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第6話

 シリルは、結局、イーナにとっておきの策とやらを伝えることができないでいた。あの場は、


「準備が必要だからもう少し後で伝えるよ、大丈夫だから!」


 と、いかにも自信あり気に言い切って見せたが、自信など微塵もない。起死回生の一撃などなく、今から生み出さなければいけないというのが事実だった。絶体絶命とでもいうべきこの状況下、けれども、自分のことを信じてくれたイーナを裏切る訳にはいかない。

 かといって、勉強に近道などないということは、誰の目にも明らかな事実であり、変えることの出来ない不変の真理。そこをなんとかしなくてはいけないというのだから、無理難題甚だしい。もっとも、その無理難題は途中から自身の発言により与えられているものとなっており、誰を恨むことも出来ない。

 果たして、問題点はどこにあるのだろうか。その根本となる問題点を解決しなければ、イーナの成績を上げることは難しいだろうとシリルは分析した。

 かといって、何か思い付くでもなく、シリルの日常は過ぎていく。

 シリルの日常。それは、朝起きて、朝食を食べ、イーナとロジーが学校へ行っている間に書物などを読みあさって自分の政治に対する知識などをさらに深め、それが終わると、イーナとロジーのために講義の準備、イーナとロジーが帰ってきたら講義を行うという流れ。

 そして、このとっておきの策を考えなければならなくなった次の日も、その一日が繰り返される。シリルはこのまま毎日同じ一日を過ごしていては何ともならないと思い、思い切って、アリーチェに相談してみることにした。

 何故アリーチェかといえば、簡単な消去法だ。まず、イーナに相談するなどもっての外、次にロジーだが、確かにロジーは良い子で頼れる面もあり、何故ロジーが勉強を出来るのかということを聞いてみるという手もあるにはあるのだが、教師という立場で生徒に進んで教えを請うというのは道理に反する。次に考えられるのは、このクルツィンガー家の当主。しかしながら、彼に教えを請うということは、自分の力不足を露呈させるばかりか、自分は考えることを諦めましたという宣言にも取られ兼ねないし、何より、とっておきの策があるという嘘をイーナについたということがばれてしまうのは避けたかった。奥様に相談という手も考えられなくはないが、あまり容態がよろしくない人に負担をかけるのも気おじする。

 そうなってくると、最終的に残った選択肢はアリーチェしかいないという訳だ。彼女が勉強のことについて詳しく分かるかどうかは置いておくとして、少なくとも、イーナに対する理解はある程度あるように思える。唯一気がかりなのは、毒舌によって己の精神が毒されないか、立ち直れないような傷を負うことがないかという点だが、これはもう覚悟をするしかないだろう。


「そんなこともわからないんですか……はぁ」


 はぁ、の発音がとてもとてもため息とは思えない大きなものであり、その一撃は、シリルの心に痛恨の一撃として突き刺さるのに比較的十二分の威力であった。だが、ここで倒れる訳にはいかない。何故なら、シリルはとっておきのなんとかかんとかを手に入れなければいけないという使命を背負っているからである。


「ぐ、ぐ、あ、あの。いや、はい、力不足で、すみません」


 倒れそうになるところをなんとか踏みとどまって、アリーチェへと向き直る。


「といっても、私は基礎教育以上の教育を受けたことがありませんので、残念ながら、無力なシリル様のお力にさえなれません」


 はぁ、と今度は先ほどよりは少し小さめのため息をつくアリーチェ。確かに、メイドという身分から考えれば、アリーチェは貴族としての教育を受けている訳もない。学校へ行くというのは平民であっても義務ではあるが、性質が違っていた。

