第十八話 『ありふれた答え』
「不完全な神霊にとって、聖域に存在し続けることは負担が大きすぎる」
振り向くと、一人の少年が立っていた。
中学生くらいの年齢だろうか。来ている服も白のカッターシャツに黒いズボンというもので、中学校の夏服を思わせる。
けれど表情はだいぶ大人びていた。眼光はまっすぐで、口元は引き締まっている。口調も音の形がはっきりしていて聞き取りやすい。
「あんたは誰だ? いや、この際そんなことはどうでもいいか。この子が大変なことになってるんだ。助ける方法を知っていたら教えてくれ。頼む」
「お前は、その神霊を生み出した転世者だな」
「は……? 何を言ってるんだ?」
少年は小さくため息をつき、軽く首を振った。
「なるほど。どうやらお前達は正しい手順で聖域へ来たわけではないようだな」
そう言うと少年は女の子のほうへ目線を移した。
「その神霊を助けたいのなら、ついてこい」
少年は背を向けて歩き出す。おれは女の子を抱きかかえ、少年の後を追った。
巨大な幹線道路のわきへ進み、樹海のごとく木々が生い茂る廃墟の街を黙々と進む。
彼に聞きたいことは山ほどあった。だけど、それを聞ける雰囲気ではない。
なによりもまずはこの女の子を助けないと。
「ここがどういう場所なのか、俺も詳しいことはわからない」
迷いのない足取りで進みながら、少年は言う。
「ただ、お前達がいた世界とは根本的にことなる世界であるということと、それ故に聖域と呼ばれているということはラトナ様に教えてもらった」
ラトナ、という名前を聞いた時、なぜか頭に鈍い痛みを感じた。
「その、ラトナ様ってのは、誰なんだ?」
「……さあな。だが、最初に出会ったラトナとちがって、彼女は信用できる。なにしろ俺とあの人は、ラトナ様に救われたのだから」
「それって、どういう」
「着いたぞ。ここだ」
話を強制的に切り上げるように少年は言った。
そこは広大な湖を思わせる貯水区域だった。正六角形のプールのような貯水槽が、ハチの巣のようにずらりと連なっている。その水面には青空が映し出され、まるで巨大生物の眼球のようにも見えた。
「ここならお前達がいた世界と聖域を結びつけることができる。もといた世界へもどれば、神霊も自然と回復できるはずだ」
「そうか。なんのことだかさっぱりだけど、とにかくこの子は助かるんだな。なら早いとこ頼む」
「残念だが、今の俺には聖域と別世界を結びつけることはできない。そのために必要となる神器を持っていないからだ」
「じゃあ、結局ダメってことか?」
「お前次第だ」
少年はまっすぐにおれを見つめる。
「転世者であるお前なら、俺にとって神器となるものを導き出せるかもしれない」
少年はズボンのポケットから一枚の紙を取り出し、おれにわたした。
それはノートの切れ端で、そこには一昨年の夏にはやったドラマだか映画だかの主題歌の歌詞が書かれていた。
「この歌は……、まってくれ。どうしてあんたが、この歌を知ってるんだ?」
「お前は『ウタ』を知っているんだな。なら、それを使って『ウタ』をやってみてくれ。それができたなら、俺はお前達をもといた世界へ送り返すことができるだろう」
正直なところ、何がどうなっているのかさっぱりわからない。
けれど、この女の子を助けるためには、彼の言う通りにするしかなさそうだ。
女の子を地面に寝かし、歌詞が書かれたノートを見ながら、メロディーを思い出して歌う。
この歌は中学時代に昼休みの放送でよく聞いていたので、なんとか一通り歌うことができた。
歌い終わってからしばらくして、少年は言った。
「そうか。これが、ウタなのか。これが、あの人の……」
少年の目からは涙がこぼれていた。
彼の顔には悲しみと喜びが入り混じった、胸がいたくなるような切なげな表情が浮かんでいる。
「おい、大丈夫か?」
大丈夫、と少年はうなずく。
「目を閉じて、聖域に来る前にいた世界のことを思い浮かべるんだ」
言われた通り、おれは目を閉じて、ここへ来る前にいた世界のことを思い浮かべる。
しかし不思議なことに、何も思い浮かばなかった。
「あれ? 待ってくれ。たしか、おれがいた世界は……」
「神霊だ。神霊に触れていなければ、その記憶を引き出すことはできない」
彼が言う神霊とは、この女の子のことで間違いないだろう。
おれは女の子を抱きかかえ、もう一度目を閉じた。
まぶたの裏の暗闇に、漠然とした何かが浮かび上がる。
それは少しずつ形を整え、やがてその姿を示した。
「……カイ?」
「やっとつながったな」
その瞬間、おれは今まで忘れていたことを全部思い出した。
カイのこと、クウのこと、神霊のこと。
おれがもといた世界のことも。
そして、失われた転世の代償のことも。
「なんだよ……。こんな単純なこと、どうして今まで気づかなかったんだ」
偶然にも見つけたこの答えを忘れないよう、しっかり記憶に焼きつけなければ。
そう思ったとき、歌が聞こえた。
さっきおれが歌ったのと同じ歌を少年が歌っていた。よほどその歌に思い入れがあるのだろう。彼の歌声は繊細で、かつ魂を感じさせる力が込められていた。
やがて歌は終わった。同時に、周囲にある貯水槽の水が一気に吹き上がり、おれの視界は瞬く間に白い霧で覆われた。
「ウタを教えてくれたこと、感謝する。この恩は、いつか必ず返す」
霧の向こうから少年の声が聞こえた。
その直後、体中の感覚が消え、意識も消えてた。




