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いつか、おなじ空をともに  作者: 青山 樹
第二章 『この世界に生まれたから』
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第五話 『命をいただくために』

 腹が減っては戦はできぬ、という言葉は誰でも知っているだろう。

 人間、なにはともあれ腹が減っていると思うように動けないものだ。なにかを成すにはまずしっかりとものを食って、活力を得なければならない。

 しかし、ルシカが持ってきてくれた食事はむしろ活力を奪うようなものだった。やたらと固くて何の味もしないパンらしきものと、野菜屑を適当にぶち込んだだけのスープという、家畜のエサを人間ように盛り付けたとしか思えない代物である。前回と同様だった。

 大聖殿のやつらは何を考えているのだろう。仮にも神霊とその生みの親に対してこの待遇はないだろうに。二人が完全な神霊になったら、この食事を考えた奴に神罰をくらわせてもらうとするか。

 あるいは、この世界ではこれが普通なのかもしれない。

 よくよく考えれば、おれはまだこの世界に来てから大聖殿の外へ出ていないのだ。この世界の基準を何も知らないのに、勝手にあれこれと悪い妄想を膨らませるのもよくないだろう。

 とりあえず、用意されたものは食うしかない。食べ物を粗末にするのはよくないというのが、おれがもといた世界の常識である。

 ふと、カイのほうを見る。カイはパンを少しかじり、スープを一口飲むと、もういらないというように下を向いた。


「どうした、カイ。もうおなかいっぱいになったのか?」


「……おいしくない。いらない」


 おいしくない、ということは、味覚の基準はおれとほとんど同じということだろうか。


「こんなの、人間の食べ物じゃない。家畜のエサだよ」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って。カイ、そういうショッキングな言葉はなるべく使わないで? うん、その可愛いお口からそんな乱暴な言葉が出てくるなんて、けっこう衝撃だったよ?」


「でも、ソウタだって、おいしくないって思ってるでしょ」


「まあ、おれがもといた世界で食ってた料理と比べればな。でも、おいしくないからって残すのはよくないぞ。食事ってのは、自分以外の命をいただくものなんだ。動物であれ植物であれ、命を捧げてくれたものには感謝しなくちゃいけない。だから残さず食べなくちゃいけないんだ」


「ねえ、ソウタ。イノチって、なに?」


「へ?」


 やばい。そんなことを聞かれるなんて予想外すぎる。

 いやいやいや。命ってなにって。命は命だろ。いや、これじゃ答えになってないか。

 うーん。改めて聞かれると、困るな。

 なんか……、いかに自分が命を軽く見ていたかを思い知らされているようで、つらいな。


「簡単にいうとだ、一度失われたら二度と元にはもどらないものだ。命が失われたら、それは死ぬってことだからな」


「どうして、もとにもどらないの?」


「それは、そういう、ものというか……、決まりというか」


「死ぬって、かなしい?」


「まあ、普通はな。とくに自分にとって大切な人が死ぬのは、とてもかなしい」


「じゃあ、この食べ物も、食べられたら、誰かがかなしいの?」


 正直なところ、カイが何を言っているのかはうまく理解できなかった。

 それでも彼が自身の死生観について何らかの答えを導こうとしていることはわかった。


「おれは動物や植物の気持ちがわかるわけじゃないから、何とも言えない。でも、この食べ物たちだってもとはおれやカイと同じように命を持った生き物だったんだ。だから、その命を大切に思う誰かがいても不思議じゃない。だから、食べ物は粗末にしちゃいけないんだ。おれ達は誰かの命を奪って生きている。それを忘れないためにな」


「そうまでして、生きる理由って、あるのかな……」


 見た目小学生くらいの子どもなのに、なんてめんどくさい、じゃなかった、哲学的な思考を持っているんだ。本当におれが生み出したのか?


