術師と呪い
このお話は、出会いが隠れテーマのようであります。
意図しておりませんが、なぜか、そうなってしまいました。
他の話を読んでくださっている方には、「あれ、こ奴は……」と思い当たり、そう言う楽しみ方もできるかと思います。
諦めの空気が、蓮と葵の居心地を、更に悪くしていた。
廊下で、部屋の中の様子を伺う者たちをかき分け、若者は先程の広い座敷へと向かう。
後を追って来た大男は、辿り着いた座敷を見回し、倒れたままの男の亡骸に近づいた。
「……顔なじみじゃあ、ねえよな?」
「ああ。だが、妙な感じだ。どうも、ここの奴らを、恨んでいるように感じた」
恨みに恨んだ上での、凶行だろうか。
「……心当たりが、多すぎるな。何せ、この国に来るのは、初めてじゃない」
後ろから声がかかり振り返ると、ジュラが廊下に立っていた。
隣にロンもいる。
「いいのかよ、ランの方は?」
「遺言なんて、聞きたくないもの。明らかに年下の子の最期は、初めてじゃないけど、慣れるものじゃないわ」
「ま、聞かされる奴が、あんな若いのは気になるが、エンもいるから、何とかなるだろ」
見た目よりかなり年を重ねている二人は、死にゆく者を前にしても、余り取り乱さないようだ。
葵の顔が、素直に曇る。
それに気づいたが、慰める言葉もない。
蓮は、亡骸の切り落とされた手を見止め、そこに握られている刀を見つめた。
そして、自分が取り落とした刀を一瞥する。
「対の刀、って訳でもねえよな」
「対になった妖刀なら、もっと威力があったはずだ。鞘から抜いたら最後、正気には戻れなかったぞ」
ジュラの言葉に、若者はしっかりと頷く。
全くその通りだ。
ジュラたちと別れた後すぐ、別な結界の存在に気付いた。
だが、既に捕らわれていると感じ、すぐに一つの事に、意識を集中したのだ。
動きを縛られても、意識だけは縛られまいとする、強い意志。
あれでも、最悪な結末になったが、もしもっと強い妖刀だったなら、そんな小細工は通用しない。
完全に正気を失って、この旅籠の者を皆殺しにしても、まだ止まらなかったかもしれない。
幸い、もう一つの刀は、妖刀には見えない。
「だけど、釈然としないわ。この男が、あたしを閉じ込めてた? あり得ないわ。だって、あなたを起こした後に、セイちゃんに襲い掛かったんでしょ? あの結界を張った者なら、一目で分かったはずよ」
セイの強みが、術の類を全く寄せ付けない事だ、と言う事に。
気づいていたなら、初めから、蓮の相手をランやジュラがしている間に、セイを先に亡き者にしようとしたはずだ。
「その手の事で、あたしたちを滅する気なのなら、尚更、その方が早いわ」
襲っている蓮を紛い物と、そう思い込んでいる仲間たちは、あの時のこの男の動きを気にはしていなかったのだから、容易い事だっただろう。
なのに、動いたのは、蓮を起こした後、だった。
「つまり、こいつの後ろに、もっと強い術者がついている、ってか」
ジュラが天井を仰いだ。
「弔い合戦するには、手強すぎる」
術の類には、全くの弱者である蓮が、首を傾げた。
「あのな、本物の術師で、本当に強い奴は、結界に引っかかったと、感じさせることすら、相手にさせねえぞ」
「何ですって?」
目を見張る大男に、蓮は不敵に笑いながら、続ける。
「オレやあんたに、おかしいと、そう感じさせたなら、そこでもう玄人じゃねえよ。いや、玄人を名乗ったって、分からねえ奴まみれだろうが、少なくとも、オレは違うと言い切る。本物ってのは、相手が死ぬ迄、術中にいると、感じさせねえ力量の奴だ」
そういう奴も、ごまんといる。
「ここの、元頭領も、そうだろうが」
「そうだけど、その本物でなくても、手強いのは本当のことだわ」
その元頭領も、今はいない。
「……その手の事に使える奴は、どのくらいいるんだ?」
考えながらの問いかけに、ロンは少し考えて答えた。
「術系ってことなら……あたしや、ジュラちゃんを含めて、ほんの一握りね」
「それ以外で、腕に覚えがある奴は?」
「殆ど腕には覚えがあるわ。手癖が悪い子もいるけど、そう言う子も一応、護身には動ける」
