第十話 『この世界で生きるために』
驚天動地なおれとは正反対に、ラトナは明鏡止水を体現しているかのごとくくつろいだ表情を浮かべていた。
「お前、いつの間に……」
「自分は神様やからな。好きな時に好きな場所へ行けるんや。で、どないや。調子のほうは」
「おかげさまで、散々な目にあったぞ。ずぶ濡れになるわ牢屋に放り込まれるわ土下座させられるわ生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされるわ、ろくでもないことばっかりだったな」
「はっはっは、盛りだくさんでええやないか」
「よくねえよ。ていうか、何しに来たんだ」
「何しに来たはないやろ。わざわざアフターサービスに来たったんやから」
「アフターサービス?」
「そうや。あんたがこの先この世界で生き残るために必要なことを教えに来たんや」
「おいおい待てよ。おれはもう転世者だって証明されたんだぞ。議長のおっさんだってドン引きするくらいにへこへこしながらおれを殺さないって言ってたしさ」
「あんたなあ、あのおっさんのこと、信用できるんか?」
「あー……。冷静に考えれば、ないな」
「せやろ。ええか、たしかにあんたは神霊を生み出した。でもそれで終わりやない。今の段階では神霊はまだ不完全な状態なんや。せやから都の守り神としての力はまだ備わってへん」
「マジか。それじゃあどうすれば、この二人はその、守り神としての力を持てるんだ?」
「この子らの心が一つに結びついて完全な神霊に成長すれば、守り神としての力を発揮できるようになる。そうなって初めてあんたらの身の安全は保障されるやろな」
「二人が完全な神霊に成長できなかった場合は?」
「まあ、あんたらは死ぬって思といたほうがええやろな」
そんな重大なことをさらっとした口調で言わないでくれ。
「それで、この二人の心を結びつけるにはどうすればいいんだ?」
「それは自分で考えなあかんことや。教えてもうたら意味ないからな」
「そんな殺生な。せめて何かヒントくらい出してくれ。命がかかってるんだぞ」
しゃあないなぁ、とラトナはどこか得意げに腕を組む。
「この子らの心を結び付けるにはな、まずはあんたがこの子らと心を結び付けなあかんのや。つまり、あんたがこの子らと絆を結ぶことが必要なんやな」
「なるほど。それで、絆を結ぶにはどうすればいいんだ?」
「あんたがこの世界へ『転世』する時に代償として失った、もといた世界とあんたの絆を取り戻すことが鍵になる。それを取り戻せれば、おのずと答えにたどり着けるやろ」
そういえば、そんなもんを失っていたんだったな。
今までまったく気づかなかった。
「ていうか、取り戻せるもんなのか、それ」
「前にも言うたとおり、それはあんたの心に深く刻まれとるもんやからな。今はそれがそうやったと認識できん状態になっとるだけやから、取り戻そ思たら取り戻せんねん」
ラトナはソファから立ち上がると寝台のそばへ行き、眠っている二人の顔を見た。
「なんにせよ、あんたは自分のためだけやのうて、この子らのためにもがんばらなあかんのや。あんたはこの子らの生みの親やからな。ちゃんと成長させる責任があるんやで」
「成り行きでな……」
なんの因果でこんなことになっちまったんだ。
おれがこの二人の生みの親だと?
別世界に来だけでもいっぱいいっぱいなのに、なんでそんな役割まで背負わなくちゃいけないんだ。
まあ……、この世界で生きるためには仕方のないことなんだろうけどさ。
「そういや神霊ってのは、成長したらラトナみたいな神様になるのか?」
「いいや。似たような力は使えるけど、本質的に自分とこの子らは異なるもんやからな。そんなことより、この子らに名前はつけたんか」
「いや、まだだけど。必要か?」
「当たり前やろ。名前もつけんと『おい』とか『お前』とか呼ぶんか。児童虐待やないか」
神霊なんだから人権なんてないだろう。
でもたしかに、名前が無いのもかわいそうか。
さて、どんな名前にしようかとしばらく考える。
「……じゃあ、男の子はカイ(海)、女の子はクウ(空)にしよう」
「ほうほう。まあええやないか。ほんで、その名に込めた願いはなんや」
「とくに何も。よく言えばインスピレーション、悪く言えばテキトーにつけた」
「なんちゅうやっちゃバカたれが。子どもの名前をなんやと思とんねん」
「いいだろべつに。おれの名前だって軽いノリでつけられたみたいだしさ」
「はぁー、なるほどなぁ。悲しみの連鎖は、こうしてつながっていくんやなぁ」
ラトナはわざとらしく遠い目をする。
「とりあえず、今んとこ自分ができるんはこのくらいや。この先あんたらに神託を出すことも滅多にないやろうから、こっから先のことは自力でなんとかせえ」
「やっぱりラトナが出してたのか。どうせならもっとおれに有利なことを言ってくれよ」
「アホなこと言うな。この世界では神託の影響がでかすぎるから、むやみやたらと出せるもんやないねん。神託をかたって世の中を動かそうっちゅう邪な輩もぎょうさんおるしな」
さて、とラトナは真剣な目をおれに向ける。
「大事なことやから、最後にもっぺん言うで。カイとクウを守りたいなら、あの子らをこの都の守り神にせなあかん。そのためには二人の心を結び付けて、完全な神霊に成長させる必要がある。ほんで、そのための鍵となるんが、転世の代償としてあんたが失ったもといた世界とあんたを結ぶ絆や」
「ちなみに、それが何なのかは教えてくれないのか?」
「何を戯けたこと言うとんねん。しばきまわすぞバカたれが。そんなもん根性で取り戻さんかい」
「まあ、そうなるよな」
ラトナはおれのすぐ目の前まで近づくと、胸ぐらをぐいっとつかみ、わずかに背伸びをして、突き刺すような鋭い眼差しをおれに向けた。
ええか、とラトナは異様な迫力のある声を出す。
「今度はもう、逃げたらあかんで」
その言葉が心の奥へ重く沈みこんだ時、ラトナの姿は消えていた。
おれは途方に暮れるようにため息をつき、寝台で横になっているカイとクウを見る。
夜のしずかな光に照らされながら、二人ともぐっすりと眠っていた。
もといた世界での親子げんかが原因で別世界に来たおれが、この二人の生みの親として、二人を成長させなければならない、か。
しかもそのために、絆を結び合うとか。
そんなことが、おれにできるのか。
そうする資格が、おれにあるのか。
……だめだ。今あれこれと考えるのはよそう。
これからのことは、これから考えればいいし、これから考えるしかないんだ。




