第十六話 『願いの音色』
階段には明かりらしきものがなく、入り口から入り込んでいたかすかな明かりも階段を下り始めて間もなく消えた。たぶん、入り口をふさぐように世界樹の彫像が元の位置に現れたのだろう。
それでもクウの姿を見失うことはなかった。彼女の体は、それ自体が道しるべのように淡い光に包まれていたからだ。
階段を下った先にあったのは、細長い地下通路だった。不思議なことに地下特有のかび臭さはなく、むしろ空気は清らかだった。クウが、神霊がきっかけとなって現れた通路なのだから、何か特別な力が施されているのかもしれない。
クウはこちらへ振り向くこともなく、黙々と前へ進んだ。おれはその後にひたすらついていった。
やがて、遠くにかすかな明かりが見えた。出口だろうか。やがてクウは、暗闇の中に浮かぶ光の壁とでもいうようなものの手前で立ち止まった。クウのすぐそばまで来たとき、光の壁の向こう側から話し声が聞こえてきた。
それは神官長と議長の声だった。
はっきりとした言葉は聞き取れなかったけど、口調の重さや声のトーンの低さから、何か重大な話をしているらしい。会話の内容を探ろうと、しっかり聞き耳を立てる。おれ達にとって重要なことを話しているという可能性は十分にあるからだ。
彼らが、この都がおれ達に何かを隠していることは、もうほとんど確定しているのだから。
しかし、はっきりとした言葉までは聞き取れない。なので、光の壁に直接耳を当てようと前へ出る。
その時、クウの手がおれの行く手を遮った。
クウは表情のない顔をこちらに向け、やめろというように首を横に振った。その紅い瞳は、確かな力をもっておれに訴えかけていた。
その迫力に戸惑いを感じた時、会話は終わったらしく、声にかわって遠ざかっていく足音が聞こえた。
足音が完全に聞こえなくなると、クウは光の壁へ向かってまっすぐに進む。クウの体は光の壁に入り込み、その先へと消えた。
もちろん、おれも続くしかないよな。
覚悟を決めて、光の向こう側へ進んだ。
そこは、世界樹の間だった。
中央に円形の水槽のような巨大な水鏡と世界樹、その奥には祭壇が見え、さらに奥には閉じられた扉が見えた。
振り返ると、そこには周囲と同じくただの壁が見えた。触れてみても、やはりただの壁だった。
「あれ……? ここ、どこ? なんであたし、こんなところにいるの?」
すぐ近くで、クウの声が聞こえた。見ると、おれのすぐ隣にキョトンとした顔のクウが立っていた。
「クウ。よかった。もとに戻ったんだな」
「ソウタ? え、なになに? どういうことなの? ここはどこなの? なんであたしたち、こんなところにいるの?」
混乱するクウをなだめながら、ここまでの経緯を一通り話す。
「なによそれ。つまりあたしは何かにのっとられて、ここまで来たってことなの?」
クウは心底気持ち悪そうに顔をゆがめる。
「でも、きっと何か意味があると思うんだ。なにしろこの世界樹の間は、クウとカイが生まれた場所でもあるからな」
「あたしと、カイが、生まれた場所……」
「ああ。あそこに祭壇が見えるだろ。おれは祭壇の上に立って、水鏡に姿を映し、神器の笛を吹いたんだ。そしたら水鏡の水が吹き上がって、あたり一面が霧に覆われて、それで……、気がついたら二人が現れていた」
「へえ、そうだったんだ……。ところでさ、神器の笛って、もしかしてあれのこと?」
クウは祭壇の上を指さす。よく見ると、確かに笛らしきものが祭壇の上に置いてあった。
「かもしれないな。とりあえず、行ってみるか」
おれ達は祭壇のそばまで行く。たしかに、祭壇の上に置いてあったのは、あの神器の笛だった。
「なんで神器がこんなぞんざいに置いてあるんだ?」
なんかもう、あからさまに怪しい。まるでおれ達にこれを吹けと言っているかのようだ。
ということは、おれ達が神霊の間を抜け出したことは、大聖殿の連中にばれているのだろうか。
いやしかし。だったらなぜさっさと捕まえに来ないんだ。
ここへ来ることを止めず、神器の笛も放置してある。つまり……。
これを吹くとまずいことになるんじゃないだろうか。
そんなことを考えていた、まさにその時。
クウは笛を手に取り、口に当てた。
おれが制止する間もなく、クウは笛に息を吹き込み、音を奏でた。
神器の笛から響き渡ったのは、繊細で美しい、透き通るような音色だった。夜空の星々が光の軌跡を描きながら一斉に天空を駆け巡るような、そんな神秘的な光景を思わせる。
などと感動しているのもつかの間、水鏡の水が勢いよく吹き上がった。水は真っ白な霧となり、おれとクウを一瞬で飲み込んだ。
「クウ!」
そう叫んだ直後、体の感覚が消え、その場に倒れる。
そしておれは、眠るように意識を失った。




