じゃあ魔王くれません?
その少女は、ひたすらに走っていた。
暗く、果ての見えぬ道―――振り返りたくはない、何か形容しがたい恐怖が彼女の背を押している。
最早息など出来ない、視界ですらぼやけているというのに、尚も。
私はいつまで走ればいいのか、何が私を襲うというのか―――分かるはずもなかった。
今はただ、痛くて、苦しくて、分からなくて。
そんな、ほんの少し乱れた思考が遂には彼女をつまづかせた。
顔を上げた少女の目に飛び込んできたのは陶器の様な破片、そして――――――
「......私?」
それは、自分だった。
歪な角に燃えるような瞳の色、血染めのドレスに身を包み竜牙の魔剣を手に、笑っている。けたけたと。
「―――左様。汝は妾である」
確かに、自分には違いない。
しかし、この時ばかりは少女はその事実を受け入れたくはなかった。
何故かは解らないが、このままでは戻れなくなる。
「いや......いやだ。嫌だ!」
目の前の見知らぬ私が今の私となったその時、きっとこの手は誰かを傷付けてしまう。
その確信が再び少女に逃げることを促した。
しかしそれが叶うことはない。
ひび割れ、飛び散らかっていたのは少女の足先なのだから。
「―――逃げるでない。否、出来ようはずもなかろうよ?」
「―――罪は汝と共に在る」
剣は、少女を容易く貫いた。
◇
「ッ!!」
元魔王シギル・キルケ―が目を覚ましたとき、彼女は四肢を鎖に繋がれていた。
底の見えぬ牢にかれこれ数週間は吊られているというのに、どういう訳か先程の夢よりかは数段マシに思えてしまう、それがシギルという少女の特異さであり強みでもあった。
さて、と。
シギルは改めて自らが置かれた状況を整理してみる。
剣聖どころか魔術師ですらない人間に負け、直後に最側近ルガリエが叛逆―――結果としてどこかの地下牢に収容されている。
本来の力を持ってすればこの程度の封印など一蹴出来よう。
しかし何より厄介なものがシギルの首に付けられている。
調教の首輪―――本来野生の獣を弱体化させ飼い慣らす為に用いられる魔道具だが、このような使われ方をされるとは流石のシギルも憤慨した。
「......否、妾もまた畜生に過ぎぬのか」
自嘲的に笑い、再び考察を進めていく。
弱体化の度合いから察するにおそらくは竜種用の首輪を再調整させたものだろう。
それが正しいならば最早彼女に打つ手は残されていない。
生物界の頂点に座す竜族ですらも魔力が滞ってしまえばその巨躯を動かすことですら難しくなってしまう。魔力に生体機能を依存する魔族なら尚更、それは死活問題と言える。
「......ふむ、頃合いか」
ふと気付く。
牢の近くに人気、おそらくは衛兵が集まってきているらしい。
順当に考えれば幕引き、つまりは死刑執行の見通しが立ったと見ていいだろう。
シギルは魔族を扇動した身である以上こうなることは当然覚悟していた。
ましてや人類への当て付けとばかりに魔王を名乗ったのだ、見せしめにならない方がおかしい。
寧ろ遅すぎたくらいだと暗い天井を仰ぐ。
予想の通り、一人の衛兵が牢の鍵を手に鉄格子の前に歩み出て言った。
「出ろ、釈放だそうだ」
不満げな衛兵が次の言葉を発するより先、シギルは思わず言葉を発していた。
「............は?」
◇
「―――して、何故貴様がいるのだ?」
暫くの後、シギルの姿は王城を貫く大回廊にあった。
話しかけられた少年はぶっきらぼうな態度で、
「色々、あったんだよ」
忘れもしない彼の名は、神薙真哉―――魔族の悲願を打ち崩した憎き勇者である。
例え掲げたそれが偽りの憤怒だとしても、シギルは未だにこのような男に自分が負けた理由が解らなかった。
「端的に言うとお前の管理権を俺に移させてもらった」
「ほほう? それはこの上ない屈辱だな? 実に興味深い」
「別に? そういう訳じゃないんだけどな」
「でなければ、そうさな? さては娼婦を買う金すら貰えなかったか? ヴェスティーアも困窮していると見えるなこの変態め」
「――――――ハ、何とでも言えよ」
冷めた表情のままシンヤはシギルの鎖を引いて行く。
幾度か言葉を交わしたものの、やはりシギルはシンヤという人間性を理解するには時間がかかる、そんな確信と興味を持った。
でも、まぁ。
このまま畜生の様に死ぬくらいなら、普通に考えて恥辱に甘んじながらも再起を計るべきだろう。
何より目の前の男について知る必要がある。
そんなことを思考しながら、シギルはシンヤに伴われ歩いていった。
◇
「―――じゃあ魔王くれません?」
それは数日前のこと、ヴェスティーア国王との謁見を果たしたシンヤは報酬について聞かれた折にこの一言を発した。
言うまでもなく彼を除くその場にいた者全て、立会人として控えていたフリージュですらも驚愕と動揺を隠せそうになかった。
「シンヤさん!? 万が一情でも移ったと言うなら殴ってでも正気に戻しますからね!?」
「いえ正気ですよフリージュさん。あと痛いです」
既に右フックから左ストレートのコンビネーションを食らいつつ、シンヤは至って冷静な面持ちだった。
「――――――シンヤ殿」
その最中、口を開いたのは玉座に腰かけた初老の男性―――ヴェスティーア国王であった。
「貴殿が勇者として我が命を果たしてくれたこと、それは感謝してもしきれぬ程の偉業だろう」
「召喚時の契約通り、十分な衣食住、ある程度の地位、そして元の世界への帰還は叶える所存だ。寧ろその程度で事足りるというのが未だに信じられぬくらいだ」
