している。
そう思った、その時だ。
「ギェェェェェアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
広場の奥から人間の悲鳴が聞こえた。
振り向いた先の光景を見て、息をのむ。そこには巨大なバーベキュー台のようなものがあって、金網に両手両足を鎖で縛られた人型の蜥蜴、いわゆるリザードマンというやつか、それがとろ火で炙られもがき苦しんでいた。その悲鳴は鼓膜をひっかくように高く、鋭く、人間の女性の悲鳴を思わせた。
そのまわりにいる連中は、とてもにこやかな表情で談笑している。
「んー、実に良い悲鳴ですなあ。いつ聴いても心地良い」
「苦痛を与えれば与えるほどに肉の旨みも増すと言いますし、まさに一石二鳥ですねえ」
「今調理しているのはまだ若いメスなのでしょう? タマゴでも孕んでいればなおのこと……」
もういやだ。これ以上ここにはいられない。
おれは全力で走った。一刻も早くこの狂った世界から離れたかった。
なんなんだ。
なんなんだよ。
どうなってんだよ、ここは!
いかれてる。何もかもが、狂ってる。
カイとクウは、こんなものを守らなければならないのか?
こんなものに、こんな場所に、守る価値なんてあるのかよ。
「いやぁっ! やめて、誰か助けてぇ!」
女の人の悲鳴が聞こえた。
やみくもに走っていたせいか、おれは見知らぬ路地裏らしき場所に入り込んでいた。人気のないその場所で、灰色のローブをまといフードを被った女の人が、いかにもヤバそうな雰囲気の大男二人組に詰め寄られている。
「ああ! なんだコラてめえ! ざけんじゃねえぞコラァ!」
大男の一人が怒声を張り上げる。
「ああコラ! んだコラ! すっぞコラァ!」
もう一人が目をギンギンに血走らせながら叫ぶ。というより咆哮する。
なんでこんな場面に出くわすんだ。
運命はおれに何を求めているってんだ。
おれには何の関係もない。
さっさとこの場を立ち去ろう。
そもそもおれに何ができるってんだ。
…………ちくしょう。
「おい!や、や、やめろ、あんたら!」
やってしまった。
言ってしまった。
今にも漏らしそうなくらいビビってんのにな。
それでもやらずにはいられなかった。正義感なんて大層なものからではない。
何もできない自分への苛立ちが、たんにこういう形で爆発しただけだ。
すぐさま、大男二人の強烈な目玉がおれの姿をとらえる。
「ああ! なんだコラてめえ! ざけんじゃねえぞコラァ!」
「ああコラ! んだコラ! すっぞコラァ!」
コピペか。と普段のおれなら声に出してツッコんでいただろう。
しかし今はそんなことできない。そんなことしたら二度と物言えぬようになってしまう。
いやもう、ほんと勘弁してください。一時の気の迷いだったんです。土下座して命乞いしますからどうか半殺しで許してください。などと情けない思考がめぐるめぐる。
しかし、危機的状況に追い込まれたおれの思考は、活路を見出した。
おれはルシカが渡してくれた法石の二人に見せる。
「お、おれは、転世者だ! これは神官長の補佐官がおれに授けた特別な法石だ! おれに、ゆ、指一本でもふふ、触れてみろ。だ、だだ大聖殿が、黙ってないじょ!」
なんと情けなく、でたらめな脅し文句だろうか。しかも最後に噛んでしまった。
ごめん。カイ、クウ。
おれはここまでのようだ……。
死を心臓の傍らに感じた、その時。
「ああ! なんだコラてめえ! ざけんじゃねえぞコラァ!」
「ああコラ! んだコラ! すっぞコラァ!」
どういうわけか二人はそう叫ぶと忌々し気に立ちさっていった。
よくわからんが、助かったらしい。
にしてもあの二人、他に言葉を知らないのだろうか。意外と汎用性は高そうだが。
いや、そんなことはどうでもいい。
「大丈夫? ケガとかしてないか?」
さっきの二人にからまれていた女の人に声をかける。彼女は「はい……」とうなずいた。
その儚げながら繊細で美しい声色に思わず胸の高鳴りを感じた時、彼女は立ち上がり、おもむろにフードを上げローブを脱ぎ捨てた。
鳥の翼のように毛先が外側へ跳ねた淡い栗色のショートヘア。
白と水色を基調にした伝統を感じさせる意匠のセーラー服。
自信に満ちた口元と、まっすぐで力強い光を宿した金色の瞳……。
「はーい残念! ラトナ様でしたー!」




