第二話 『夜の帳が下りる時』
いつの間にか鐘の音も消えていて、部屋には宵の暗闇が混じり始めていた。
よく見ると、部屋の扉がかすかに開いている。どうやらここからあの得体の知れない生物は出ていったらしい。
いや、ほんと。あれは一体、何者なんだ……。
神霊が生まれたこと、おれに課せられた役目、そして神霊の力。
重大な何かを知っているのは、まず間違いない。
おそらくこの世界には、過去にも転世者が現れ、神霊を生み出したはずだ。
だとすれば、やつは過去の転世者達と何らかの形でつながりを持ったことがあるのかもしれない。
まあとりあえず、当分あれの顔は見たくない気分だったので、おれは開いている扉を閉めた。念のために鍵をかけたいところだが、残念なことに扉には鍵がついていなかった。
一応窓のほうも見ておこうと思い、八方にある窓を一枚一枚確認する。どの窓も開いた形跡はなかったが、扉同様やはり鍵はついていない。窓はどれも扉と同じくらい大きく、少し力を入れるだけで簡単に開くため、たぶんあいつの力でも容易に開けられるだろう。
おれは西側の窓のそばに立ち、巨大な城壁のように連なる山々の彼方へと沈みゆく夕陽を眺める。
……うん。あれほどの屈辱を受けた代価にしては、得た情報はやはり少なすぎるな。
とりあえず友達づくりは慎重にするようにと、カイとクウに教えてあげよう。
そんなことを考えている間に、夕陽は完全に姿を消した。
一瞬、部屋の中を密度の高い暗闇が満たす。けれどその直後に、部屋の壁や天井にいくつもの小さな光の玉が現れ、部屋全体を淡く柔らかな明かりで照らした。光の玉が現れた場所を見ると、その近くの壁には魔法陣らしき紋様が刻まれていた。以前、ルシカが見せてくれた光の霊術とよく似ているから、たぶんこれも霊術の一種なのだろう。
興味本位で光の玉に触れようと手を伸ばす。その時、寝台のほうからかすかな物音が聞こえ、続いて大きなあくびが聞こえた。カイの声とよく似ているが、彼の声よりもわずかに高い。
クウが目を覚ました。
自分の直感を確認するように、寝台のほうへ目を向ける。
眠り続けるカイのそばで、クウはゆっくりと体を起こしていた。生まれたての太陽の光みたいに輝かしい金色の髪が彼女の顔にこぼれかかる。
クウはぼんやりとした手つきで髪を払い、眠たげに目をこすった。彼女は寝台の上でひざを折ってちょこんと座り、両手を組んで天井に向かってまっすぐに伸ばし、背中をゆるやかに反らす。
「ぅん……んんー……、ふぁぁぁ、あ、ん?」
どうやらおれの存在に気づいたらしく、クウは燃える血潮のように紅い瞳をこちらに向けた。
「え? なに? あんた、だれなの?」
クウは不信感をあらわにしたジト目をおれに向ける。まあ、目覚めた直後に見知らぬ人間がそばにいたら、普通はそういう反応になるか。
「ええと、まずはおはよう。そして、初めまして。おれは颯太。君はクウで、隣で眠っているのがカイ。簡単に言うと、おれはクウとカイの生みの親みたいなものなんだ」
「なにそれ。つまりあんたがあたしのオヤジってこと? ぜんせんそんなふうに見えないんだけど」
うーん、なんだろうな。
見た目も声色もカイと本当によく似ているのに、口調や性格はかなりちがうらしい。
何が基準になっているんだろう。
「おれも事情を全部理解してるわけじゃないんだけどさ、わかっていることを一通り説明するからとりあえず話を聞いてほしいんだ」
というわけで、カイにした説明をクウにもする。
クウは目をこすったり髪をいじったりあくびをしたりしつつも、いちおう話を聞いていた。
「……とまあそんなわけで、君達は生まれてきたんだ。ちなみに二人の名前はおれがつけた。気にいってくれるとうれしいけど、もし嫌なら自分で好きな名前をつけてもらってもいい」
「んー……。ねえ、ソウタ。クウって名前には、どんな意味があるの?」
