第一話 『黄昏時の来訪者』
突如吹き荒れた謎の暴風と、その後の大混乱により式典は中止となった。
おれは気を失って倒れたカイと眠り続けるクウと一緒に神霊の間へ連れ戻された。
二人を寝台に寝かせ、その近くに腰を下ろし、疲れと緊張を吐き出すようにため息をつく。
……謎の暴風、というのは卑怯な言い方だな。
騒動が起こる前のカイの様子を見れば、何が原因かは誰にでもわかることだ。
あの時、カイは「いやだ」と言っていた。
何に対してそう言ったのだろう。
あの式典の場で、カイに何が起こったんだろうか。
だめだ。まったく見当がつかない。
しかし、あの暴風をカイが発生させたとしたら、神霊はかなりヤバい存在だってことになるな。
おれはそんな神霊達と絆を結び合い、さらにこの二人の心を結び付け、完全な神霊にしなければならないらしい。ラトナが言うには、それができなければおれ達は死ぬみたいだからな。
いやしかし、これじゃおれがこの二人に何かしらの形で殺される方が先なんじゃないだろうか。
あれこれ考えているうちに日が沈み始めたらしく、夕陽の鮮やかな光が神霊の間に差し込んだ。
西側の窓を見ると、はるか遠くに見える山々の向こう側へ沈みゆく真っ赤な夕陽が見えた。
おれは西側の窓へ行き、鍵を開けてバルコニーに出る。ひやりとした空気を一瞬感じたが、目の前に広がる景色を見た瞬間、おれは思わず「すげえ……」と声を漏らした。
バルコニーからは、西の空から姿を消し行く夕陽と、巨大な城壁のごとく連なる山々、夕闇に抱かれていく広大な森の姿が一望できた。おれが住んでいた世界ではなかなかお目にかかれない、雄大という言葉がぴったりな風景が遥か彼方まで続いていた。
この世界の太陽も、おれがもといた世界と同じように東から昇り、そして西の空へと沈んでいく。
もちろん今でも方角が西か東かはわからないので、もといた世界と同じだと考えることにした。
おれ一人がそう考えたって、誰にも迷惑はかからない。
そう。
おれ一人が何を思おうと、そんなことは世界にとってどうでもいいことなんだ。
なんてことを考えたからだろうか。不意に、もといた世界の光景が頭に浮かんだ。
もう戻れない世界のことなんか考えても、仕方ないのに。
「うふふ。おいら黄昏時の空って、だぁいすき! ココロがぷぅるるるぅうんっ! て震えちゃうもんね」
突然、足元から気色悪い甘みのある声が聞こえた。
おれは「うぉおいっ!」と間抜けな声を上げて飛びのき、声がした方を見る。
そこには、珍妙なピエロ服を身に着けた劣化版ゴブリンとでも表現すべき生物のエポラッテがいた。
「お、お、お前! いつの間に……」
考え事をしていたからドアが開く音を聞き逃したのだろうか。
いや、それよりも。
なぜこいつは、おれが神霊の間にいると知っているんだ。
困惑するおれとは関係なく、エポラッテは大きな眼球をぱちぱちと瞬かせながら「エッポッポ」と小粋に笑う。
「どうでもいいじゃないかぁ、そんなことはさぁ。アンタはおいらのトモダチで、おいらにとっちゃぁトモダチのとこへ行くのなんて茶の子さいさいの朝飯前なのさ!」
そう言いながら、エポラッテはダンスのステップを踏むようにくるくると回転する。
なにやってんだこいつと思いながら見ていると、「あわわっ!」と足元をくずしてコテンっ! と倒れ、「うふふっ」と笑った。おれは何を見せられているのだろう。本人は可愛さアピールをしているつもりなのだろうか。
「それよりアンタ、どうやら無事にピンチを切り抜けたみたいだね。おいらが渡した鍵のおかげ、つまりはおいらのおかげかな。なーんちゃって! うふふ」
「お前がよこしたのは全然ちがう鍵だったぞ」
「エポポ? そうだったのぉ、そいつは残念だったねえ、ごめんねえ」
エポラッテは体を奇妙にくねらせながら、こちらを挑発するような調子の声で言う。
こいつには謝る気なんてまったくないらしい。
「でもさ、おいらがアンタを助けようとしたってことは間違いない事実だと思うんだ。だからおいらはアンタのために、危険もかえりみず鍵を取ってきてあげたんだよぉ?」
「まあ、それはそうかもしれないけど」
「今だってそうなんだよ。式典の時にさ、神霊の力が暴走しちゃって大騒ぎになってアンタが困ってるって思ったんだ。だからおいらは、この弱くて小さなカラダでよいしょ、よいしょって頑張って、アンタに会いにここまで頑張って来たんだよぉ?」
「ちょっと待て! お前、神霊について何か知ってるのか?」
「もっちろん! おいらこれでもお利口さんの物知りさんなんだ」
「なら頼む。神霊について知ってることを全部教えてくれ」
「うんうん、そうだねぇ。そいじゃまずは、おいらに謝らなくちゃだね」
「…………は?」
「いいかい。まずおいらは、さっきアンタにごめんねをしたよね。おいらはちゃんと自分の過失を認めて、ごめんなさいをアンタにした。おいらは仁義を通したんだ」
なんか、ちょくちょく難しい言葉を使い始めたな。お利口さんの物知りさんアピールか?
