猫年
年が明けた。干支でいうと今年は丑年になるらしい。
僕は干支というやつがすこぶる気に入らない。どれくらい気に入らないかというと、ねこじゃらしを目の前でちらつかされ、結局触れさせてくれない人間くらい気に入らないのだ。
「チャイム。あけましておめでとう」
にこりと笑いながら近づいてくるのは、一応僕の飼い主の西川風鈴だ。とりあえずニャーと鳴いておけば満足するだろう。僕は彼女に向かってニャーと鳴いた。
「ありがと。今年もよろしくね」
風鈴はそれだけ言うと、バタバタとせわしげな足音を立てて出掛けていった。そういえば昨夜、恋人と初詣に行くというような内容を電話で話してたな。
僕は最近、ずっとほったらかしだ。
「猫年がないからいけないのよ」
ふとそんな声が、僕のキュートな耳に届いてくる。振り返ると、慣れた鼻つきで窓を開け、寒風と共に部屋に入ってくる小柄な猫影が見えた。
「ベルか。君のとこも同じなのかい」
「似たようなものよ。挨拶したっきり相手にされずね」
ベルはそこまで喋ると丁寧に鼻を使って窓を閉めた。相変わらず器用なことの出来る猫だ。
彼女は僕の目の前で丸まると、前足で小さく顔を撫でる。
「チャイム、あなたも同じことを考えてたんじゃない」
「猫年がないからってやつかい」
「そうよ」
ベルの目がキラリと光った。今まで見せたこともないような表情だ。僕は少し驚きたじろいだ。
「おかしいじゃない。私たちほどかわいくて人間の心を癒す動物はいないのに、干支に入っていないなんて。牛や鼠や…たつでさえ選ばれているのよ。たつって何よ。実際にはいないクセに」
まるで【たつ】さんを今生の敵だと言わんばかりに吐き捨てた。個人的には、【たつ】さんはカッコイイから好きなんだけど…ただ内容には僕も激しく賛同だ。
「君の言うとおりだと思うよ。僕らを干支に選んでいないのは、人間が犯した大きな罪だ。許す事はできない」
「そうでしょう。私たちが主役になる年が、十二年に一回くらいあってもいいはずだわ。本当は毎年主役でもいいくらいだけど。そこで…ちょっと私考えてきたの」
いじわるっぽく顔をくしゃりと歪めたベルは、小さく髭を震わせた。よほど痛快な作戦を考えてきたのだろうか。楽しみでたまらないといった様子である。
「作戦名は【干支を乗っ取っちゃえ大作戦だニャー】よ」
「えっ……」
いきなり作戦名を言われても。しかもワケ分かんない名前だし。僕はキュートな目をパチクリとさせて首を傾げた。
「ふふふ…驚いたようね」
「いや、驚いたといえば、まあ驚いたけど。で、どんな作戦なの」
「作戦はいたって簡単。元旦で浮かれている人間のところへ足を運んで、猫のかわいらしさと大切さを思い知らせるの。そしてそのまま、「牛より猫よねー」みたいな雰囲気で世間を覆い尽くし、世の中を猫一色にしちゃうのよ」
「はあ…猫一色に」
「そう。猫一色に」
ベルは得意げな顔で言い切った。
「でも、具体的にはどうするつもり?人間に猫の大切さを思い知らせると言ったって、いまさら簡単に出来るとは思えないけど」
「だから元旦をうまく利用するのよ。なぜか人間は、年が明けたら意味なく浮かれて、おめでとーおめでとーって気持ちをゆるくする。私たちはそこに付け込むのよ」
「どうやって?」
「まずは初詣を狙うわ。初詣にはテレビも取材にきてる。私たちはそこで猫のキュートさをアピールするの。そうすれば、テレビを見てる人たちは猫の姿にくぎづけ。牛なんてもう頭から無くなるわ」
長時間喋って興奮したのか、いつの間にかベルは立ち上がっていた。尻尾も天井に向かってまっすぐ立っている。
「な、なるほど。まあ座ってよ」
「それもそうね。私ったら、少し取り乱しちゃったみたい」
ベルはフニャと小さく鳴いて張り詰めていた気を抜くと、優雅な仕草で腰をおろした。
相変わらず、自己主張の激しい猫だ。
「ベルの考えた作戦の内容は良くわかったよ。僕もいい作戦だなあって思う」
「でしょう」
ベルはちょっと顎を上げてふふんと鼻を鳴らした。
「でもさ、問題はうまくいくかどうかだと思う。そんなに思惑どおりにいくとは思えないんだけど」