頷く若者に、ロンが目を細めて問う。
「どうしてそんなこと、訊くの?」
「あんたが捕まってた道沿いの、武家屋敷。あの辺り全体が、何やら怪しかった」
正直、あの場からすぐに逃げたいくらいの、得体のしれない何かがあった。
「強がりは、相変わらずなのね」
少し笑って見せてから、ロンも真顔になる。
「つまり、術云々を考えるより、あそこに住まうお武家を叩けば、おのずと術師も後ろ盾を失くして、滅ぶ、と?」
「大っぴらに叩いちまったら、逆に恨まれちまうだろうがな」
唸る二人と考え込む蓮を見つめ、葵が首を傾げた。
「ってことは、恨まれてたわけじゃねえのか?」
「その辺りが、難しいところだ。初めにあった結界は、使われる場所が限られている。強い妖しの類を封じる時は、ああいうもんを使う」
罠のように呪いを仕掛け、鳴子に似た役割の物を仕掛けて置く。
「その鳴子は、強い妖しが引っかかった時に、鳴る仕掛けにしておく。鳴った途端に、呪いで結界を張る」
だから、どんなに勘が鋭くても、どんなに強くても、引っかかるまで、察することが出来ない。
「この手の捕まえ方は、あんたも言ってたが、手っ取り早く式神を手に入れようとするときに、使われる」
結界の中で弱らせ、徐々に心を崩壊させ、程々の正気を保っている時期を見計らい、救いの手を差し伸べる。
「……」
事も無げに話す蓮に、ロンは目を細めた。
「詳しいわね。どこで見聞きしたの?」
「重様の元主に仕える前は、それこそ、質の悪い術師の元にいたんだよ。オレ自身は、そんな捕まり方じゃなかったが、そう言う捕らわれ方で、蹂躙された奴なら、何人か見た」
目を見張る三人に、若者は笑って見せた。
「だからオレは、その鳴子に気付くくらいには、気を張り詰めて動いてんだけどな」
ロンは、細めていた目を更に細めた。
「まさか、何度かあの辺りは通ってたの?」
「ああ。慎重に通ってたから、何ともなかったがな」
「……」
教えてくれれば、とは言えない。
まさか、自分が引っかかるとは、思われていなかっただけだろうから。
ロンは溜息を吐いてから、気を取り直して問いかけた。
「どうして、あの武家屋敷に、術師なんかがいるのかしら? 余興を楽しんでる? まさか、その武家が実は、ってことはないと思うけど……」
「どうだろうな。身分を偽って、武家に収まってるかもしれねえし」
養子となって、潜り込んだのかもしれない。
「……調べてみるのはいいが、これで気づかれないかが心配だな」
ジュラが眉を寄せ、肩に乗った小鬼を見た。
「どうであれ、弔い合戦するより、今後あんたらが、どうするのがいいかを、考えた方がいいんじゃねえのか?」
ランが死にゆく今、残されるのはまだここに来て浅い弟と、幼い後継者だけだ。
「言っとくが、オレは、行けねえぞ。ランを、操られていたとはいえ、手にかけちまった。それを隠し通す自信は、欠片もねえ」
「……そうね、残念だけど、早めにこの国を出る準備を、進める方がいいわね。数十年間を空ければ、その術師とやらも力を弱めるでしょうし、その時にでも仇を返せばいいわ」
ロンの言葉に、唸りながらジュラも頷いた。
「手強い術師なら、相手をすることになるのは、どう考えてもセイになってしまうからな。ランのことで堪えてる筈なのに、そんな重荷を背負わせるのは、酷か」
そんな事をさせては、大勢の仲間を敵に回してしまう。
話が決まった後は、することも自然と決まる。
初めにするのは、この亡骸の片づけ、だった。
その女は、散らかった座敷を見回し、唸った。
この国の、武家屋敷の中にいるにしては、珍しい色合いの目をした、若い女だ。
「おかしいな、この辺りに転がしてたはずなんだけど」
答えるのは、武芸者の姿の若い女で、心底呆れている。
「どうすれば、ここまで散らかせるのですか。しかも、転がしてたって、妖刀を、ですか?」
「いいじゃないか、ちゃんと鞘に収まってた刀だ。抜いてないんだから、害なんかない」
「もし、それが誰かの目に止まって抜かれたら、取り返しがつかないじゃないですか」
責め口調の女に、座敷の主の女は口を尖らせた。