「おれはカイに生きてほしい。もちろん、クウだってそう思ってるさ」


 カイはおれをじっと見て、小さくうなずき、再び食事にとりかかった。

 おれは心地よい満足感を感じながら食事を続ける。

 その時、ふと思い出した。

 さっきおれが言ったことは、ずっと昔におふくろがおれに言ったことと同じだということを。


 それからしばらくの間、カイは食事を続けた。しかし三分の一ほど食べたところで手を置いた。


「もう、これ以上、食べられない……」


 それはたんに好き嫌いというよりも、おなかがいっぱいで食べられないという感じだった。

 前にも言っていたが、あまり食事をとる必要を感じていないのかもしれない。やはり神霊と人間とでは食事のありかたもちがってくるのだろう。だとすれば、無理に食べさせるわけにはいかないな。


「わかった。じゃあ残りはおれが食べるよ」


 正直なところ、おれもこの食事は苦痛だった。

 それでもカイにあれだけえらそうなことを言った手前、逃げるわけにはいかないのである。


 食事がすんでしばらくした頃に鐘の音が鳴った。それを待っていたようにルシカが神霊の間に現れる。


「定刻となりましたので、お迎えにあがりました。お二人とも、準備はよろしいでしょうか」


 おれはカイの手をしっかりとつなぎ「大丈夫だ」と答えた。

 それを聞いて安心したらしく、ルシカは表情を和らげる。


「それでは礼拝堂へ向かいましょう。ご案内いたしますので、私についてきてください」


 ルシカはくるりと背を向けて歩き出す。


「よし。そんじゃ行くか」


「うん……」


 カイはおれの手を強く握る。彼の手は汗ばんでいたが、以前のように燃え盛るような熱は感じさせなかった。


 階段を下りたり廊下を歩いたりを何度も繰り返し、おれ達は礼拝堂に到着した。大聖殿の礼拝堂、という言葉を聞いた時から、おれは欧州にある巨大な教会の礼拝堂のようなものを想像していたが、礼拝堂はそれとほとんど同じような造りのものだった。

 礼拝堂は大理石のような石材でつくられた荘厳な施設で、はるか高い場所にアーチ状の天井が見えた。

 幾何学的に配列されたいくつもの天窓からは朝日が織りなすように差し込み、礼拝堂の中に光と影が調和された独特の雰囲気を演出している。さらに天井や壁には、宗教的なモチーフと思われる壁画や彫刻が随所にあしらわれていた。

 まるでこの建物自体が巨大な宗教的装置であるかのような印象を受ける。

 礼拝堂の奥にはピラミッド状の台座が設置されていて、その頂上に玉座のようなものが置かれている。

さらにその玉座の背後には、世界樹と思われる樹木の彫刻が飾られていた。世界樹の間で見たものと、大きさはほとんど同じに見える。

 この大聖殿はもともとは砦だったらしいけど、この礼拝堂だけは新たに増築されたものなのだろうか。


「ソウタ様、カイ様、ただいまより開扉致しますので、拝殿の座へお立ちください」


 ルシカに言われ、おれとカイは台座の上へ、つまり拝殿の座へ進む。カイを玉座っぽい椅子に座らせ、おれはその隣に立った。拝殿の座からかなり遠く離れたところに巨人が身をかがめて入れそうなほど大きな両開きの扉があり、何人もの憲兵たちが号令のもと扉をゆっくりと開ける。

 扉が完全に開くと同時に、大勢の人々が礼拝堂の中へ入って来た。老若男女を問わず多くの人が礼拝に来ているのがわかる。そして誰もが、昨日の件があったにも関わらず妙に明るい顔をしていた。

 一方で、玉座に座っているカイはすっかりおびえているらしく細かく体を震わせていた。彼の柔らかなつくりの顔はガチガチに固まり、青い瞳は今にも泣き出しそうに涙をにじませている。


