第十話 『生きることの喜びは』
この世界に新しい一日の始まりを告げるように、東の空に太陽が姿を見せた。清らかで輝かしい朝日の光が神霊の間に差し込み、寝台で眠るカイとクウを照らす。日の光を受け、カイの銀色の髪とクウの金色の髪はそれ自体が発光するように輝いて見えた。
小さなことだけど、おれはそれだけでこの二人が人間以外の存在であることを改めて感じとった。
東の山の尾根から太陽が完全に姿を現すと同時に、日の出を告げる鐘が鳴る。朝焼けの空へ向かって天高くどこまでも鳴り響こうとするように、鐘の音は高く、透き通っていた。
やがて鐘の音は朝の爽快な空気と調和するように消えていく。鐘の音が完全に消えた頃に、カイが目を覚ました。
「おはよう、カイ。よく眠れたか?」
「……あんまり。今日も、昨日と同じことするの?」
「そうなるだろうな」
カイは今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにした。
「ぼく、もう一回ねる」
そう言うとカイは寝転がり、シーツを引っ被った。
「こらこら。子どものうちから二度寝なんてするもんじゃない。それより、カイに見せたいものがあるんだ」
おれはノートを取り、クウがカイを描いたページを開く。
「なに、これ?」
「クウがカイを描いてくれたんだ」
「クウが、ぼくを? これ、ぼくなの?」
カイは寝台に座り、じっとクウが描いた絵を見る。
そういえば、カイは自分がどういう姿をしているのか知らないんだった。自分を描いた絵を見せられても、困惑するだけかもしれない。
しかし、次にカイが見せた反応は、いい意味でおれの期待を裏切るものだった。
「……うれしい。クウはぼくのこと、ちゃんと見ててくれたんだ」
そう言ってカイは笑った。普段は困惑や不安といったマイナスの表情しか見せないけれど、こういう時にカイはとても幸せそうに笑うのだ。
クウとの結びつきが、絆が感じられた時に、カイは幸せを感じるのだろうか。
「でも、どうしてクウはぼくをかいてくれたの」
「それにはいろいろと事情というか、紆余曲折があってな……」
おれはカイに昨夜のことを話し、カイにも読み書きができるかどうかを試した。
結果はクウと同じだった。文字を理解できないこと、言葉と文字と声がどこかで混同してしまうこと、そして、絵なら理解できるということ。
やはり神霊には、言語を人間並みに理解したり、利用したりすることができないのかもしれない。
「ソウタ。ぼくも、絵をかいてみたい」
わかった、とカイに鉛筆とノートを渡す。カイは寝台に座ったまま、真剣な表情で絵を描き始めた。
思えば、カイが自分の意思で何かをしたいと言い出したのはこれが初めてかもしれない。
目が覚めてから、カイはずっとまわりの意見に従うだけで、自分の意思を示すことができなかった。いや、こういう言い方はカイに失礼だな。カイはずっと自分の意思を示していたんだから。
人前に出たくない。外に出たくない。
ちゃんと自分の思いを言っていた。それを無視してこっちの都合がいいように無理矢理動かしてきたんだ。おれがなんだかんだと理由をつけて、理屈をこねて頼み込み、最終的にカイの心を従わせてきた。
なんだか、おれはカイにとってすごく嫌な人間なんじゃないだろうか。
大聖殿の連中の指示に従うことがカイとクウを守ることにつながるとはいえ、結果としておれは二人の気持ちをずっと無視していた。
それが二人にとって、本当にいいことなのだろうか。
……考えても、納得のいく結論は出てこない。
情けないことに、おれ自身にも選択肢がないのだから。
おれはカイから少し距離を取り、寝台に腰を下ろして、絵を描き続けるカイを見守る。
カイの表情は真剣そのものだったが、それでも彼の青い瞳は生き生きと輝いているように見えた。
もしかしたら、カイは絵を描くのが好きなのかもしれない。
だとしたら、今この時間を大切にしよう。この世界に生まれて、彼が初めて楽しいと感じられるものに出会えたのかもしれないのだから。
「できた! ねえ、ソウタ。どうかな?」
カイは少し興奮した表情でノートに描いた絵を見せる。その絵を見て、おれは息をのんだ。
そこに描かれていたのは、大聖殿の正門前から見た風景だった。なだらかに広がる丘、都の街並み、はるか遠くに連なる山々。それらすべてが、まるで写真のごとく正確に描かれている。
実際の風景を見ずに、しかもこんな短時間に、ここまでのものを描くなんて……。人間業とは思えない。いや、人間じゃないけどさ。
なんというか、まるで、記憶にある風景をそのまま紙に映し出したような絵だった。
「すごいな。たいした才能だ。おれがいた世界なら間違いなく全国コンクール入賞ものだ」
「ほんと? じゃあクウも、すごいって思ってくれるかな」
「きっと思ってくれるさ」
カイは照れくさそうに笑った。
「そうだ。せっかくだから、カイもクウを描いてあげたらどうだ? そうすればクウも喜ぶと思うぞ」
わかった、とカイは鉛筆を取りノートを持ってクウと向かい合う。カイは眠り続けるクウをじっと見つめていたが、しばらくしてノートと鉛筆を手放した。
「どうした、カイ」
「……わかんない。でも、手が動こうとしない」
「どういうことだ?」
「わかんない。わかんないけど、たぶんぼくは、クウの絵をかけない」
カイはこちらに顔を向ける。その顔は明らかに困惑し、かすかな恐怖すら訴えていた。
「ぼく、クウをかきたくないわけじゃないよ。でも、でも……」
「わかった。無理することはない」
おれも何が何やらさっぱりわからなかったが、とにかく今はカイの不安を取り除くのが先だと考えた。
「大丈夫だ。そのうち何かのきっかけで描けるようになるさ」
「ぼく、クウの絵は好きだよ」
まるで自己弁護するように切実な声でカイは言う。
「クウの心が伝わってくるようで、見ていてすごくうれしいんだ」
「ああ。わかってる。クウにもちゃんと伝えておくから」
カイの不安をやわらげるように、おれはカイの頭をなでる。
しかし、心が伝わってくる、か……。
さっきのカイの言葉が、おれに何かの活路を示したような気がした。
文字でのコミュニケーションが無理でも、それ以外の方法で二人を結びつけることができるかもしれない。
そこまで思考が働いたところで、扉をノックする音が聞こえた。
今日という日が、はじまる。