「いいじゃないか、どうせ、お前に上げるつもりで、滅しないで取っておいたんだから」
「私は、そんなもの、欲しくありません」
困った女の言い分は聞き流し、散らかった座敷内を更に散らかしながら、女は探し物を続ける。
「欲しくなくても、持って行ってくれないと、困る。あんな奴に、あんなもの渡せないからな」
「誰か欲しがったのなら、それこそその方に差し上げるか、滅してくれていれば……」
「クロ」
手を止めた女が、振り返った。
名指しされ、クロと呼ばれた女が見返すと、女は真顔で言った。
「武家の後継ぎに収まってるのに、式神を欲しがって、挙句、面倒だからと罠を仕掛けて、無理やり式を作ろうとしてるような奴に、金を貰って引き渡せと?」
目を見張り、クロは少し考えてから問いかけた。
「まさか、ここに来る途中に張られていた結界、その者の作でしたか? 私はてっきり、姉上が乱心したのかと」
「お前、言う事に事欠いて、それはないだろうっ? 私は、この国の奉行に乞われて、守りを強くする策を考えているだけで、そんな質の悪い事には係わっていないっ」
安堵の溜息を吐き、クロは言った。
「確かに、あれは質が悪い。うちの奴らは引っ掛からなかったが、一人大物が引っかかっていました」
「本当か? それは、由々しき事態だな。あいつが、そんな強い式神を持ってしまったら、証の出ない殺しが、増えるかもしれない」
女が唸るさまを、クロは感慨深げに眺めていた。
それに気づいた姉が、怪訝な顔をする。
「どうした?」
「いえ。安心しました。重様が亡くなられたと、文書のみでお知らせしてしまったので、前のようにご乱心なされていたら、私では止められません」
「今度は寿命であったのだろう? 看取れなかったのは残念だが、致し方ない。私は、あの時のあの方を、信じ切ることが出来なかったのだ。合せる顔が、なかった」
そんなしんみりとした言葉に、妹もしんみりと頷いた。
「信じぬどころか、盟友の方々を逆恨みし、蠱毒を作っていたなどと知られては、あの方もさすがに悲しまれるでしょう」
老人のように白い髪の女は、目を剝いて妹に詰め寄った。
「お前まさか、それを漏らしてはいまいな?」
「漏らせるはずもありません。私だって、皆さんが集った場に、弔い合戦と称して、乗り込んでしまいましたから」
あの場に、重がちゃっかりと紛れて座っていなければ、ここまでこの国は収まっていなかっただろう。
「あれで怪しい家臣を一掃できたと、あの方々には慰めてもらいましたが、私も蓮も、姉上の事を責めることは出来ません」
重を看取った後、蓮は姿を消した。
自分が江戸を離れなかったのは、もう一人の僧を慕って、離れがたかったからだ。
その僧も、つい一月前に鬼籍に入った。
それを姉にも告げると言う名目で、クロは長崎のこの屋敷を訪ねた。
「……お前の方は、看取れたのだな。良かった」
「はい。年老いても、美しい方でした。心根も……」
声を詰まらせた妹に、何を思ったのか贈り物をしようと探し始めたのが、妖刀だったのだ。
「ここまで探しても、気配がないと言う事は、ここにはないのかもしれない。もしかして、己で動いたのか?」
「やめて下さいよ、動ける刀など、早く滅してくださいっ」
「そんな力はないはずだから、転がしていたんだが……」
そもそも刃物類を、地べたに転がしておくのがおかしい。
そう返したいのをぐっとこらえたクロに、控えめな呼びかけをした者がいる。
振り返ると、この座敷は危ないと下がらせていた、幼い娘だった。
「お話し中、申し訳ありませぬ。お目通りしたいと、どこかの殿方が……」
「奉行かな?」
姉が首を傾げ、頷いて通すように言った。
「あの方は、この座敷に、何も感じないらしい」
「この座敷に、ですか」
それは、様々な意味ですごい。
そんな顔で感心する妹の前で、女は簡単に身づくろいし、しとやかなたたずまいで客を迎えた。
だが、座敷に姿を見せた姿を見て、驚いて目を剝いた。
「え、何で、お前……」
「……やっぱり、お前かよ」
座敷の外の廊下に立つ若者が、冷ややかに呼びかけた。
「随分永く、雲隠れしてたじゃねえか、シロ」
