#1
「ここは……?」
目が覚めると、辺り一面、霧がかかっている様に真っ白な場所に立っていた。周囲が全然見えない。まるで、雲の中にでも居みたいだ。
『この匂い……、葉巻の煙?』
嗅ぎ馴れた芳醇な香りに包まれている。まるで、シガーバーにでも居るかのよ様な。どうやら、周囲の霧や雲みたいな白いものは、葉巻の煙らしい。
シガーバーですら、数メートル先が見えないくらいに真っ白になっているのは見た事が無い。にも関わらず、葉巻の香りはするものの、目も痛くないし、呼吸も苦しくない。こんなに濃厚な葉巻の煙に包まれていたら、ヤニクラによる頭痛や目眩、吐き気がしてもおかしくないのに……。
不思議に思っていると、突然、目の前に光の玉が現れた。
「なんだ!?」
僕の声に反応したのか、光の玉が揺らめいた。
次の瞬間、光の玉は人の形に変化していき、女性に変わった。金髪でスタイル抜群な妙齢の美女に。真っ赤なスーツ上から、コートだかローブを肩に引っ掻けている。洋画に出てくる女優さんみたいだ。眼光が異様に鋭くて、性格はキツそうだけど。
「アキラ、お前にはこれから異世界へ転生してもらう。お前達の常識ではファンタジーとか呼ばれている様な世界だ。そこで魔王を倒せ」
謎の美女から命令口調で、いきなりそんな事を言われた。意味が解らん。転生も何も、僕は死んでない。それに、魔王とか倒せるわけないし。大体、コイツは何者だ?
「いきなり魔王を倒せって言われても出来るわけないだろ!バカじゃないの?それに、転生って何を言ってんだ?僕は死んでないし!大体、お前、誰だよ?」
初対面の他人に、いきなり命令口調でマウンティングしてくるような奴は好きじゃない。だから、こちらも強気に返してやった。女だからって甘い対応はしない。
「アナタ、なかなかいい根性してるわね。気に入ったわ。特別に無礼を許してあげる。私は葉巻の女神ってとこね。そして、アキラ。アナタはもう死んでるの。これから魔王を倒すにあたって不都合があるから、死の前後とか一部分の記憶を封じてあるわ」
葉巻の女神だって?コイツが?簡単には信用できないが、それならこの葉巻の煙も納得できる。しかし、コイツの言う事を信じるならと、僕はもう死んでるって事になる……。
眠ってる時に幽体離脱して、夢の中で霊的な世界へ行く事があるって聞いた事あったな。たしか、アストラルドライブだっけ?その方がまだ信憑性ある気がするな。
「これは夢なんじゃないか?とか考えていそうな顔ね」
何故、僕の考えている事が分かったんだ?コイツ、本当に女神なのか?
葉巻の女神と名乗った女性は、スーツの上着の内ポケットから葉巻を取り出すと、ギロチンカッターでヘッドをカットした。その所作はとても優雅でいて、色気がある。リングからして、葉巻はたぶんロメオかな。チャーチルっぽいんだけど、視界が白くてよく見えない。
そして、掌に真っ赤な炎を出現させると、それで葉巻に着火した。まるで手品みたいだな。
「フゥー、なにも手ぶらで魔王を倒してこいって言ってるわけじゃない。吸った葉巻の精霊を召喚する能力を授ける。葉巻の火が消えるか、吸い終わるまで、精霊は現界できるわ。精霊を手駒に魔王を倒してきなさい」
謎の美女は、旨そうに葉巻を一吸いし、煙を吐き出すとそんな事を言った。なんだか勝手に話が進んでいく……。しかも、コイツ、他人の話を聞かないタイプだ。僕の呼び方が、お前からアナタに変わったけど、たぶん、僕の意見は無視されるんだろうな。
「最初はモンテクリストNo.3を授けるわ。アナタにとって思い入れのある葉巻だから嬉しいでしょう?モンスターや魔王の手下を倒していけば、段々、吸える葉巻が増えていくから安心なさい」
最初の精霊はモンテクリストNo.3か。僕にとって思い出補正がある葉巻だから嬉しいけど、本当に魔王を倒しに行くのか?
「色々と納得いかないけど、仮にそちらの言い分を受け入れるとして一つ問題がある。1日に何本も吸えるほどニコチン耐性強くないんだけど?そこは女神様とやらの御加護で強くしてくれるわけ?」
自分はニコチン耐性強くない。むしろ、ハッキリ言って弱い。いくら葉巻の精霊を召喚できると言われても、そこが解決しなければ魔王を倒せるとは思えない。
「フン、甘ったれるな」
鼻で笑われたよ……。
「ニコチン耐性なんてものは、吸い続ければ強くなる。吸い続けて、マッチョアキラの名に相応しい男になればいい」
まさかの無茶振り。しかも、葉巻仲間に弄られてたアダ名を女神が知ってるのかよ!
それにしても、ニコチン耐性がそのままって無理ゲーでしょ!転生特典が体質と合ってない!
「心配しなくても、転生先の世界は喫煙に厳しくない。屋外ならどこでも、飲食店や宿屋でも禁煙なんてほとんど無いわ」
心配してるとこ、そこじゃないけどね。
「魔王を倒せば、元の世界に返って生き返れる。この提案を断れば、アナタの死は確定する。アナタに選択肢は無いの。分かったかしら?それじゃ、アキラ。行ってきなさい!」
女神がそう言った瞬間、僕の視界はブラックアウトした。
魔王を倒しに行くなら、もっと色々と情報が欲しかったのに。と言うか、自分がすでに死んでいるという事自体、納得してないのに。
落下式の絶叫マシーンに乗った時の様な浮遊感を感じると同時に、僕は意識を失った。