第三話 『神言』
クウの視線の先に立っていたのは、ルシカだった。
この時間まで神官としての仕事をしていたのだろうか、彼女はいつもと同じ修道服のような衣装をまとい、首元には黒い石がついた銀のネックレスをかけている。
「な、なによ。あたしになんか用なの?」
「クウ様。あなたをこの大聖殿の外へ出すわけにはいきません」
ルシカはクウの正面に立ち、静かな眼差しを彼女に向けた。その眼力に気圧されたのか、クウはわずかに身をたじろがせる。
とにもかくにもクウを取り押さえるチャンスなので、おれは二人のもとへ駆け寄った。
「助かったよ、ルシカ。ちょうどいいタイミングで来てくれたな」
「カイ様とよく似た神霊の力を感じまして、もしやと思い駆けつけました」
なるほど、とおれはうなずく。
しかしそれだと、どうしてクウの名前がルシカの口から出てくるのだろうか。
ついさっきここへ駆けつけたばかりなら、おれとクウの会話は聞いてないはずなのだけど。
まあ、この際それはいいか。とにかく今はクウをなだめることを優先しよう。
クウのそばへ行き、できる限り優しく彼女の両肩をつかむ。しかしクウは強引におれの手を振り払い、ほとんど叫ぶように言った。
「なによなによなんなのよ! ここを出るって言ってんでしょ! あたしの好きにさせなさいよ!」
「いいえ、クウ様。あなたの好きにさせるわけにはいきません」
「うっさい! バカ! いいからどきなさいよ、どけって言ってんでしょ!」
クウは腹の底から声を張り上げた。見た目は小学生くらいの子どもなのに、その声には思わず震えてしまうほどの迫力がある。ルシカもそう感じたのだろうか、彼女の表情が一瞬かたまった。
しばらくの沈黙のあと、ルシカは言う。
「はい。わかり、ました……」
突然のルシカの変化に、おれとクウは「え?」と驚きの声を上げた。
「へ? ちょ、いいの? ほんとに出てくわよ?」
「かまいません。クウ様が、そう、望まれるのなら、私は、クウ様の、お言葉に、従います」
この時になって、おれはやっと気づいた。
今のルシカは普通の状態じゃない。声は虚ろだし、目の焦点は定まっていなかった。表情もどこかぼんやりとしていて、まるで催眠術にかけれられているかのようだった。
「そ、そう! そうよ! わかればいいのよ」
クウはいまいち状況が理解できていなかったようだが、とりあえず自分の要求が受け入れられたらしいことを知り、部屋の外へ出ようとする。
その時、なんの前触れもなくルシカの背後から神官長が現れた。世界樹の間で見た時と同じく、黒い法服のような衣装をまとい、顔には紋様が施された仮面をつけている。その異様な雰囲気と突然の出現に、クウは短く悲鳴を上げてその場にへたれこんだ。
神官長に続けとばかりに次から次へと神官が現れ、おれとクウ、ルシカの三人はあっという間に取り囲まれた。
神官長はクウの正面に立ち、彼女を見下ろして厳かな口調で言う。
「神霊よ。貴様をこの大聖殿の外へ出すわけにはいかない」
「な、な、なによ、あんたたち……。あたしと、やろうっての? や、や……やってやろうじゃにゃいの! こらぁ!」
腰を落としたまま、クウは両腕を動かして身構える。
ビビりでヘタレなくせに威勢だけはいいとか、損な性格だなぁ……。
いや、ごめん。たぶんその性格は、おれ譲りだ。
などと考えていると、ルシカがふらりとした足取りでクウと神官長の間に立ち、神官長と向かい合った。
「クウ様の、邪魔は、させません」
直後、神官長は一切のためらいもなく腕を振りぬきルシカの頬を平手打ちした。
空気が張り裂ける鋭い音にクウはおびえるように身を震わせる。
ルシカは糸が切れた人形みたいにふらりと倒れ、そのまま動かなくなった。
そんなルシカにかまうことなく、神官長はクウに言う。
「貴様達神霊はこの都を守護するためだけに生まれてきたのだ。貴様達の命はそのためだけにある。故に貴様達には、自らの意思で行動する自由や権利などは存在しない」
「なによ、それ……」
クウはかすれた声を出す。そこには恐怖と困惑に加え、怒りの気配が感じられた。