「れ、蓮、お前、全然変わらないな」
返しながらシロと呼ばれた女は、妹を見た。
見返したクロも、意外な再会に目を丸くしている。
「お前さん、こんな所にいたのか? と言う事は、国を出る覚悟が、できたのだな?」
「お前こそ、ここに来たってことは、亡くなったんだな? あちらの、ラン様も?」
「あちらのって……」
クロが戸惑いながら訊き返し、思い出した。
「ああ、あの性悪な男の娘さんも、ラン、だったな。あの人も、死んだのか?」
「こっちのランは、それらしい死にざまだった。あちらは、往生したか?」
頷いて更に尋ねる若者に、女は答える。
「坊さんだからな、戦まみれの時と違って、波乱の生涯でもなかった。……そちらは、誰かの手にかかったのか?」
「……ああ」
更に尋ねたクロに、蓮は頷いてから、手にしていた物を座敷内に放り投げた。
乱暴な投げ入れ方にむっとしつつも、シロは座敷に落ちたそれを見て、思わず声を張り上げた。
「あっっ、あったっ」
「それで、オレが、手にかけちまった」
拾い上げようとした、女の手が止まった。
「……人を、斬ったのか? これで?」
「ああ」
「何てことをっ。ちゃんと浄化して、クロに上げる気でいたのにっっ」
「あのなあ……」
自分の周りは、どうしてこんな奴ばかりなんだと、蓮は内心嘆きながらも、低い声で怒鳴った。
「お前が、きちんと封印してねえから、あんな術師野郎に、持ち出されて悪用されるんだろうがっっ」
「悪用? 誰が? まさか、無かったのは盗まれたから、なのか?」
何でこれが、影で一目置かれる術師の、一人なのだろうか。
頭を抱える女を見やりながら、苦い溜息しか出ない。
そんな若者を見ながら、クロが静かに言った。
「……持ち出されたのは、致し方ないでしょう。その辺りに転がしていたのなら、気軽に、持って行ってしまいたくなります」
「んなこっだろうとは思ったが、本当にそうだとはなっ」
苦く吐き捨てるしかできない若者に、シロが真顔で声をかけた。
「術師と言ったな? どんな奴だ?」
問われて若者が死んだ男の容姿を告げると、女は唸った。
「あいつ、この屋敷には出入りしていない。どこからかこれの事を聞きつけて、金を積んできたが、見せてもいない。と言う事は……」
シロは、鞘に収まったその刀を持ち上げ、凝視した。
目を凝らしながら、首を傾げる。
「? こいつ、少しはお前の力を、奪ったんだろう?」
「ついでに、血も吸った筈だ」
「おかしいな、綺麗なもんだ。浄化したての、刀にしか見えない」
聞いた蓮が、目を逸らして小さく笑った。
「何だ、どうした?」
「いや、何でもねえ。お前がその術師に、その刀を見せたことがねえなら、そいつ自身が動いて、主を探し当てたってことじゃねえのか?」
「……そうなのかな。単にこの座敷から逃げたくて、外に飛び出したら、偶々そいつに拾われた、ならあり得る気がするけど」
散らかり過ぎの、自覚はあるようだ。
「主を探して飛び出したのなら、刀を抜いたのが、お前では、おかしいからな。お前に、これを持たせたあいつは、お前の主となる気でいたのだろうが」
死んだのならば、もう気にすることはない。
シロは首を竦め、蓮に礼を言った。
「助かった、これを持ちだしてくれて。その、性悪な奴らに悪用でもされたら、夢見が悪くて仕方ない」
「礼なら、それを浄化した奴に、言ったらどうだ。そいつ、見事に仲間を騙しやがった」
この刀の持ち主は、本来はここにいるシロだ。
刀の持ち主を調べ、押し入られていたら、術は強くても体力に自信の欠片もないこの女は、すぐに命が危うい事になっただろう。
あのまだ幼さの残る若者は、蓮を起こすまで、自分の事を術師に分からせなかった。
無意識なのか、そう意識して、なのか。
その小さな事が、仲間が更に動こうとするのを、抑えるものになった。
お蔭で、刀を持ち出せ、蓮も葵を残したまま、ここに来れた。
「そちらの礼は、会う機会があったら、することにするが……」
シロが頷いてから、不意に問いかけた。
「お前、この後、何をする気だ?」
