第三話 『水面に映る意思の姿』
信号が青にかわり、彼女は歩き出す。
少し遅れて、おれも彼女の後を追う。
住宅地からだんだん離れ、自然が多く残されている山林地帯へ入っていった。
この辺りまで来ると街灯の数も少なくなり、場所によっては完全な暗闇にのまれている所もあった。
しかし彼女は気にすることなく進む。
おれも同様に進んだ。この辺の道は最近までよく通っていたので、多少暗くても問題ない。
しかし、この場所は、まさか……。
いやな予感が頭をよぎる。
その予感は、彼女が立ち止まると同時に的中した。
そこは、県立の森林公園の入り口だった。もちろん今は閉園時間でチェーンがかかっているのだけど、彼女は当然のようにチェーンをまたぎ、堂々と園内に侵入した。
まあその、なんだ。
よくわからないけど、これは法に触れる行為ではないだろうか。
そのことを十分に踏まえ、おれもチェーンをまたぎ、彼女の後を追った。
もしも警察沙汰になったら、彼女が不審な行動をしていたので気になって追いかけていたとでも弁明しよう。それでいくらかは罪も軽くなるはずだ。
それにしても、あの学校の制服といい、森林公園といい、なぜおれに妙な因縁のあるものばかりが出てくるんだ。
彼女はいったい、なんなんだ。
疑問を抱えるおれとは無関係に、彼女は先へ先へと進んでいく。
第一駐車場を抜け、噴水広場を進み、森の文化会館のそばを通って、なだらかに広がる芝生広場に出た。広場の奥には人工の池がいくつかあって、池の水面は巨大な水鏡のように星空を見事に映していた。
もしかしたら彼女はこれを見に来たのかもしれない。
そんなことを考えながら、所々に植えられている木の陰に隠れつつ尾行を続ける。
彼女は一番手前にある池のそばへ進むと、そこで突然立ち止まった。
おれはとっさに木の陰に身を隠す。
それとほぼ同時に、声が聞えてきた。
「おい、そこでこそこそ隠れとるやつ、出てこいや」
明るくも不思議な力強さを感じさせる声だった。この地域で関西弁というのも珍しい。
いやそれよりも、これは明らかにおれに対する言葉じゃないか。
どうやら尾行しているのがばれたらしいな。
「お前やお前。コンビニ出た時からずっと自分のことつけとったやろ」
最初からばれてんじゃねえか。
仕方ないと観念し、おれは木の影から出て、仁王立ちしている彼女と向かい合った。
「悪気はなかったんだ。こんな時間に一人で出歩いているのを見て、どうしたんだろうって気になって、本当にそれだけなんだ」
「そういうあんたこそ、なんで夜中に一人で外を出歩いとったんや」
「ちょっと簡単には説明できないな。いろいろあってこうせざるをえなくなったっていうか、家とは少し距離を置く必要ができたっていうか」
「はっきりせん言い方やな。要するになんやかんやあって家飛び出してきたってことか」
「ざっくり言うと、そんなとこだ」
「で、どこにも行くあてがあらへんから、適当にぶらぶらしとったと」
「まったくもって、おっしゃる通り」
すると彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。
「どんぴしゃや。自分はな、あんたみたいなんを探しとったんや」
「どういうことだ? 何が目的で、そんなことを」
「その質問に答えるには、もうひとつこっちの質問に答えてもらうで。あんたはこんなこと考えとったんちゃうか。もうここにはおりたない、どっか別の世界に行って新しい人生を歩みたいって、そういうことを考えとったやろ」
「似たようなことはちらっと考えたけど、それが何か関係するのか?」
もちろんや、と彼女は得意げな表情を浮かべ、張り切るように胸をそらせる。
「聞いて驚け。自分はな、見た目通りの可愛らしい美少女やない。その正体は異なる世界を結び自由に行き来することのできる『転世』の力を司る転世神、ラトナ様や」
「そ、そんな! そんなバカな……」
「ふっふん。あまりの超展開に驚きを隠しきれんようやなあ」
「自分で自分のことを美少女だと? そんなちんちくりんの、うっっっすい胸で」
「って、そっちかい!」
ラトナの怒声が聞えると同時に、おれの下腹部に衝撃と激痛が走る。
ラトナが一瞬のうちにおれの懐に潜り込み、強烈なボディブローを打ちこんだのだ。
崩れ落ちるように地面に倒れながら、うそだろと心の中でつぶやく。
おれとラトナの間にはそれなりに距離があったはずだ。
なのに瞬きする間もなく、瞬間移動でもしたかのごとく攻撃できるなんて。
人間業じゃねえぞ、マジで。
「ったく、ちゃうやろが。もっと大事なとこが、後半にあったやろが」
ラトナはおれの胸ぐらをつかみ体を軽々と持ち上げ、ドスのきいた声を出す。
いや、ちゃんと聞いてはいたさ。その上で無視したんだ。
だって自分のことを神だとか言っちゃうなんて、どう考えてもヤバいだろ。
「それとな、次に自分のことをちんちくりんや言うたら……どうなるかわかっとんな」
はい、とおれはうなずく。
ラトナは小さく鼻を鳴らすと、胸ぐらから手を離した。
「体型のことは謝るけどさ、神様云々ってとこは、普通信じられないだろ」
「信じる信じひんは別にして、事実は事実や。今の自分はな、別世界へ行きたいって願望を持っとるもんが引きつけられるよう性質を設定しとんねん。あんた、自分を一目見た時なんや普通やないもんを感じたやろ。せやから自分についてきた。ちゃうか」
「いや、その通りだな……」
「もっというたら、あんたは誘い込まれたんや」
「でもさ、おれは死んでまで別世界に生まれ変わりたいって思ってるわけじゃないぞ」
「ちゃうちゃう。自分が言うとんのはな、生まれ変わりの転生やない。別の世界へ転移する『転世』のほうや。生まれ変わりの転生もできるっちゃできるけど、合意とはいえ人を殺さなあかんから好きちゃうねん。あんたもトラックにぶっ飛ばされてひき肉になるんは嫌やろ」
「そりゃそうだ……それで、別の世界に行きたいと思っているおれの前に、転世神とやらが現れたってことは、おれを別の世界へ転世させてくれるってことなのか?」
「そいうこっちゃ。このところとある世界で転世者をほしがっとるところがあってな、それで適当なやつはおらんかと探しとったんや」
「そんな、バイトじゃあるまいし……」
「で、どないやねん。あんたは転世したいんか、したないんか」
ラトナの両目がおれの目をまっすぐに見すえる。
彼女の金色に輝く瞳は、おれの心の奥底を見通すがごとく、異様な力を感じさせた。
ラトナはわずかに表情をゆるめると、くるりと背を向けて池のほうに歩き出した。
「ま、無理にとは言わん。どんな運命を目指すかは自分自身で決めることやからな。別の世界に希望や可能性を求めて踏み出すもよし、ここに残って両親の言いなりのまま己の意思を殺して生きるもよし、どっちを選ぶんも選ばんのも、あんたの自由や」
「どうして、そのことを――」
おれは思わず言葉を切る。
静止している水面の上を歩くラトナの姿が目に映ったからだ。
ラトナは池のまん中あたりまで進むとこちらへ振り返った。
「ソウタ」
ラトナは、教えていないはずの、おれの名を言った。
「あんたに運命を選ぶ覚悟があるんやったら、行動でそれを証明してみい」
おれはラトナの言葉に引き寄せられるように…………。
いや、これは卑怯な言い方だ。
おれはおれの意思に従い、挑むような覚悟をもって、ラトナのもとへ歩き出した。