「だから今度はさ、アンタがおいらの善意を疑ったことを、ごめんなさいってしなくちゃいけないと思うんだ。アンタはトモダチであるおいらを疑ったんだから、そうするのは当然のことだって、おいら思っちゃうんだよねー」
正直に言ってすげえいやだ。
「なんでおれがそんなことを……」
「エポポ? アンタ、おいらのトモダチにしてってお願いしたよね? あれ、ウソだったのかしら? ならおいらは、アンタが『嘘吐き』だってこと、あのコたちに教えちゃうぞぉ。チラッ、チラッ!」
エポラッテは寝台で眠っているカイとクウにわざとらしく目を向ける。
「うふふ。アンタがあのコたちを完全な神霊にしないと、アンタもあのコたちも大変なコトになるんでしょ?」
「なっ! お前、どうしてそんなことまで知ってるんだ?」
「おいらトモダチにしかホントのことは言わないよぉ。エーポポぉ、エーポポぉ、ポぉーポポーのポー」
こいつが何者なのかはわからないけど、重大な情報を知っていることは確かなようだ。
なら、下手に対立するのはよくない。
そう。あくまでも、情報を得るためだ。
それが、おれとカイ、クウを守ることにつながるんだ。
「……わるかった」
「あららぁ。アンタはずいぶんと頭がたかぁいところから、ごめんねをするんだねぇ」
おれは屈辱に体を震わせつつ、その場にひざをつき、昨日と同じように土下座をした。
「わるかった。すまない」
「よしよし。それでぇ、アンタはぁ、おいらにどぉんな悪いことをしたのかなぁ?」
「……っ、お前の、善意を疑って、わるかったよ」
「そうだね。善意を疑うのは人として恥ずべき行為だよね。アンタはそんなことをした悪い奴だよ。でも、でもぉ、おいらはぁ、そんなアンタをぉ…………、ゆるす! ジャジャーン!」
どしん! どしん! と飛び跳ねる音が聞こえる。
顔を床に伏せているので直接は見えないけど、それでも奴が体いっぱいに喜びを表現するように両手両足を開きながら飛び跳ねる様を思い描くことはできた。
「なぜかって? アンタはおいらのトモダチだからさ! さあ、顔を上げなよっ! そしておいらと一緒にトモダチの歌を歌おうじゃないか。さん、ハイ! おいらぁーはーエーポラッテぇー」
エポラッテは地下牢で歌ったとぼけた歌を歌い、奇怪な踊りを踊りだす。
「いや、それはいいからさ、カイとクウの力について知っていることを教えてくれよ」
「エポポ? 『かい』と『くう』って、だぁれ?」
「そこで眠ってる神霊の名前だよ。話の流れでそれくらいわかるだろ」
「ふぅん、へぇ、ほうほう、エポポ……、ぷっぷー! ヘンな名前ー! エポポポポー!」
エポラッテは大きく口を開き、腹を抱えながらゲラゲラと笑い転げる。
たしかにおれは、深く考えることなく直感で二人の名前をつけた。
だから今のこいつの言葉に怒りを感じるのは身勝手だし、その資格もないかもしれない。
それでもおれは、二人を笑いものにしているこいつに、怒りを感じずにはいられなかった。
「あー、おもしろかった。その珍奇な名前、アンタがつけたの? だとしたらとってもステキなセンスだね! とてもじゃないけどおいらにはマネできないよぉ、うふふ」
「……気が済んだのなら、本題に入ってくれないか」
「あら! うっかりしてたわ。てへっ! よーし、そんじゃ、神霊について教えちゃうぞ。えっへん! まずは神霊の力についてだ! 神霊はね、神言と呼ばれる特別な力を」
その時、エポラッテの声と重なるように鐘の音が鳴り響いた。
空をみると、彼方へと消えていく夕陽の姿がかすかに見えた。
「エポポ、もうこんな時間かあ。そいじゃおいらはこれで帰るとするよ。ばいばーい」
「おいこら待て! まだ何も話してないだろ」
「だーめ。日没の鐘が鳴っちゃったもの。鐘が鳴ったら帰るよう御主人様に言われてるの!」
「御主人様? それっていったい――」
「うんまああれだよね。そこは触れてほしくないというかあえて触れないのが礼儀だし常識だとおいらは思うんだけどアンタにその常識というか健全な意識があるかどうかはおいらにはわからないけどそれでもおいらはアンタのトモダチとしてアンタの『ココロ』を信じるよ」
「は? え? ちょ、なんだ? つまりお前は、何が言いたいんだ?」
「あちゃー、おいらの言ったコト、アンタにはチョビっと難しかったかなぁ。おいらってばおしゃべりが得意でさ、ついつい色んなテクニックを盛り込んじゃうんだよね」
エポラッテはぶりっ子のように可愛らしいポーズをとり「うふっ」とウインクする。
その不気味さと気色悪さに頭痛と目まいと吐き気を感じている間に、エポラッテはいつの間にか姿を消していた。