ここに来たのは、自分がこの刀の持ち主だと、当たりをつけたせいだけでは、ないだろうと言う女に、若者は笑って見せた。
「別に、何もしねえよ。本当に、これを返しに来ただけ、だ」
「ここには、だろ?」
シロは返し、蓮に近づいた。
「お前がそう言う顔をしている時は、投げ槍になっている時だ。その連中の代わりに、あの屋敷に乗り込む気だな?」
「だったらなんだ?」
「やめとけ」
女はきっぱりと言った。
「あそこの殿はな、何故か南蛮の者を、蛇蝎のように嫌っている」
「長崎に住んでるのに、か?」
「元々、代々住んでいたのに、そこにああいう島を作られるわ、南蛮の船が海を行きかうわで、許せないらしい」
「仕方ねえだろう、ここは、大陸から渡りやすい」
「そう、だから、大陸の、お隣の国なら、そう目くじら立てないんだよ」
シロが頷き、続けた。
「顔も髪の色も、同じならいいけど、変わった色合いの者が傍で出入りするのが、すごく嫌らしい」
だが、要職には未練があるから、裏で画策する。
「だから、後継ぎが不慮の死を遂げてもいいように、たくさん囲っているんだよ、術師を」
今のところ、そんな気配はないが、南蛮の者を受け入れている民にまで、憎しみをぶつけかねない奴だった。
「……」
「お前が、今度は、町の者を襲うようになっても、困る」
言い切ってから、女は眉を寄せた。
「それとも、呪いが効かない手で、押し入る気じゃ、ないだろうね?」
蓮は無言で、顔を逸らした。
その動作で図星と察し、聞いていたクロが目を険しくした。
「蓮、そのやり方は、無駄だと分かっているだろうっ?」
「ああ。だから、ちゃんと工夫を凝らす」
若者は静かに答え、腰に付けていた小さな甕を持ち上げて見せた。
「油、だ」
「……」
「それで、オレもろとも燃やせるはず、だ」
呆れ顔になったシロが、その顔のまま言葉を吐きだした。
「焼き切れないかもしれないし、何より、あの屋敷だけで、止まる自信があるのか?」
「そん時の後始末を、頼みに来た、ってのもあるな」
けろっとした若者の言い分に、女二人が同時に溜息を吐いた。
「あのな……」
「いいじゃねえか、元はと言えば、お前がその妖刀をしっかり見てなかったから、オレはあいつらと国を出る、と言う道を選べなかったんだぜ」
それを言われると、黙るしかない。
シロは苦い顔で蓮を見つめ、それでもこれだけは言った。
「ただ、苦しい思いをするだけかもしれないぞ、いいのか?」
そんな憎まれ口に、若者は不敵に笑って答えた。
「今まで、苦しい思い、してねえと思ってんのか?」
「蓮、あの連中に混じれなくても、国を出る算段位、私も考える。早まるな」
「何も、国を出たくて、奴らの所に行ったわけでも、ねえよ。選べなかったってのは、言葉の綾だ」
ただ、来ているようだったから、立ち寄って挨拶しようと思っただけだ。
「望むもんなんか、何も、思い浮かばねえからな」
言葉を失ったクロは、立ち去る蓮の背を見送り、姉と顔を見合わせた。
「思ったより、重症ですね」
「私じゃなく、蓮の方が、乱心してるじゃないか」
シロも呆れた顔で、首を振った。
ランを運び込んだ部屋から、セイとエンが出て来たのは、夕方だった。
どちらかと言うと、エンの方の顔色が優れず、黙ったまま自分にあてがわれた部屋へと歩いて行く。
「しばらく、休ませてやれ」
セイが無感情に言い、近づいたロンを見上げた。
「ここも、暫くそのままにしておいてくれ」
「……ランちゃんは?」
「……もう、弔った」
短い答えで、何があったのか分かったらしい。
固い顔で頷き、エンが入った部屋の方へと目を向ける。
「流石に、堪えたみたいね」
「ランの遺言だからね。見守れとまでは言われなかったけど、あいつは出て行かなかった」
セイは、出かけた時から持っていた傘を手に、廊下を歩きながら、この後の事を尋ねた。
「船の用意を進めているわ。日が昇るまでに、この国を出ましょう」
「ああ」
それまでに、あの部屋に残した者が起きるかどうか。
そんなことを考えながら、自分にあてがわれた部屋へと向かったが、途中で葵に捕まった。
若者を見止めた大男は、少し顔を歪め、咳払いした。