「なんでそんなこと、あんたなんかに勝手に決められなくちゃいけないのよ!」
再びクウは叫ぶ。すると、おれ達を囲んでいた神官達に異変が起こった。誰も彼もが苦し気にうめきながら頭を抱え、身悶え、うずくまっていったのだ。まるで何か耐え難い苦痛に苛まれているかのように。
一方で神官長は平然と立っていた。もちろんおれも何も感じない。
この場で何が起こっているのかはさっぱりわからないが、やはりこの現象はクウを原因とするものなのだろう。
エポラッテが言っていた、神霊の力と関係があると見て間違いないはずだ。
「なるほど。これが貴様の神言か」
神官長が言う。どうやらクウの力について何か理解できたらしい。
「であるならば、もう片方の神霊の神言も想像がつく」
神官長はクウに向かって一歩前へ進んだ。
「なによ、来ないでよ、あっち行ってよっ!」
「ふむ。やはり貴様達は力の制御ができていないらしいな。それに加え、貴様の力は我々にとって危険性が高い。もう片方はともかく、貴様を大聖殿の外へ出すわけにはいかない」
神官長は法服の袖に手を入れ、宝石のようにカットされた黒い石を取り出した。それを手のひらに乗せ、もう片方の手をクウに向け、独特のリズムを持つ理解不能な言語を発する。神官長の声に応えるように黒い石は光を発し、クウの喉を締めつけるように紋様が輝いた。まるで首枷のように現れたその紋様は深い紫色の光を放ち、消えた。同時にクウは意識を失うようにその場に倒れた。
「クウ!」
おれはすぐにクウのそばへ行き、抱きかかえる。どうやら眠っているだけらしい。
けれど安心はできなかった。とてもじゃないが、そんな気分にはなれない。
こんなことになるまで一歩も動けなかった自分に、おそろしく腹がたっていた。
その怒りをぶつけるように、おれは神官長をにらむ。
「おい、あんた。いい加減にしろよ。黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって!」
「私は事実を言ったまでだ。神霊は都を守るために存在する。そして神官長をはじめ大聖殿の神官は、この都を守るために神霊を管理する役割を負っている。あらゆる存在には、存在する理由と役割があるのだ。もちろん、貴様も例外ではない」
仮面の向こうから突き刺すような鋭い視線がこちらに向けられる。
「神霊と真に心を通わせて絆を結び合えるのは、その生みの親である転世者だけだ。神霊は絆の深まりによってその力を十分に発揮できるようになる。転世者たる貴様には、神霊をその段階にまで成長させる役割があり、それが貴様の存在する理由でもあるのだ」
「お前らの都を守るためだけに、クウとカイを成長させろってのかよ」
「そうだ。それ以外に貴様達が存在する理由などない。拒むなら、我々は貴様達を殺す」
「なんだよ、それ……。ふざけんなよっ!」
「神霊の力がいかに強大かは貴様も十分理解できたはずだ。その力が我々の管理下から離れ、万が一にも我々に対し牙を剥いたらどれほどの被害が生じるか。少し考えればわかるだろう」
「だから、殺すのかよ。お前それでも人間か!」
「行ったはずだ。神官の役割は都を守るために神霊を管理することだと。神霊が都を脅かす脅威となるならば、それを排除するのは当然だ」
もう話すことはない、というように神官長はおれに背を向け、倒れているルシカを抱きかかえる。
「なんだよ。自分の娘はちゃんと気にかけるなんて、人間らしいとこもあるじゃねえか」
負け犬の遠吠えにしかならないが、それでも言わなければ気が済まなかった。
「彼女は次の神官長となる存在だ。都のために必要な人材なのだから、気にかけるのは当然だろう」
それに、と神官長は続ける。
「親が子を気にかけるのは当然だ。だから貴様も神霊を抱きかかえ、私に怒りを向けているのだろう。もっとも……」
神官長はこちらに振り向く。
「貴様の親がどうだったのかは、わからないがな」
その言葉は、あまりにも痛烈で、おれの心にかつてないほどの衝撃を与えた。
おれは何も言い返せず、去っていく神官長をただ見ていることしかできなかった。