「あのね、チャイム」
ベルは呆れたような表情を浮かべ、細めた目で僕を見た。
「やる前からうまくいくかどうかなんて、考えたってわかんないじゃない。とりあえずやってみるのが大事なの。優柔不断は猫の最も悪いとこじゃない。逆にそこさえ克服すれば、私たち猫は最強のペットになれるはずよ」
確かに、説得力のある台詞だ。僕たち猫の唯一の欠点は、人間たちから気まぐれと揶喩される【優柔不断】さだ。向き合い打ち勝つために、この作戦は意味のあることだと言えるかもしれない。
「うん、そうだね。わかったよベル。僕も君の作戦に協力するよ。一緒にがんばろう」
「ホント?ありがとうチャイム。あなたならそう言ってくれると思ってたの」
ベルは喜々としたそぶりで立ち上がり、僕に体を擦り寄せてきた。こういう仕草は女の子っぽくてかわいいんだけど。
とにかく、ここに世の中を猫一色にするべく、僕とベルの同盟が結成されたのである。
元旦の街は、冷気に覆われていてものすごく寒い。僕等は屋根伝いに近所の神社に向かっていたが、前足も後足も感覚が薄れるくらい寒さにやられてしまっていた。
「ベル。もうちょっとゆっくり行こうよ」
「何言ってるの。テキパキ動かないと余計寒くなっちゃうわよ」
人間の童謡で言えば、冬の猫はこたつで丸くなるのが相場なはずだ。ベルに同意したとはいえ、わざわざ今日に作戦を決行する必要が本当にあるのか、僕は疑念を抱きつつあった。
「本当にさ…元旦じゃなきゃダメかい」
「あのねえ、チャイム」
呆れたような顔を浮かべ、ベルは僕の方を振り返った。
「さっきも言ったけど、元旦は人間が浮かれまくってるの。付け入るスキがたくさんあるの。今日が1番作戦を成功させられる日なんだから、今日やらなきゃ意味がないのよ」
そんなやりとりをしてるうちに、僕等は近所の神社に到着していた。
「うわあ」
今まで見たこともないような数の人が、眼下の景色を覆い尽くしている。女の人たちの一部が、きらびやかな服を身につけているのが目に留まった。
「あれはキモノっていうのよ。浮かれポイントその1といったとこね」
なるほど、確かに元旦というだけで、人間は相当浮かれているようだ。ベルの作戦も少し現実味を帯びてきた。僕等は早速屋根から下り、神社周辺をうろつきながらカメラを探すことにした。
「ん、アレは何だろう」
それは異様な光景だった。神社のそばにある大樹の枝に、白い紙がたくさん巻かれている。
「これはオミクジっていうのよ」
「オミクジ?」
「そう。オミクジの中には、今年はこんな年になるよってことが書かれてるんだって話よ」
「えっ!それは凄いね」
「でもね、本当に当たるかっていうとそうでもないみたいよ。私のご主人様は去年ダイキチだったけど、実際はあんまりいい年じゃなかったみたい」
「ダイキチ?」
「オミクジの1番いいものがダイキチなんだって。どちらにしろ浮かれポイントその2ね」
人間というのはつくづく良くわからない生き物だ。オミクジなんて誰かが作ったもので、今年がこうなるああなると一喜一憂する。そんなことに意味があるとは思えない。
おいしいエサをもらうためにたくさん可愛がられようと努力する猫の方が、よっぽどわかりやすくて簡単だ。人間は何でわざわざ複雑に生きようとするのだろう。
「ああ〜猫ちゃんだー」
ふと、近づいてきた人間の子供が、僕とベルの頭を交互に撫でてきた。気持ちいい。
「うふふ、やっぱり私たちのかわいさは万人に通用するみたいね」
予想通りといった顔で、ベルが僕に耳打ちしてきた。確かにこの調子でいけば作戦の成功も難しくはないかもしれない。
しばらく入れ代わり立ち代わりで人間たちの相手をしていると、少し騒がしめの集団がこちらに近づいてきた。
「あれがテレビ局よ」
物々しいいでたちで現れたテレビ局の人間は、何に使うのかよくわからない機械をたくさん担いでいた。真ん中にいる小柄な女の人だけが、普通っぽい格好をしている。彼女たちは、さっきまで僕らの虜になっていた子供の一人をつかまえて、何かしら話を始めた。