こちらは平気なのに、酒友達だったと言うだけの男が、まだ会って間もない自分に、同情してくれているようだ。
「その、大丈夫、か?」
本当に、調子の狂う人だと、思わず苦笑しながら、セイは頷いた。
「あんたの方が、大丈夫じゃない顔してるよ」
「そうか。まあ、元気出せよ。ちゃんと食って、ちゃんと寝るんだぞ」
「ああ」
顔が緩んでいる若者を、何故かロンが、目を剝いて見守っている。
「お、いた。お武家さん、やっぱりいないようだ……」
ジュラが、葵に走り寄ろうとして、立ち止まった。
「そうか。どこ行っちまったんだろう? つうか、オレは、どうやって帰ればいいんだ?」
ここに残らないのであれば、蓮に送ってもらおうと、葵は考えていたのだが、その若者の姿が見えない。
気安くなった、ここの者たちにも頼んで、探していた所だった。
「どうしたんだ?」
自分を見たまま固まったジュラが、全く動く気配がないので、セイは葵に尋ねてみた。
「蓮が、いなくなっちまったんだ。まさか、オレを、ここに押し付ける気じゃねえよな?」
「……それは、困る」
思わず、セイは本音を漏らした。
「何だとっ?」
「だって、行く先々で、迷っていなくなるような人、一々探すのも、大変じゃないか」
「そこまで、ひどくねえよっ」
本人の強い言い分は無視し、セイは目を剝いたままのロンに、声をかけた。
「この人を送って来る。どこかの山だったよな?」
「いえ、ちょっと、待って」
我に返った男が、その言葉にようやく返した。
「蓮ちゃんを見つけ出して、引き渡せば、すむことでしょ? まだ近くにいるはず。探すわよ、ジュラちゃん?」
ロンは呼びかけた男が、固まったまま動かないのを見て、溜息を吐いた。
「ああ、そうよね、これは仕方ないわ」
呟いて、男は精一杯の力で、自分の両手を打った。
盛大な音に、ジュラが我に返り、周りで秘かに固まっていた仲間たちも、目が覚めたように辺りを見回した。
「……どうしたんだ?」
突然、大きな音を立てた男に、セイは眉を寄せただけだ。
「何でもないわ。目立たない子を集めて、この島の外も探してみるから」
「ああ、頼む……?」
この場にいた者が、慌てて動き出すのを、若者は眉を寄せながらも見送った。
「遠くには行ってないって、いつから姿が見えないんだ?」
「さっきは、いたんだ。あの、蓮に化けてた奴の亡骸を、運び出した時までは」
「……刀は?」
「刀?」
葵は首を傾げてから、ああ、と頷いた。
「蓮が持ってた奴か? お前んとこの人が、船出した後に海の中に沈めるとか、言ってたぜ」
「どこにあるのかは、分かるか?」
「いいや、お前んことの人が、持って行ったぜ。あの男が持ってた方は、蓮がどっかで売るとか言ってたが」
「……」
画策、し過ぎたか。
セイは、舌打ちしそうになる。
そう、あの時、セイは男の手に握られた刀と妖刀を、すり替えた。
本来の妖刀は浄化し、何の変哲もない刀の方に、その気配を刷り込ませておいた。
あの本物の妖刀を、本来の持ち主に返しがてら、釘を刺しに行くつもりだったのだ。
蓮は分かっているのか否か、本物の妖刀を、持ち出してしまったのだ。
あれを、万が一興味本位で抜かれては、不味い事になる。
葵の前だと言う事を忘れ、セイは無言で外へと歩き出した。
「お、おい、どこ行くんだ?」
追いかけて来る大男に構わず、外へ出た若者に、控えめに声をかけた者がいる。
「もし、この宿に、お泊りの方でしょうか?」
声の方へ目を向けると、幼い娘が、自分を見上げている。
その顔は怯えで引き攣っているが、何とか逃げずに立っている。
「私の事か?」
「はい。わが主が、あなた様に申し上げたい儀があると、仰せです」
「……私に?」
目を見張るのは、意外なせいだ。
あの連中の中にいると、自分はどう見ても仲間の上に立つ者には見えないようで、紹介の度に驚かれる位だ。
つい、訊き返すと、娘は頷いて、小走りに走り出した。
その場に立ち尽くす若者に気付いて、一度立ち止まって振り返ると、またすぐに走り出す。
ついて来いと、言われているようだ。