 シリルは、諦めて自分一人で考えようとその場を離れようとした時、


「ただ──」


 アリーチェの話がまだ続いていることに気がつく。


「私は分かりませんが、シリル様は、もう分かっているのでは?」


 アリーチェの言葉の意図が、シリルには今一つ理解できなかった。分からないからこうして聞いているのだから。


「というのは……?」

「なんていうか、そうですね、シリル様は国立大学を出ているのでしょう? 何故出ることができたのですか?」


 改めて聞かれると、返答に困る。シリルは自分のことを頭がいいと思っている訳ではない。かといって、貴族として国立大学に行かなければいけないという訳でもなかった。ただ、自然と、


「なんとなく……」

「そんな訳あるかーい!」


 ばしーんとツッコミが入る。え、え、と目をぱちくりさせる。今目の前にいるのは、確かにアリーチェだけだ。アリーチェ以外の人間はこの場に自分しかいない。ということは、この謎の超衝撃的なツッコミを行ったのも──間違いなくアリーチェその人だった。

 あまりのギャップに、数秒の間、何が起きたのか理解できないでいるシリルに、アリーチェは続けた。


「おっと、失礼しました。つい故郷の方言が……。とにかく、そんなことないはずなんですよ。私も、なんとなくメイドになったという訳ではありません。国立大学にまで行くということは、それなりに、何か、理由があるはずなんです。一度、しっかりと考えてみては? そこに答えはあるはずです」


 先ほどの鋭いツッコミをしたアリーチェの表情はそこになく、無関心そうでいて、けれども、イーナとロジーを心配しているような彼女の表情がそこにはあった。




 アリーチェにそう言われては、まずは一考せざるを得ないシリル。

 自分が大学に行った理由を見つめ直す。自ずと、学びたいから大学へと行ったという結論が出てくる。貴族だからといって、国立大学へまで学を高めに行く人間はあまり多くない。むしろ、国立大学にまで進むということは、研究者として、発明家として生きる選択肢を取るという場合が多いからだ。

 ではなぜ行ったのか。


「革命だ……」


 そう、シリルは、己の知識を蓄積させ、革命のために必要な学問を学ぶという目的ありきで国立大学へ行ったのだった。革命家としての道を諦めた今、もとを見失っていた。結果として、家庭教師という道を歩むために役に立った訳ではあるが、もとはといえば、自らが志すための道があったから、国立大学へと進んだのである。

 こうなってくると、シリルには一つ確認しなければいけないことがあることが分かった。

 そこで、その日、復習の時間を少しコンパクトに切り上げて、二人に一つの質問をすることにした。


「二人は、なんで勉強をしているのかな?」


 酷な質問といえば、酷な質問である。何故勉強をするのか、その問いに答えなどないのだから。しかし、二人に深く踏み入りたいからこそ、シリルは知る必要があった。


「…………」


 イーナは沈黙していた。それはそうだろう。彼女の今のモチベーションは、ロジーに勝つこと。その事をロジーを目の前にして言うのは、恥ずかしいだろう。言いづらいことこの上ない。シリルは、次にロジーへと目線を向ける。


「…………」


 だが、意外なことに、ロジーの答えもまた沈黙だった。シリルはてっきり、ロジーには何か夢があるものだと思っていたが、そんなことはないのか、はたまた、イーナの前で恥ずかしいから言いづらいのか……。どちらかは分からないが、今、この場で言うことが難しいということだけは確かなようだった。


「そっか、ごめんごめん、変なことを聞いて。よし、じゃあ今日はこのくらいにしよう。ロジーは、この前質問を受けていたところの答えを伝えるから残ってね」


 ロジーはきょとんとした顔をしていたが、納得して残ってくれた。この質問を受けていたという文言は、ロジーだけをこの場に残すための嘘に過ぎない。シリルはまずそのことを謝ったのち、話し出す。


「さて、もうイーナはいないし……ロジーが何でそんなに勉強が出来るのか、教えてくれるかな?」

 ロジーは、いつもの無表情に近い顔で答える。

「それは──勉強が出来れば、誰にも怒られないから」

「あー」


 これに対して、シリルは別に否定することはしなかった。そして、これは、本当の理由だと思った。ロジーが、自分に対して嘘をつく理由はないし、ロジーは、嘘をつくような子じゃないと思っていたからだ。


