第十三話 『城壁が隔てるは』
城壁の内側から見えたのと同じ透き通るような青空が、城壁の外にも広がっていた。
春を思わせる暖かな日差しも、豊かな緑の香りを運ぶ心地よい風も、灰色の城壁によって隔てられてはいなかった。
けれど、明白なちがいが城壁の内側と外側には存在していた。
城壁の外側の世界。それは、内側の繁栄と平穏が夢幻と思えるほどに荒れ果てた世界だった。
見渡す限り、はるか遠くの山々まで荒野が広がっていた。もっとも一面が不毛の土地というわけではなく、ところどころに農作物らしき植物の姿が見える。前もってここが農業地区だと知らされていなければ自生している草むらにしか見えないようなものだったが、その周りには農作業に取り組んでいる人々の姿が見えるので、おそらく農作物なのだろう。しかし収穫率はものすごく悪そうだ。土地の質が悪いのか、作物の品種が悪いのか、あるいはその両方か。
なんというか、農業地区というよりは懲罰を目的とした強制労働の現場にも見えてしまう。
働いている人々の姿も、城壁の内側とはまるでちがっていた。誰もが薄汚れたぼろきれのような服を着て、ただ黙々と農作業に従事していた。よく見ると、手首には枷のようなものがはめられている。体は病的にやせ細り、顔色は悪く、そのくせ眼光だけはぎらついている。
大人たちに混じって農作業を手伝っている子ども達も、飢えと貧困にまみれた見るも哀れな姿をしていた。
これはいったいどういうことだ。
城壁の内側と外側とでは、まるで別世界じゃないか。
農地の真ん中には城門へむかってまっすぐに通っている道がある。その道だけはきれいに舗装されていた。都の大通りと直結しているらしく、道幅はかなり広い。道の向こう側には、何台もの荷車を引いてこちらへと進む隊商の列が見えた。
「なんか、雰囲気が全然ちがうんだけど……」
ルシカのほうを見ると、彼女は気まずそうに目線をそらした。
ふと、カイのことが気になり様子をうかがう。
カイは何かにおびえるように固く目を閉じ、両手で頭を押さえていた。
「大丈夫か、カイ」
カイは黙って頭を小さく横に振った。
「ルシカ。悪いけどすぐこの場から離れてくれ」
「それはできかねます。農業地区の巡礼を終えるまでは、戻ることはできません」
「……時間はどのくらいかかるんだ?」
「城壁を一周すれば巡礼は終わります。日が沈む直前には終わるかと思います」
「ソウタ」
カイは震える声で言うと、おれの顔を見上げた。
「だいじょうぶ」
明らかに大丈夫ではない表情と顔色でカイはそう言った。それでもカイは決意を固めた目をしていた。
その決意を尊重すべきだと思い、おれは「わかった」とうなずいた。
「でも、本当に辛くなったら絶対に言ってくれ。カイの身に何かあってからじゃ、取り返しがつかないからな」
わかった、とカイはうなずく。馬車は自転車ほどの速さで走り始めた。
しばらくの間、おれは馬車の窓から見える景色を眺める。しかし、すぐに飽きた。いくら進んでも、見えるもの同じようなものばかりだったからだ。
荒れ果てた不毛な土地。
農業に従事する痩せこけた大人。
飢えと渇きの化身のような子ども達。
とてもじゃないが、同じ都に暮らしている人間とは思えない。
ただ、ひとつだけ同じことがあった。それは、彼らも城壁の内側の人々と同じくこちらに向かって祈りを捧げることだった。
野良仕事の手を止め、無気力な子ども達の手を引き、鋭い眼差しをこちらに向けて。
「どうして、同じ都に住んでいるのに、こんなにも扱いがちがうんだよ」
「都が無事に神霊をいただければ、彼らの暮らしも豊かになります」
その根拠を聞こうと思ったが、ルシカはこれ以上は話したくないというように窓の外へ目を向けていた。
おれは語るべき言葉を見つけられないまま、巡礼が終わるまで馬車に揺られていた。
日が傾き始めた頃に、おれ達は巡礼の出発点になった城門の反対側にあるという城門に到着した。都はおれが想像している以上に広大なものらしい。
馬車はそのまま城門をくぐり、門扉は固く閉じられた。おれはルシカに頼み、カイを連れて外へ出た。思えば大聖殿を出てからずっと馬車に座りっぱなしだった。そのたため、体の節々がすっかり凝り固まっていた。
夕暮れ時の少しひやりとした空気を吸いながら、ゆっくりと体を伸ばす。
カイはおれのそばに立ち、ぼんやりとした目を茜色に染まる空へ向けていた。
ルシカもこちらに来て、おれ達に労いの言葉をかける。
「お疲れ様でした、ソウタ様。カイ様」
「昨日とはちがう意味で疲れたよ。まさかとは思うけど、明日もここを巡礼するなんて言わないよな?」
「それはわかりかねます。神官長がどのような御神託を頂くかは、その時にならなければわかりませんので」
その御神託とやらは誰が下しているのか。ぜひとも問いただしたいところではある。
「それと、ソウタ様。本日は最後にソウタ様とカイ様にお越しいただきたい場所があるのです。これは私の個人的な頼み事なのですが、それでもどうか、お二人に来ていただきたい場所なんです」
切実な口調でルシカは言う。
どうしたものかなとカイのほうを見ると、カイは疲れ果てた表情を浮かべながらも小さくうなずいた。
「わかった。昨日はおれの頼みも聞いてくれたし、そのお礼ってことで」
ありがとうございます、とルシカは深々と頭を下げた。