仕方なくその後に続くと、葵も後に続いて走り出す。
「あんたは、宿にいてくれ。蓮が戻ってきたら、すぐに引き取ってもらわないと」
「その、蓮の事かも知れねえぞ、あの娘っ子の主の話が」
そうだろうとは思うのだが、色々話しずらい事もありそうで、葵は引き離しておきたかった。
だが、もう仕方ない。
二人は小走りで娘に追いつき、やがて傘を被った侍らしき者の前に立った。
エンよりは小さいものの、この国では大きい方に入る、そんな背丈の細身の浪人だったが、傘を取った顔は意外に若く、整ったものだった。
物腰も柔らかく、静かに一礼すると、セイを見つめた。
「なるほど、あなたなら、全ての術を通さぬ力がありそうだ。初めてお目にかかる」
そんな、侍の腰の物を見つめ、セイが返す。
「あなたが何処のどなたかは知らないが、それを差していると言う事は、あなたがそれの持ち主か?」
ロンたちの目を誤魔化し、変哲のない刀に見せたはずの物が、妖刀本来の気配でその腰に差さっていた。
「話せば長いのだが、よろしいか? こちらは、少し時がかかろうとも、あなたに頼みを通せるのであれば、構わぬ覚悟でここにいるのだが」
「その長い話の間に、こちらに更なる災厄がないのなら、聞かせてもらう」
無感情に頷いた若者に頷き返し、侍は静かに語り出した。
この妖刀が悪さをするに至った経緯と、蓮のその後の動きを。
クロと名乗ったその侍は、話し終わって息をつくと、改めて切り出した。
「このような事を頼むのも心苦しい、だが、私としては、主の遺言を疎かにする蓮を、止めなければならぬと、そう思っている」
重は死の間際まで、蓮の呪いのかかった体を、気にしていた。
「寿命もなく、時すら理不尽に止められ、死ぬことすら叶わぬ体になっている。主はそんな蓮に、まずは己の故郷を訪ね、本当に、母を殺めたのか、確かめてこいと申された」
葵が、口の中で声を殺した。
無言のセイを見下ろしながら、クロは真剣な顔で続ける。
「蓮は、威勢はいいが、己の事には臆病だ。だが、これは、主の最期の願いなのだ。それを疎かに、奴は、あなた方の元で亡くなった者の弔いを言い訳に、ある屋敷への奇襲を、画策している」
「ある屋敷って、まだ術師がうようよいるかもしれねえ、あの屋敷か?」
葵が青くなるのに頷き、クロは言った。
「だが、私の案じるのは、その事ではない。蓮は、あの場で、無駄になるであろう行いを、しようとしている」
己の命を、かき消そうとしている。
「……私に、どう止めろと?」
わたわたする葵の横で、セイは静かに問いかけた。
答える侍は、ゆっくり首を振る。
「分からない。だが、何とかできるとしたら、こちらの集団の頭しか、思い浮かばなかった」
「カスミなら、それが出来たかもしれないけど、私が出来るとは思えない」
「蓮が使うその策は、下手したら、この島にまで及ぶかも知れない、災禍だ。それを、防ぐのは、私と姉が、この命を持ってやらせていただく。あなたは、どうか、蓮を……助けてやってくれ」
思わず目を見張り、セイはその言葉を繰り返した。
「助ける?」
「私たちでは、余りに近すぎて、それが叶わない。遠すぎる者たちでも、とてもできる事ではない。だが、あなたなら……」
目を見張ったままの若者を見返し、クロは微笑んだ。
「何故か、それが出来るような気がする。あなたとは初めて顔を合わせる上に、術師のなりそこないの私が言うのもおかしいが……あなたは、蓮と同じ気配がある」
「……」
そのまま目を細めるセイに、侍は困ったように笑い、頭を下げた。
「すまない、余計な事を言った。許せぬのなら、この場で命を絶ってくれても、構わぬが……」
「そんな面倒な事、したくない。それよりも、本当に出来るのか? この島や近くの町に、災禍が及ばぬように、防ぐことが?」
セイが無感情に尋ねた。
頭を上げたクロが、意外そうに目を見開きつつも、頷く。
「私は兎も角、姉は、とても頼りになる方だ」
「なら、そうなったときは、頼む」
セイは、手にしたままの傘を頭に被った。
「あの武家屋敷で、いいんだな?」
言いながらも、傘の中の顔は、険しくなっていた。




