第八話 『最初の一歩』
エポラッテの意図は不明だが、結果として最悪の状況をつくっていったことは確かだった。
いや、もう奴のことは考えるな。
おれは覚悟を決めて、クウと正面から向かい合う。
クウは両手を固く握り、爆発寸前の感情をおさえこむように体を細かく震わせていた。彼女の紅い瞳は、まっすぐにおれに向けられている。
こうなった以上、ごまかしはなしだ。誠意をもって事実を伝え、そのうえでクウの心をぶつけてもらうしかない。
「たしかにあいつの言う通り、今日の正午におれとカイはルシカと一緒に都へ出た。いろんなところを見て回った。でもそれは、巡礼っていう仕事だったんだ」
「仕事でも、外に出られたんでしょ。楽しい思い出だって、いっぱいできたんでしょ」
「それはちがう。カイは人前に出るのがすごく苦手なんだ。巡礼の前、午前中には礼拝っていう仕事があって、カイは望んでもないのにたくさんの人の前にでることになったんだ。その疲れがとれないうちに、ほとんど強引に都へ引きずり出されたんだよ。カイの寝顔を見てくれ」
クウは寝台のほうへ歩き、そこで眠っているカイの寝顔を見る。
「……でも、やっぱり、ずるいわよ」
クウは再びおれと向きあう。
「たしかに大変だったかもしれないけど、でも、カイは外に出られたんでしょ? いろんな人にも会えたんでしょ? 私だって、外に出たい。いろんな人に会いたい。私だって、外の世界を知りたいよ……」
クウはその場に足を折って座り込み、顔をうつむかせる。
「ごめん、クウ。でもいつか、クウだって外へ出られるようになるさ」
「なに言ってんのよ。昨日、へんなお面つけたやつが言ってたじゃない。あたしを外に出さないって。あたしにはそんな自由も、権利もないって。なによ、それ。なんでそんなこと、勝手に決められなくちゃいけないのよ」
クウは嗚咽を漏らしながら、手の甲で顔をぬぐう。
誰かに自分の運命を理不尽に決定される。
その苦しみはよくわかる、とクウに言う資格は、きっとおれにはないのだろう。
どんな言葉をかければいいのかさえわからない自分が、とても情けなく、みじめだった。
「もういや……。わけわかんない。なによ、なんなのよ。あたしはずっと、ここから出られないの? どこにもいけないの? じゃあどうして、あたしは生まれてきたのよ。こんなの、生まれてきた意味なんてない。死んだほうが、ずっとマシじゃない!」
「そんなことない!」
突然の大声に、クウはビクッと体を震わせ、顔を上げ、涙にぬれた目をおれに向ける。
怒鳴るように声を出すつもりはなかった。
それでもおれは、さっきのクウの言葉は否定したかったんだ。
生まれてきた意味がないなんて、言ってほしくない。
死んだほうがマシだなんて、思ってほしくない。
おれとクウが関わった時間なんて、まだほんのわずかだ。クウのことを何もかも全部わかっているなんて言えはしない。彼女が感じている苦しみがどれほどのものなのかも、わからない。
だからおれは、願うしかなかった。
生きてほしい。
生きて、幸せになってほしい、と。
「クウ、落ち着いて聞いてくれ。望みがないわけじゃないんだ。クウとカイが完全な神霊になって、この都の守り神になれれば、二人の安全は保障される。もう誰も、クウの邪魔をしたりはしない」
「ほんとう、なの? あたしが完全な神霊になったら、本当に誰もあたしのじゃまをしないの?」
「ああ、もちろんだ」
「そしたらあたしは、ここから出られるの? 外の世界へ出られるの?」
「完全な神霊になれたなら、きっと外の世界へ出られるようになる」
卑怯だとわかっている。おれが言ったことには、ほとんど何も根拠がない。唯一、ラトナが言っていた安全が保障されるというところくらいしか確信は持てなかった。
だけど、その可能性が完全にないわけじゃない。可能性は存在するはずだ。
なら、それにかけてみてもいいじゃないか。
希望を信じたって、いいじゃないか。
それすらも否定してしまったら、それこそ生きている意味もないし、死んだ方がマシってもんだろうよ。
クウはおれの言葉の真贋を確かめるように目を閉じる。
やがてクウは立ち上がり、目を開けて、堂々とした表情をつくった。
「なら、完全な神霊になるための方法を教えなさいよ。さっさと完全な神霊になって、こんなとこおさらばしてやるんだから」
「いつもの調子がもどってきたな。よかった」
うっさい、とクウは頬をふくらませる。
「ラトナの話だと、クウとカイが絆で結ばれ合うことが完全な神霊になるための条件なんだ。そのためには、おれがこの世界へ転世するために失った『転世の代償』とやらを取り戻すことが鍵になるらしい」
「それって、つまりソウタ次第ってこと?」
「で、それに関してはまったく何も思い出せない。完全なお手上げ状態だ」
「なによそれ! それじゃ、あたしががんばろうにもがんばりようがないじゃないの!」
「まあ落ち着いてくれ。あくまでも鍵になるってだけだ。ようはクウとカイが互いに意思疎通ができればいい。そうすれば二人の間に絆が生まれるはずだ。そのために、これをルシカに用意してもらったんだ」
おれはルシカが届けてくれた紙袋を取り、中身をクウに見せる。それを見て、クウは不思議そうに首をかしげた。
「なに、その木のぼうと紙のたばみたいなの」
おれが取り出したのは、鉛筆とスケッチブックのような無地のノートだった。
「これを使ってクウからカイへ、そしてカイからクウへと互いにメッセージを書きあうんだよ。交換日記みたいなもんだな。これなら直接会話ができなくても、コミュニケーションをとれるだろ」
誰でも思いつくことだろうが、それでも何もしないよりはマシだ。
クウは鉛筆とノートを受け取り、目を瞬かせる。
「……ねえ、ソウタ。これをどうすればいいの?」
「いやいや。普通にノートにメッセージを書けばいいんだって。こんなふうに」
おれはクウから鉛筆とノートを借り、ためしに「こんにちは」と書く。
「こうやって文字を書くんだ。さあ、やってみてくれ」
クウに鉛筆とノートを渡す。しかしクウは明らかに困惑した目をおれに向けた。
「ソウタ。『モジ』って、なに?」




