VIII
《Elizabeth》
仕事を終えてパブの裏口から外に出ると、冷たい空気が肌に突き刺さった。
ダファディルが春を告げ始めたとはいえ、夜はまだ厚手の上着が手放せない。
表通りで待ってるであろうエドワードの元へ向かうために路地を歩いていると、ゆらりと影が動く。
エドワードかと思い目を凝らしたが、違うようだ。
距離が縮まり、ぼんやりとした月明かりが影を照らす。
エドワードと出会った夜、彼女に付き纏っていた男が立っていた。
正体が分かると、彼女は心底うんざりだという顔をする。
「また貴方?酔っ払いに用はないわ」
「酔っ払いじゃなくてアルバート、だ。自己紹介しただろ」
酒臭い口を開く男、もといアルバートの横を過ぎようとすると腕を掴まれる。
「あんたはただのナンパと思ってるかも知れねぇが、俺は本気だ」
「本気だろうと遊びだろうと貴方と付き合う気は微塵もないわ。離して」
アルバートが再び口を開こうとした時、彼の背後からよく知った声が聞こえた。
《Edward》
「彼女から手を離せ」
怒りがふつふつと沸き上がるのを感じながら、振り返る男を睨みつける。
知らぬ男が彼女に触れている事が、何となく気に食わなかった。
「てめぇ、あの時の・・・」
男は自分を知っているようだが、彼は覚えていない。
覚えていようが覚えてなかろうが、どちらにしても気に食わないことに変わりなかった。
「聞こえなかったのか?離せ、と言ったんだ」
もう一度声をかけると、男がエリザベスから手を離し彼の方へ大股で近付いてくる。
「!!エディ!」
慌てたように叫ぶ彼女に目を向けようとした時、視界の端で銀色が鈍く光った。
咄嗟に後ろに下がった彼の頬を、男の振るったバタフライナイフが掠める。
避けられた事により体勢を崩した男の右手を蹴り上げ、その手から放り出されたナイフを掴むと、刃先を男の首筋にあてがい、冷や汗を流す男を見下ろす。
「早く失せろ。男はあまり好きじゃないんだ」
そう告げると、男は舌打ちをしてから夜闇の中へと消えていった。
《Elizabeth》
「早く帰ろう、リズ。温かいカモミールティーが飲みたい」
ほっと胸を撫で下ろしていると、何事も無かったかのようにエドワードが口を開く。
彼に駆け寄ると「護身用」と言って、折り畳んだナイフを投げ渡された。
「他に殺されるのは困るって言っただろ」
そう言って歩き出そうとした彼の腕を引いて屈ませ、頬を舐めると口の中に鉄の味が広がった。
彼は突然の事に目を白黒させている。
「・・・美味しくはないわね。エディの気持ちが分かるかな、て思ったんだけど」
顔をしかめながらそう告げると、彼は呆れたように溜息をついてから歩き出した。
街灯で照らされた彼の耳は、ほんのり赤くなっていた。
《Edward》
車を走らせていると刺さるような視線を感じ、ちらと隣を見るとエリザベスが物言いたげな表現を浮かべていた。
「言いたいことがあるなら言ったらどうだい?」
その言葉を待ってましたとばかりに彼女が口を開く。
「さっき'男は好きじゃない'って言ってたけど、食べるのがって事よね?女の人ばかり食べてたの?」
「・・・女の方が肉質が柔らかくて美味いんだ」
返答に不満そうな顔をする彼女の頭をぽんぽんと叩く。
「そんな目で見ないでくれ。わかったよ、次は男にする」
と言ってもしばらくは人を食べていないし、狩りもしていない。
食べたいとは思うが、なかなか気が乗らないのだ。
それは彼女のせいだが、もうそれに苛立つことはなかった。
《Elizabeth》
エドワードが今まで食べた人間に対して何か特別な感情を抱いていた訳じゃないとは分かっているのだが、食べられたい彼女からすれば良い気はしない。
食べていたのが男ではなく女なら尚更だ。
頬を膨らましている彼女をよそに彼は後部座席へと手を伸ばす。
何をしているのかと思っていると、膝に小さな花束が置かれた。
「バレンタイン、僕からは渡してなかったから」
彼の言葉を聞きながら、五輪の濃紅の薔薇で作られたそれを手に取る。
ふわっと甘い香りが鼻をくすぐると、靄がかった心がすっと晴れ渡り、口許が緩んだ。
そんな彼女を見て「単純だな」と彼は鼻で笑ったが、その目はとても優しかった。