「いんたびゅーが始まったみたいね」
「い、いんたびゅー?」
「今がチャンスってことよ」
言い終わるや否や、ベルは物凄い勢いで走り出した。慌てて僕も後を追う。ベルはいんたびゅー中の子供の足元にたどり着くと、ニャーと鳴きながらその子に擦り寄っていった。僕も後に続く。
「さっきの猫ちゃんだー」
子供は喜々とした表情でしゃがみ込み、ベルと僕の頭を再び撫ではじめた。
「かわいい猫もやってきました。招き猫でしょうか。縁起のいい初詣です」
明らかに、テレビ局の一団が僕等に注目をし始めていた。ベルの作戦通り、このまま初詣を乗っ取れるかもしれない。そう確信した瞬間だった。
少し離れた場所から、悲鳴のような大歓声が上がった。その瞬間、テレビ局の一団も一斉に歓声が上がった場所に駆け出していた。完全に置き去りにされた僕とベルは、そのあっという間の出来事を呆然と眺めていた。
「な、なんだ?」
「とにかく、追いかけてみましょう」
僕等も後を追って走り出した。かなりの規模の人だかりが出来ている。僕等は人々の足を縫うように走り抜け、人だかりの最前列に踊り出た。
「う…うぇんすせーじ」
「えっ?」
「人気タレントのウェンスせーじよ!」
ベルは口の端を忌ま忌ましげに吊り上げ、人だかりの中心にいる人物を睨みつけた。
ウェンスせーじ。聞いたことはチラチラある。確かによくテレビに出ている人間だ。しかしなぜこんな所に?
「しまった!ウェンスせーじの故郷はこの近所なんだったわ。私としたことが情報不足だったみたいね……」
ベルは悔しそうに吐き捨てた。とはいっても、有名人のスケジュールまで調べるのは無理ってものだろう。僕等、猫なんだし。
「う〜ん。仕方ないよベル。今回の事態は明らかに運が無かった。ここは諦めた方が無難じゃないかな」
テレビ局だけではなく、神社にいるほとんどの人達がウェンスせーじにだけ興味を注いでいる。この状況のまま作戦を続けるのは危険だ。
「仕方…ないわね」
ベルは天を仰いだ。その悔しさは僕にも十分理解できるだけあって、熱いものが込み上げてきた。
「次だよベル。まだ次がある」
知らない間に、僕は今回の作戦に入れ込み始めていた。
次の作戦の場所はでぱーとである。
「今日は元旦。いわゆるハツウリの日だわ」
「ハツウリ?」
「そう。元旦っていうだけの理由で、いつもよりものを安く売ることをいうの。人間の浮かれポイントその3ね」「じゃあ、それだけ今日は人が多く集まるってことかい」
「そうよ。そしてここにもテレビ局が現れるはず。今度こそテレビごしに、私たちのかわいさをたくさんの人にアピールするのよ」
ベルの目には復讐の炎が燃え上がっていた。僕の心もつられて熱くなる。
「でも、いくら新年だからってでぱーとの中に入るのはリスクが大きいわ。うまく外でテレビ局を待ち伏せましょう」
僕は軽くうなずいた。
「それにしても、ベルは元旦に詳しくよね」
「去年ご主人様と一緒に初詣もでぱーとも一緒に来てるからね。そこで人間の生態を私なりに研究したのよ」
「へえ、さすがベルだねえ」
僕は普通に感激していた。ベルは本当に勤勉な猫だ。
でぱーと周辺は人や車がとても多い。踏まれたり轢かれたりしないように注意しながら、僕等はでぱーと近くまで足を運んだ。
飼い主の風鈴に連れられ、何度か近くまで来たことのあるでぱーとだが、確かにいつもと違う雰囲気が漂っている。心なしか暑いのだ。冬なのに。
「人間のハツウリに賭ける熱意ね」
僕の心を読み取ったかのように、ベルが暑さの理由を教えてくれた。ハツウリというものは、それくらい人間に大きな影響を与えるものらしい。おそるべしハツウリ。
「あ、猫。かわいい」
ふと、僕等の元に近づく人影が見えた。人間の女性である。小走りで目の前まで寄ってくると、そのまま僕は抱き抱えられていた。その女性の友人らしき人もそれに続き、ベルの頭を撫ではじめた。
僕等はあっという間に、でぱーと近辺の人達の注目を集めていた。
「うまくいきそうね」
ベルがにんまりと笑う。初詣の予想外の失敗は、取り返せそうだ。