インスピレーションに従って適当につけたから意味なんてない。
そんな残酷なことを子どもに言えるほど、おれは非人間的ではない。
「クウ(空)は『そら』を意味してるんだ。果てなく広がる空のように広くて美しい心を持ってほしいって願いを込めてつけた」
口から出まかせ、というわけでもない。
なんとなく漠然と考えていたことを正直に話した。
「ちなみにカイ(海)は『うみ』を意味してる。母なる海のようにおだやかで優しい心を持ってほしいって願いが込めてある」
せっかくだし、今度カイが目を覚ましたら教えてあげよう。
「ふん、勝手なものね。一方的にそっちの要望を押しつけてくるなんて」
クウはうんざりするようにため息をつく。
「けどまあ、クウでいいわ。音の響きがかわいいし」
……まさかとは思うが、この子にはツンデレの素質があるのではないだろうか。
だとすれば教育方針をいろいろと考えなければならないな。
「それより、なんであたしはおきてるのにカイは眠ったままなの? なんか不公平でムカつくんだけど」
クウはカイの体を激しく揺さぶり、わき腹をくすぐり、まぶたをこじ開け、耳元で大声をあげ、顔をひっぱたいた。
それでもカイは今朝のクウと同じように目覚めなかった。
「もう、なんなのよ! おきてよ、おきなさいよ! この、おきろっていってんでしょうが!」
クウはカイの体にのしかかり、顔面に狙いを定めて拳を振り上げた。
「おいおい待てって。いくらなんでもそれはやりすぎだ」
家庭内暴力を阻止すべく、おれはクウの腕をつかむ。カイと同じく、クウの体温もかなり高く感じられた。なんというか、生物というよりは生命エネルギーそのものが人の姿をしているみたいだ。
「はなしなさいよソウタ! あたしがこんなにがんばってるのに、こいつ全然目を覚まさないのよ。一発ぶん殴らないと気がすまないわ!」
「そっちかよ! とにかく落ち着けって。これにはきっと、何か特別な事情があるんだ。今朝はクウのほうがあれこれ試しても目を覚まさなかったんだから」
「え? そうなの?」
「ああ。おれとカイもいろいろ試したけど、クウは目覚めなかった。おれの知る限り、二人のうち一人が起きていると、もう片方は眠ったままなんだ。ひょっとしたら、二人が神霊だってことと何か関係があるかもしれない」
「ん? ちょっとまって。つまりあんたたちは、眠ってるあたしに乱暴したってこと?」
どうやら自分がカイに乱暴したいう自覚はあるらしい。
「うそ……、信じられない。無防備な女の子に乱暴して、好き放題にいじくりまわすなんて」
「まてまてまて。おかしな誤解をするな。おれもカイもそんな下品なことは一切していないぞ」
「本当に? 考えたりもしなかった?」
「………………」
「なんでだまんのよ! そこはちゃんと否定しなさいよ、このバカ! アホ! ヘンタイ!」
ああ、なんてことだ。真実を愛するおれのピュアな心が更なる事態の悪化を招いてしまうとは。
「もういや! あんたみたいなケダモノなんかと一緒にいられない! あたし出てく!」
「とりあえず落ち着こう。そもそも行くあてだったないだろう。それに子どもが夜中に一人で出歩くなんて危ないじゃないか」
行くあてもないくせに夜中に家を飛び出したおれがよく言うよ、と自覚はしているさ。
だからこそ、クウにはおれみたいに軽率なことはしてほしくないんだ。
「うっさい! 何しようとあたしの勝手でしょうが!」
クウは顔を真っ赤にして叫ぶと、寝台から飛び降りて扉に向かって走った。
すると、それを待っていたかのように、ゆっくりと扉が開いた。
突然のことにクウは戸惑い、立ち止まる。
「え? え? なに? なんで勝手に……」
クウは一呼吸ほどの間を置き、扉の奥に向かって言った。
「なによ、あんた、だれなの?」