「しかし―――先程の言葉はこの場の誰もが解せぬのだ。その真意をお聞かせ願おうか」
威厳に溢れる言葉に流石のシンヤも怯みかけた。
誤解を生まぬよう、あくまで合理を装って、彼は言葉を選んだ。
「理由はいくつかありますが、何よりも気になるのが魔族の残党です」
「貴殿が先程申していたアレか。主を裏切った残党というからには統率もままならぬ雑兵なのでは?」
「普通ならそうなのかもしれませんし、何より自分は素人です。――――――ですが、裏切りを先導したと思われる側近はあの時言ったのです。『我々は十分に育った』と」
「それは『魔王など当てにするまでもない程に』かね?」
「―――お察しの通りです、我が王よ。自分が聞く限りは、ですが。散在していた各勢力を束ねる為に骸の魔王という偶像を創り上げた、そう考えるのが妥当かと」
「ふむ、仮に神格化が成されていたならば此度の戦いである種の信仰にもなり得るのでは?」
「可能性はあります」
後に判明することではあるがヴェスティーア王の懸念は最悪の形となって的中することとなる。
その上でこの時のシンヤの行動は最適解と言えた。
「ともかく、我々が真に見据えるべきは魔王ではなく、真に討ち果たすべきはその威を借る者と考えます。ともなれば、あの魔王だった少女にも利用価値があるのではないでしょうか」
「味方に引き入れるとでもいうのかね? 魔力を抑えようともアレは魔族の頂点に在ったことは貴殿が最も理解しているはずだが」
王の顔が険しくなって尚もシンヤはそれを譲れなかった。
ここで引き下がればきっと自分はまた憂いを1つ背負って生きてしまう、理由は無くとも確信ならある。
「情報を聞き出して、可能ならそうするつもりです」
「―――もし、叶わぬのなら?」
「―――この手で、処断します。それに、王も既に存じ上げているはずです。自分の固有能力ならばそれを可能にすると―――自分にはそれしか出来ないと」
暫しの沈黙を越えて、最初に最後の言葉を述べたのはヴェスティーア王だった。
「――――――フ、よかろう。務めを果たすがいい」
◇
「これで、本当に良かったのですかシンヤさん?」
来賓の間へと戻る途中でフリージュは先を行くシンヤを呼び止めていた。
あれ程強引な主張を押し通した為だろう、流石の気まずさにシンヤは思わず顔を背ける。
しかして答える。
「ええ、拷問程度で口を割るような輩ではないと思ったので。俺が預かるべきでしょうよ」
「もう一度お聞きします。正気ですか? それにあんなこと言って、貴方の体はもう……」
「……はは、当たり前じゃないですか」
フリージュの問いに彼がそれ以上答えることはなく、シンヤは逃げるようにして廊下を急いだ。
――――――正気、のつもりではいた。
しかし、実際のところ「情が移っていない」と言えば噓になる。
一年に及ぶ冒険の中で人間性を捨てた場面など幾らでもあったしそうしなければ決して生還など出来ていなかったであろう確信もある。
それでも尚、これまでの自分の無力さ、数多の理不尽を憎む思いがあの少女の死をとうとう許さなかった。
――――――結局のところ、シンヤは誰よりも人間らしいのだ。
その後も大臣を始めとする役員との交渉は続き、前代未聞の協議はかなりの限定下で決定された。
それ即ち、
1つ、提案者シンヤ・カンナギは骸の魔王の担当管理官に就任する。
2つ、上記事項の下で管理官は骸の魔王より魔族の残存勢力に関する有益な情報をあらゆる手段をもって聴取しこれを定期報告する。
3つ、上記事項の下で管理官は骸の魔王による事物への過干渉を未然に防ぐ義務を有する。
4つ、上記事項が如何なる形であっても守られなかった場合、管理官は即座に骸の魔王を処断する義務を負う。
半ばシンヤの意を解したフリージュも交渉に望んだがこの程度が限界であった。
◇
こうしてシンヤは勇者としての功績により領主としての地位と屋敷、そしてかつての魔王を手に入れた。
王宮にて多くを敵に回し、勇者としての品性をもかなぐり捨てて、結局得たそれは只己のエゴに過ぎないのかもしれない。
いつかこのことを後悔する日が来るのかもしれない。
事が済んだ後も馬車に揺られながらシンヤは思い悩んでいた。
遠ざかっていくヴェスティーアの街並み、あんな事を言い出さなければ外様のような扱いはされなかったのだろうかと、今更湧き出た後悔を彼は慌てて否定した。
そんな時、ふと目に入った少女の、夕日に照らされた頬には涙が伝っている。
こんな状況だというのに、静かに眠るその姿は非凡なれど少女のそれとなんら変わりない。
自分が矛盾していることはとっくに分かっている。
限られた条件がいつか崩れることも知っている。
けれど今この時、この瞬間だけは、自分はようやく自分の信じた勇者になれたのだ。
自らを肯定しながらも、シンヤはそっと向かいの少女に毛布をかけた。
最後の投稿より既に半年以上……最後までお読みいただいた読者様に感謝申し上げます。連載もこれにて序盤が終了、次回からバトル―――があるか、というより次話投稿が出来るのか……!? 善処する所存ですのでもう暫しお付き合いいただけたなら幸いです。
追加:それと、今回からしれっとタイトルを変えてみました。壮大なネタバレですが詳しくは次回辺りに書けるかと思います。ええ、元はこんなノリの話なんですよコレ
では、また逢う日まで!! (^‘)ノシ




