第一話 『荒ぶる心は夜を走り力尽きる』
ちくしょう、ふざけやがって。あんな家、もう絶対帰らないからな。
十五歳の春の夜、人生史上最大級の親子げんかをしたおれは、怒りにまかせて着の身着のまま家を飛び出し、星空を仰ぐ静かな街を走っていた。
たしかに両親が怒るのも無理はない。先日行われた一学期中間考査で全科目赤点をとったのは事実であり、意図しなければこんな悲惨な結果にはならないことも事実である。
そして、おれが意図的に試験勉強を一切やらなかったことも、事実なのだ。
こうした事実が積み重なった結果、おれは生徒指導室に放り込まれ担任副担任学年主任によってたかって締め上げられ、両親にも緊急の面談が提案されるという現実が導き出された。
つまりは自業自得というやつだ。
しかしおれは何の理由もなくそんな暴挙に出たわけではない。
いわばこれは両親に対する反逆なのだ。
おれの意思をことごとく無視し、封じ込め、親という権力を使って意のままに操ろうとする両親への、せめてもの抵抗だったのだ。
おれは、あんた達の人形じゃない。人間だ。
自分自身の意思を持つ、人間なんだ!
親子げんかもクライマックスを迎えた時、おれは両親に向かってそう叫んだ。
もちろん、心の中で。
そんな中二クサいセリフを言ってみろ。どんな恐ろしい事態になるか、考えただけでも背筋が凍る。
ただまあ、実際のところ、じつに多くの罵詈雑言が飛び交った。
おれも両親も腹の底をぶちまけるように強烈な言葉をぶつけあい、傷つけあった。
しかし、なんというか。
生まれてこなきゃよかったんだってのは、さすがになあ……。
おれは走るのをやめ、街灯の白い明かりの下で立ち止まり、呼吸を整える。
だめだ、わき腹がめっちゃ痛い。
のどの奥もなんか変な感じだ。
後先考えずに全力疾走してきたもんだから体力もやばい。
少し離れたところにバス停のベンチが見えたので、なんとかそこまで歩き、腰を下ろす。
さて、と。これからどうすっかなぁ。
なんて考える必要もないか。答えはもう決まっているんだから。
結局のところ、おれは必ず、あの家に帰らなければならない運命にある。
世界広しといえど、おれを食わせてくれるのは両親だけで、おれが帰ることのできる家はあの家だけなのだ。
小学校、中学校と義務教育は修了しているから、現在の社会制度上その気になればおれだって自立した生活を送ることもできる。しかし、今のおれにはそんな能力はない。
さらに言うと、その覚悟もない。自分の意思で家を飛び出して来ておいてこのざまだ。我ながら情けないまでのクソ野郎っぷりである。
まったく、なにが意思を持つ人間だ。
それを守り通せる力も、覚悟も、ないくせによ。
やりきれなくなり、ため息をつく。
この後の展開を考えると気が滅入った。疲れた体とすきっ腹をかかえてのこのこと家に帰り、両親にこっぴどく叱られ、おれはお許しをいただけるまで謝り続け……。
ああ、いやだ。考えただけで死にたくなる。
でもやるしかない。
生きるためだ。
あきらめようぜ。
気持ちを切り替えるように空を見上げ、一面に広がる満天の星空を眺める。
人と自然の調和をうたい文句にしているニュータウンなだけあって空気はほどよく澄みわたり、星の光がよく見えた。
この街からそれほど遠くないところには海に面した大都会があるのだけど、そこで生み出される汚れた空気もここまでは届かないらしい。街を抱くように広がる山林が、この街を汚れた空気から守ってくれているのだろう。
しかし、長年の習性というやつだろうか。
こんな状況であるにもかかわらず、こういう景色を眺めていると、心がたかぶってしまう。
結局それは、何の役にも立たなかったのにな。
それどころか、たくさんのものを……。
いや、よそう。
こんなことを考えるのは、自分に対して卑怯ってもんだ。
とにかく今は、これからどうするのかを考えないと。
とりあえずまだ家には帰れない。せめて明日の朝までねばらないと、格好がつかない。
それまでどこで時間を潰そうか。
なにしろ勢いで飛び出してきたので財布は持っていない。スマホはズボンのポケットに入っているけど、電子マネーなんて便利なものは入ってない。そもそもスマホを使うのはいやだ。両親からの着信が殺到しているだろうからな。
いや、案外何も来てないかもしれない。むしろその可能性のほうが高いだろうな。
……まあ、それはそれで、ムカつくけど。
とにかく、お金がないのでどうしようもない。
ネカフェやカラオケに避難することもできないし、コンビニのイートインで時間を潰すこともできない。そもそも店によっては入れるかどうかも怪しい。未成年保護条例だかなんだかで未成年者の深夜徘徊は補導の対象になっている。
もしおれが補導されたら、それこそ両親にどんな目にあわされるか。
いっそのこと野宿でもするか。
この街には公園が多いし、場所によっては雨風をしのげる遊具もある。
どこか適当なところで段ボールや新聞紙でも拾ってきて、それで一夜を……。
……って、どこまで落ちれば気が済むんだおれは。
「この世界には、おれの居場所なんて、ないんだなあ……」
何気なくそうつぶやいた時、目の前の車道を一台のトラックが通り過ぎた。
その瞬間、おれの頭に一つの可能性が浮かび上がる。
この世界に居場所がないのなら、別の世界へ行けばいいじゃないか。