第三話 『小さなトモダチはココロと共に夜を踊る』
それはとても穏やかな時間だった。
他愛もない言葉や冗談を交わし、ごく自然に笑っていられる。
この世界に来てからそんな時間を過ごせたのは、これが初めてかもしれない。
もとの世界にいた時も、ずいぶん長い間、こんな気持ちにはならなかったな。
おれはいろんなことを、とっくにあきらめていたから。
やがておれ達は森を抜け、川にかかる橋を通り、なだらかに広がる草原に出た。ずっと遠くのほうに小高い丘が見え、その上には小さな明かりをいくつか灯した大聖殿らしき建物の姿が見える。
「ここからは一本道だ。あの丘を目指してまっすぐ進めば、大聖殿の裏側にたどり着く」
シオンはそう言うと、背負っていたクウをおれに預ける。
いろいろあったせいか、すっかり疲れ切っていたようで、クウは静かに寝息を立てて熟睡していた。
「本当にありがとう。この礼はいつか必ずするから」
「期待しねえで待っとくよ。ところで聞いた話なんだが、神霊は転世者から生み出されるってのは、本当なのか?」
「ああ。おれが神器の笛を吹いたら、クウとカイが現れたんだ。だからそう言えなくもないな」
「ならソウタはクウの生みの親ってことになるのか」
「だな。少なくとも、その責任はあると思ってるよ」
「そうか……。なら、ふたりのこと、最後までちゃんと守ってやれよな」
シオンは槍をかつぎ、背を向けて、森を目指して歩き出す。
孤児という身の上だからか。今の彼女の言葉には、おれの覚悟を試すような響きが感じられた。
おれはクウをしっかり抱きかかえ、大聖殿を目指す。
「一つ、教えてやるよ」
シオンの声が聞こえた。
「大聖殿の神官も、都の連中も、この都を守るためだけに神霊を利用することしか考えてねえ。だから都のやつらは信じるな。特に神官長とルシカには気をつけるんだな」
どういうことだ、と振り返った時、すでにシオンは森へ向かって走っていた。
たしかに、今までのことを考えれば、都の人達を無条件で信じることは危ないことかもしれない。
けれど、ルシカは信じてもいいんじゃないだろうか。少なくとも彼女は神官長の命令に従っているだけで、おれ達に危害を加えようという意思は感じられない。神霊の世話役となったことを誇ってもいる。
まあ、とにかく今は大聖殿にもどらないと。
どのくらい時間がたったかはわからないし、いつ夜明けが来るかわからない。
カイが目を覚ますまでに神霊の間へ帰らなければ。
クウを背負い、夜の平原を歩く。
丘の上に大聖殿の姿がはっきりと見えはじめた頃、おれは歩みを止めた。
ここまで来たはいいけれど、どうやって中へ入ったらいいかわからなかったからだ。
まずいな。正門にしろ礼拝堂の門扉にしろ当然鍵がかけられているだろうし、通用口も閂が差してあった。大聖殿はもとは砦だったらしいから、どこかに秘密の通路的なものがあるかもしれないけど、それを探す時間はあるだろうか。
とにかく、できる限りの手は尽くそう。
おれは大聖殿へ向かって走った。
大聖殿という名にふさわしく、じつに広々とした建物だった。おれが通っていた学校の何倍もある。ぐるりと周囲を一周するだけでかなり時間がかかった。侵入できそうな場所はないか探してみたが、それらしきものはどこにも見当たらない。煉瓦造りの高い塀が大聖殿を取り囲み、さらにその上には侵入を阻むように剣山がびっしりと敷かれている。
これはまずいな。さて、どうしたものか……。
あれこれ策を考えているうちに、おれはふと思い出した。
最初にクウが目覚めた時、クウは行く手を阻むルシカを自分の言葉通りに従わせていた。
もしかしたら、他人を自分の言う通りに動かすことが、クウの神言なのかもしれない。
だとすれば、その力をうまく使えば大聖殿の中へ入れるかも。
いやいや。こんな形でクウを利用するのは、きっと間違っているはずだ。
ここはおれがなんとかしないと。
でも、他にどんな方法がある。
……だめだ。わからない。
じわじわとした痛みを頭に感じた時、少し離れたところから何かの物音が聞こえた。足音だ。
やばい、気づかれたか。
しかし足音がこちらに近づいてくる気配はない。不思議に思い、足音が聞こえた方へ静かに進む。
そこには、エポラッテがいた。
草地の上で、星々の光に照らされながら、アルゴリズムの狂ったロボットのように奇怪な動きを繰り返している。そこに何かしらのリズム的なものがあるっぽいので、たぶん、踊っているのだろう。
いや、本人は踊っていると思っているはずだ。それが証拠に、奴の表情はわざとらしく切なげで、あからさまに儚げで、見ている者に不快さと気色悪さを感じさせた。その巨大な眼球は哀しみをたたえているようで自己陶酔に満ちている。まあ、あくまですべておれの主観なんだけど。
とにかく気持ち悪かった。奴が身にまとっている赤と白のピエロ服や象の睾丸を思わせる頭部にちょこんと乗っけてある紙屑の王冠も相まって、不気味さが半端ない。
さて。見なかったことに――。
……うわぁ、目が合っちまった。
エポラッテは踊るのをやめ、そこはかとなく悲哀さを醸し出した笑みを浮かべた。そして両手を腰の後ろで組み、いじけた子どものように地面を蹴った。
「おいらはね……、まるっこいものや、ふわふわしたもの、あったかいものや甘いものが、大好きなんだ」
はあ、そうですか。
「そう。『ココロ』がね、ポカポカするものが、おいらはとってもとぉっても、好きなの。でも……なぜかしら」
エポラッテは星空を見上げ、目玉を潤ませる。
「こんなに星がきれいな夜は、なんだかとっても切なくなっちゃって、つい、カナシイ踊りを踊っちゃうんだ……」
知らん。
そんなもんを目撃したおれの方がかなしいさ。
「グスン……、イケナイよね。こんなことじゃ。おいらはユカイで可愛いエポラッテなのに。頑張れ、エポラッテ。負けるな、おいら。小さなトモダチっ!」
ああ。本当に、今日はいろんなことがあった。
だからだろう。倒れそうなほど頭が痛い。
「ところでさ、アンタはこんなとこで何してるのぉ? おいらはね、今日こそアンタといろんなこといーっぱいおしゃべりしようと思って会いに行ったのに、どこにもいなくてションボリさんになってたんだよぉ?」
「そうだ。そういえばお前はいつもどこから大聖殿の中に入ってたんだ? 教えてくれよ」
「エポポぉ? どうしてそんなことアンタ知りたいのぉ? アンタ普通に正面から堂々と入ればいいじゃないの。ただいまぁーって。うふふっ」
「それはそうなんだけどさ、今は夜だし、あんまり人に見つかりたくないっていうか」
その時、エポラッテの目玉が爛々と輝いた。