そうこうしていると、初詣でみたようなテレビ局の一団が、僕等を中心に出来た人だかりに向かってきた。いよいよチャンスだ。
「たくさんの人だかりが出来ていますが、一体何でしょうか」
そんなことを言いながら、近づいてくるテレビ局。いよいよアピールタイムだ。
「猫です。珍しくデパート前にかわいらしい猫がいます」
ついにカメラに映る僕等。ようやく目的が果たせる。そう思ったときだった。
人だかりが、一斉にでぱーとに向かって駆け出した。僕も気付けば地面に下ろされ、テレビ局も人だかりの動きに乗じて僕等の元から立ち去っていった。
「な…なんだ」
「まさか、フクブクロの販売が始まったの!」
ベルがわなわなと前足を震わせ、忌ま忌ましげにでぱーとに吸い込まれる人の群れを睨みつけていた。
「フクブクロ?」
「そうよ。元旦最大の浮かれポイント。それがフクブクロ」
「そ、そんなに凄いのかい。フクブクロって」
「高いものから安いものまで、普段とは比べものにならない破格で売る荒業よ。誰だってフクブクロが売り出されるその瞬間を待っている。こんな時間から販売だなんて、完全に誤算だったわ」
ベルの推測を裏付けるように、【福袋】と書かれた大きな袋を手にした人が、ちらほらとでぱーとから姿を現していた。
僕等は揃ってうなだれていた。猫のキュートさを上回る人間の欲望の強さを、甘く見すぎていた。
「あれ。ベルに…チャイムじゃない」
ふと、僕等の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。見上げると、見慣れた顔がそこにあった。
「ご主人様?」
ベルの飼い主である二宮潤だ。僕の飼い主である風鈴の会社の先輩に当たる人だ。
「もう。また二人でいたずらでも考えてたんでしょう」
呆れた表情を浮かべ、人差し指でベルの頭を軽く叩く潤。ベルは目をつむって肩をすくめた。
「あたし買物終わったから、一緒に帰るよ。あんたの餌もちゃんと買ったから。お正月だからちょっといいものよ」
そう言って潤はベルを持ち上げた。おいしい餌があると聞いたからか、さっきまで暗い表情だったベルは、目を輝かせて潤を見つめていた。
「ごめんなさい、チャイム。今年は作戦中止にしましょう。また来年にでも」
「チャイム。あなたも遊んでないで帰りなさい。風鈴が心配してるわよ」
二人……というか一人と一匹は、それだけ言い残すとでぱーとから去っていった。
帰り道。僕は一人ぼっちで家路を歩く。知らない間に、日は落ちかけていた。
「なんだかなあ」
ふとこぼした言葉。ちゃんとかまってくれる飼い主がいるベルが、ちょっと羨ましいという気持ちが浮かんでいた。帰っても、風鈴は僕のことなんてかまってはくれないだろう。
作戦も失敗。年の始まりだというのに、今日は悪いことづくめだ。
窓から部屋に入る。あったかい。風鈴はもう帰ってきてるのだろうか。
「もー。どこ行ってたのよ」
風鈴が近づいてくる。視界が高くなる。抱き上げられたみたいだ。
「お年玉があるんだから、勝手にどっか行ったらダメじゃない」
オトシダマ…?
風鈴が僕にプレゼントをしてくれる?
僕を床に下ろすと、風鈴はがさがさと買物袋の中から何かを取り出した。
「はい。新しい首輪と、チャイムのベッドと、おいしいキャットフードよ」
並べられた豪華なプレゼントに、僕は完全に虚をつかれた。
風鈴が僕のために、こんなにたくさん買ってきてくれるなんて。
「今年もよろしくね、チャイム」
風鈴が僕の頭を撫でた。自然と、僕の口からニャーという声が漏れていた。
「あのさあ、ベル」
「なあに、チャイム」
「うん、僕さ、猫年があるとかないとか、昨日一日たくさんの出来事を体験して、何だかどうでもよくなってきたんだ」
「私も一緒だわ。私達は干支に選ばれてなくても、ご主人様たちから大事にされてる。それだけでいいのかも」
「うん。僕等はきっと誰だって、僕等自身が主役なんだね」
1月2日の正午。屋根の上。快晴。冬だけど暖かい風が、僕等の体を優しく撫でた。
完




