第十二話 『誰かのために』
もう一度、返事を急かすようにノックの音が聞こえる。
カイは不安そうな目をこちらに向け「ソウタ……」とすがるような声を出した。
正直なところ、この世界に来てからまともな奴に出会ったことがないのでドアを開けるのは気が引けるのだが、やはりここはおれがドアを開けなければいけないらしい。
「大丈夫。そんなにこわがることはないさ」
そう言っておれはドアに向かって歩き、おそるおそる取っ手をつかむ。
そして、意を決してドアを開けた。
そこにはルシカが立っていた。昨日と同じく白い修道服のような衣装を身にまとい、首には銀のネックレスをかけている。昨日の疲れが残っているのか、優し気な微笑みを浮かべているものの表情にはどこか陰りが見えた。
「おはようございます、ソウタ様」
ルシカは恭しくおれにむかって頭を下げた。
なんというか、そういう態度を取られるとへんに緊張してしまう。
「あ、ああ。おはよう。ルシカ」
ルシカは顔を上げ、まっすぐにおれの目を見た。
「朝早くから申し訳ありません。ですが、神官長より神霊の御二方の御様子をうかがってくるようにとの指示を受けましたので……その、御二方は、どのようなご様子でしょうか?」
「ええと、一人は起きてるよ。もう一人はまだ眠ってるけど」
カイを呼ぼうと振り返る。カイはいつの間にかシーツにくるまって身を隠していた。
これはもう人見知りを通り越して、対人恐怖症のレベルに達しているのではないだろうか。
「カイ、出ておいで。この人は大丈夫だから。こわがらなくていい」
しかし寝台の上のまるまったシーツは、拒絶の意思を示すようにガクガクと揺れ動いた。
「あの、ソウタ様。カイというのは……」
「名前だよ。男の子のほうがカイで、女の子のほうがクウ」
「そうですか。お名前を、つけられたのですね」
ラトナに言われたから、というのは黙っておこう。あいつの名前を出すと、またへんな騒動になるかもしれないしな。
「こんなところで立ち話もなんだし、ルシカも部屋に上がりなよ」
「いえ、大丈夫です。それで、その、クウ様はまだお目覚めになりませんか?」
「さっきカイが起こそうとしてたんだけどだめだった。何か用事でもあるの?」
「はい。本日、日の出とともに神官長が御神託を授かりまして、皆様のお役目が決定いたしました」
ルシカはかしこまるように背筋を伸ばし、はっきりとした口調で言う。
「神霊の御二方が、都を守護する儀式が行える状態になるまで、皆様には都で暮らしていただきます。もちろん、ソウタ様も神霊の御二方と一緒に暮らしていただきます」
んん? どういうことだ?
昨夜ラトナが言ってたことと、なんか微妙にちがくないか?
「つきましては本日正午より、大聖殿前広場にて神霊の御二方と転世者様をお迎えする式典が開催されることになりました。皆様のお姿をご覧になるため、都の住民達も多く集まることでしょう。ですのでぜひ、式典に出席していただきたいのですが」
「そういうことか。おれは別にかまわないけど、あの二人はどうかなぁ……」
シーツの塊はびくびくと震え続け、そのそばではクウが眠り続けている。
都の人達が見たいのはこの二人のほうだろうけど、この有様ではどうしようもない。
「ちなみに、あの二人が参加できなかったらどうなる?」
「皆様に危害が及ぶことは一切ありません」
なるほど。皆様には、ね。
「かわりに君が罰せられたりするってこと?」
少しのためらいの後、ルシカは小さくうなずいた。
「私は神官長より皆様のお世話をするよう言いつかりました。ですので何かしら不手際があれば、それは私の責任となります。ですが、皆様はまったく気になさることはありません。ご安心ください」
「そう言われて『はいそうですか』って納得するような人でなしのろくでなしだっておれは君に見られてるの?」
「い、いえ! 決してそのようなことは……」
「大丈夫。二人ともちゃんと式典とやらに連れていく。おれは二人の生みの親だからな」
「申し訳ありません、ソウタ様」
ルシカは深々と頭を下げる。
そういうことはやめてほしいのだけど、やめてくれとは言えなかった。
きっと彼女には彼女の責務や立場があり、それに見合う振る舞いをしなければならないのだろう。
朝食の用意を持ってくると言い、ルシカは部屋から出ていった。
おれは寝台に腰を下ろし、まだシーツにくるまっているカイに言う。
「まあ、そういうことなんだ。ルシカを助けると思って、式典とやらに出てくれないか? もちろんおれも一緒に行くし、クウも連れていく。眠っていても、そのまま連れていく」
「…………どうして?」
シーツの中からカイの声が聞こえてくる。
「カイとクウが行かなかったら、ルシカが怒られるんだ。神官長っていうおっかない奴にひどい罰を与えられるかもしれない。でも、二人が行ってくれたら、怒られずにすむ。つまりだ、カイはルシカを助けたことになるんだ。それはすごいことなんだ。誰かを助けるためにがんばるってのは、とても立派なことなんだよ」
ふと、遠い昔のことを思い出す。
たしか、似たようなことを、親父に言われたことがあったな。
あれはまだおれが小学校低学年くらいの時のことで、たしか、お気に入りのクレヨンだか色鉛筆だかを友達に貸す貸さないでもめて、ケンカになった時のことだ。学校に呼び出されて事情を聴いた親父が、おれにそういうことを言ったっけな。
なんだか不思議なもんだ。
今の今まですっかり忘れていたのに。
しばらくの沈黙のあと、カイはシーツから出てきた。
寝台の上に座り、今にも泣きだしそうな目をおれに向け、震える声で言う。
「…………わかった。ソウタが言うなら、言うとおりにする」
おお! なんて物わかりのいい子なんだ。
たしかおれの時は、人のことなんかどうでもいいと言って親父にぶん殴られたはずだ。それに比べてなんと利口なことか。
「ありがとう。カイ」
素直に感謝の気持ちを伝え、彼に向けて手を差し出す。
「その、これからいろいろあると思うけどさ、よろしく頼むな」
カイはおずおずと手を伸ばし、おれの手を握った。
その手は、それ自体が生命であるかのように温かくて、やわらかかった。
「よろしくね、ソウタ」
その言葉を聞いて、おれは安心した。
この調子なら、これからうまくやっていけそうだと思ったからだ。