「……変?」


 シリルが微妙な反応をしたからか、ロジーは不安そうに尋ねてくる。こういうところから見ても、ロジーは、表面上は暗く見える子だが、接していると実に誠実で真面目な性格だということが良く分かる。


「いや、別に変じゃないよ」


 シリルは、明確に否定する。一方で、危うさも感じていた。動機がそこにあれば、この先、勉強に限らずとも、どこかでくじけたり壁にぶつかってしまうことがあるように思ったためだ。確証なんてないが、このままでは、なんとなく、良くない気がするのも確かであった。

 とはいえ、勉強の動意なんてものは、人から与えられるものではないということにシリルはもう気づいていた。自らがそうだったのだから。シリルは、決して、親に言われて、祖父に言われて革命家になんてなったわけではないのだから。


「ロジー、聞かせてくれてありがとうね」


 イーナの理由は言わずもがな判明しているが、ロジーの勉強理由を聞くことが出来たのは大きなことだった。

 そして、ここで、ようやく、シリルは、起死回生の奇策を思い付く。それが、本当に良い策になり得るのかどうか、答えはだれにも分からないが、シリルはやるしかないと確信していた。




 そうこうしているうちに、イーナとロジーは、長期休暇へと突入しようとしていた。

 夏休み。

 この夏休み、勉強の最大のチャンスだった。そして、シリルもそのことをしっかりとわかっているつもりだった。だが、彼は今一人、クルツィンガー家の当主の前に立っていた。


「なんとか、お願いできないでしょうか?」

「うーん、しかしなぁ……やはり、心配、というか、危険、というか……」

「そこをなんとか。僕がしっかり面倒は見ますし、こう見えて、僕は各地をずっと旅していた経験があります」


 シリルは、必死にある一つのお願いをしていた。シリルが、イーナとロジーにしてあげたいこと、それは──


「あの二人に、外の世界を知って欲しいんです。このミラル王国だけじゃなく、もっと違う世界を。何か月もとは言いません。一週間、いや、四日程で十分なんです」

「だけど、それは、あの子達が行きたいと言っているのかね?」


 主人は、悩ましげに問う。無下にしている訳でなく、シリルが二人のことを考えて言っているのだということは、主人にも良く分かっていたが、それでも、やはり、国外へ行くなど危険だという考えは頭から離れていないようだった。


「いえ、これは、僕個人の判断なので……」


 主人は否定はせずとも、出来る限りの難色の色を示し、なんとかシリルが引いてくれることを祈るのだが、それでも、シリルは全く折れる様子はなかった。


「うーん……」


 しばらくの間、無言が部屋を包む。けれども、シリルはそれでも引かなかった。こんなことをすれば、もしかしたら職を首になる危険性だって大いにあった。それでも、引かなかったのだ。その覚悟が伝わったのか、ついに、主人が折れる。


「分かった! もう数百年戦争も起こっていないし、夜道を歩いても大丈夫とまで言われる程中部地区の治安は回復していると聞く。私は、ミラル王国に生まれ、こうしてこの領土をずっと守ってきた貴族だが、ナッサウ家の息子さんが言うのなら、信じてみようじゃないか」

「じゃあ!」

「ただし……! こちらから、旅先の地区の警察には話を通しておく。見張りをつけるとまではいかないかもしれないが、何か身の危険を感じたら、すぐに頼るようにしなさい」

「ええ、その、それはもちろんです!」


 こうして、シリルは、とってきおきの策を手に入れることができたのである。見た限りはただの旅行に過ぎない。今の世の中、少し裕福な平民でもすることのできるただの旅行。だが、シリルはそこに活路を見出そうとしていた。

 うきうきしながら、シリルは旅の計画を練る。二人の少女に、何かを与えようとするために。

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