「大丈夫。誰もカイを傷つけようなんて思ってないさ」


 おれはカイの肩をかるくたたく。

 うん、とカイはかすれた声をだした。手のひらに感じるカイの震えが少し和らいだような気がした。


「ソウタ様。どうか神霊にお手を触れないようお願いします。今は礼拝中ですので」


 おれの隣にいたルシカが小さな声でいう。


「いや、でもさ」


「お願いします。ソウタ様」


 真剣な声でルシカが言う。何か事情があるのだろうと思い、おれはカイの肩から手を離した。

 礼拝に来た人々はルシカの指示に従い一人ずつ順番に拝殿の座へ上がって、カイの前でひざまずき祈りをささげた。これが礼拝らしく、正午の鐘が鳴るまで同じことが延々と繰り返された。

 礼拝に来た人々は、みな口々にこう言った。


「神霊様。どうか私共の都をお守りください」


「神霊様。都に生きる私共に、どうかご加護を」


「神霊様。夜の暗闇が私共を脅かすことがないよう、どうか明るく絶えることなくお照らし下さい」


 神霊様、神霊様、神霊様……。


 こんなことばっかりである。おれはカイのそばに立っているだけだったので、正直退屈この上なかった。こんなことを朝から正午までやるのは、それはもう苦行の域だった。

 あまりの退屈さに、おれの意識はだんだんと遠のきはじめる。この時、おれは人生で初めて『立ったまま寝る』という神秘体験へ突入しようとしていた。


「まあ、ぼちぼちがんばりや」


 いやもう、一瞬で意識が戻ったね。別世界で関西弁をしゃべる奴がいるわけない。

 いるとすれば、それはもう、あいつしかいないじゃないか。

 おれの意識が礼拝中のカイへ向かった時、すでにそこにはそれらしき姿は見当たらなかった。

 けれど、今の声がラトナの声であることは一切の疑いの余地がなかった。

 あいつもちょくちょく、おれ達の様子をうかがいに来ているということだろうか。


 やがて正午を告げる鐘が鳴り、礼拝は終わった。礼拝堂にはまだたくさんの人が残っていたが、彼らは不満がることなく帰っていった。

 昨日と同じようにカイが混乱して彼の神言が暴発しないかどうか心配だったが、それは杞憂に終わったようだ。カイは終始緊張状態にあったものの、取り乱すことなく無事に礼拝を続けることができた。

 最後の一人が出ていき、扉が憲兵たちによって閉じられたとき、カイは力が抜け落ちたように玉座に深く身を沈めた。


「おつかれさま、カイ。よくがんばったな」


「うん。ぼく、がんばったよ。ソウタ」


 カイの顔は疲れ切っていたが、それでも達成感のある笑みが浮かんだ。


「お疲れ様でした、カイ様。それでは引き続き、都への巡礼へ参りましょう」


 ルシカが優しく言う。言ってることは全然優しくないが。


「ソウタぁ……」


 カイは目に涙をにじませ、すがるような視線をおれに向ける。


「なあルシカ。せめて少し休ませてやってくれないか。これじゃカイがもたない」


「申し訳ありませんが、それは許可できません。すべては神官長が授かった御神託によるもので……」


「待ってくれ。ラトナはそんなに細かく御神託をだしたりは――」


「その名を口にしないでっ!」


 ルシカが叫ぶ。

 この時、おれは初めて彼女の本当の言葉を聞いたような気がした。

 彼女自身もその自覚があるらしく、かなり困惑した様子で言う。


「失礼、いたしました。ですが、これは本当に、御神託で……。とにかく、正門前に車を用意しています。すぐにお越しください」


 そう言うとルシカは足早にこの場から去った。

 にしても、ラトナの名前を聞いた時のルシカの動揺ぶりはなんだ。あいつマジでこの世界に何か天災的なことでもやらかしたんじゃないだろうな。


「ルシカさん、どうしたのかな」


「わからん。けどとりあえず、おれ達も行かなくちゃいけないみたいだ。カイ。大変だと思うけど、もう少しだけがんばれるか?」


 カイは悩むように下を向く。それでも、答えは一つしかないと彼にもわかっているのだろう。

 やがてカイは顔を上げ、おれのほうを見た。


「ソウタも、いっしょだよね?」


「ああ。もちろんだ」


「……うん。わかった。ソウタといっしょなら、がんばる。ソウタの言うとおりにする」


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