第18話
しばらくの間が空いた。イーナは答えることが出来なかった。それでも、ヒュウがひたすら返事を待つので、イーナはなんとか言葉を出す。
「そんなの、分からない」
その言葉に、ヒュウが意見をしようとしたが、それをイーナは止めた。
「分からないわよ! そんなの。だって、私、あなたたちのこと何にも知らないんだから」
ヒュウが言葉に詰まっていると、ミンハがくすと笑いを漏らす。
「これはヒュウ、一本取られたね。よし、じゃあ、俺たちのこと、教えてやる」
ミンハがにこにことして言い、立ち上がる。イーナに向かって近づいてくるので、イーナは何事かと少し身構えるが、ミンハはその横を通り過ぎて部屋の出口まで行くと、そのまま扉を開けた。
裏路地のわずかな明かりが部屋の中へと注がれる。
「……?」
イーナは頭に疑問符を浮かべる。ミンハの言っていることが分からないからだ。そんなイーナに対して、そして、部屋にいる連中全員に対して、ミンハは呼びかける。
「久しぶりにマジーネ大聖堂に昇ろうぜ。祭りだし、な」
それを聞いて楽しそうにきゃっきゃと騒ぐドワーフ達。こういうところを見ると、年相応に楽しいことが好きで、遊びが好きなんだという感想を抱くイーナ。そんな傍ら、ヒュウの呟きは誰の耳にも届いていなかった。
「あいつ、祭りだしなってフレーズ気に入ってんのか……?」
という訳で、ドワーフらプラスすることのイーナ御一行は、路地裏を出てマジーネ大聖堂へ向かって出発することとなった。
もちろん、イーナの頭には、シリルやロジーのことがある。きっと心配しているだろうし、今頃広場で待っているかもしれない。あの二人の思いを無視しているという事実は確かだ。けれども、イーナにだって言い分はある。
まず、第一に、いくら多少仲良くなったからといって、この申し出を断ればまだまだ自分の身がどうなるか分かった物ではないということ。リーダー格であるミンハの機嫌は良さそうではあるが、そんなものいつ変わる科分かったものではない。ここは大人しく彼らの言うことを聞いて置いた方がいいのは確かなことだ。
そして、もう一つ。実際のところ、こっちの理由の方がイーナにとっては大きかった。第一の理由は単にシリルやロジーに向けた弁解じみたものに過ぎず、本当の理由はこっち。その理由とは、イーナ自身、マジーネ大聖堂のてっぺんに登れるということに非常に興味があったからだ。完全なる好奇心に過ぎないのだが、好奇心に勝る動機はなかなかない。これこそが、イーナの行動を決定づけた最大の理由であった。
一行は裏路地を少しの間歩いていたが、少しすると表の通りへ出る。もし、ここでイーナが大声あげて助けを呼べば、恐らく助かっただろうと思われた。しかし、イーナはそれをしなかった。その理由は先述の通りであるが、一方で、彼らドワーフがこのように表の通りを通るということは、本当に本心から、少なくともミンハは間違いなく、イーナを楽しませてくれようとしていることがわかった。だからといって、自分を攫った人たちを良く思うというのは甘い考えではあったが、イーナはそれだけ人のことを考えてしまう子だったということだろう。誘拐という特殊過ぎて、自分が初めて経験したことだからこんな行動を取ってしまっているのかもしれないが、どちらにせよ、イーナは大声をあげることなく、ミンハらに従った。
特に誰に声をかけられることもなく、無事マジーネ大聖堂前の広場に到着すると、
「よし、裏に回るぞ」
と、言うミンハにしたがって、マジーネ大聖堂の裏手へと足を向ける。
マジーネ大聖堂の表、つまり、正面に位置する広場とはマジーネ大聖堂を挟んで反対側に位置するマジーネ大聖堂の裏側。裏側といえども、やはりそれなりに立派で、人もちらほらと見られる。
「あとは──待つか。あの辺の路地裏で」
マジーネ大聖堂の裏側にも当然たくさんの家々が立ち並ぶ。それらの家々の隙間へと足を進める。少し入り組んだ先に入っていき、適当に道端に座りこむミンハたち。イーナが地べたに座ることを躊躇していると、ヒュウが座れよと言ってきたため、しぶしぶ座る。
「そういうとこは、お嬢様なんだな」
そんなヒュウの言葉に、
「じゃあどういうところがお嬢様じゃないって言うの?」
と反論するイーナであったが、
「そりゃ、頭突きするところとか、な」
という正論で返されてしまい、それ以上反論することはできなかった。
「ところで、ここで何をするの?」
落ち着いて座っている一同に向けてイーナが質問する。その質問に答えるのは、当然ながらミンハだった。
「だからさっき言ったろ? 待つ、のさ」
「待つ?」
「そう、待つ。けど、喜んでいいよ。普段なら、夜遅くまで待たないとマジーネ大聖堂に忍び込むのは無理だけど、今日は祭りだ。出店撤収と夜の祈願との間のばたばたした時間に付け込めば大聖堂内に簡単に忍び込めるさ。裏手は警備も手薄だし、祭りの間、中はすっからかんだろうしな」
その言葉を聞いて、イーナは驚く。
「忍び込むの!?」
イーナは、てっきり正規のルートで入るものとばかり思っていたのだ。なんらかの変装をして、ここの人間だと言い張り入る、だとか、彼らドワーフがなんらかのコネを持っていて、それを利用して上まであがるだとか、そういう奥の手のようなもんを考えていた。
だが、こうしてミンハの言葉を聞いた今となっては、その予想はかなり浅はかだったと思い直す。それもそうだ、言い方は悪いが、誘拐をしているようなグループが正規の手段で神聖なるマジーネ大聖堂に入れる訳がなかったのだ。案の定、ミンハからはイーナが驚いていることに対して驚かれる。
「あったりまえだろー? 俺たちみたいなのが、正面から入れる訳ないんだから」
それを聞いた他のドワーフたちも、くししと笑いを浮かべる。
「それもそうよねー」
イーナはなんだか馬鹿らしくなって、ただ思ったことをストレートに口にした。
「なんだー? 馬鹿にしてるのかー?」
ミンハの問いかけは、本気で怒っているのではなく、冗談のつもりだろう。イーナもそれが分かったから答えておいた。
「いーえ? 良い子ちゃんで登るよりもこういうのの方が興奮するもの、褒めてるの」
イーナの少し強がったその言葉に、ドワーフ一同は一度笑いに包まれた。
「──ってわけで、俺とヒュウはファローから出てきたんだよ、ひでぇ話だろ。後こいつら残りはこの街に来たばかりのときに知りあった連中さ」
「へぇ……大変だったのね」
日暮れ時、マジーネ大聖堂へと忍び込むまでの空き時間で、イーナはミンハらの話を聞いていた。イーナ自身が自ら望んだのもあるし、ミンハが自分から暇つぶしにと話題に出したのもある。聞けば聞くほど、難しい人生を歩んできたのだということが分かる内容だった。
「っと、そろそろだなぁ」
ミンハが言うので、路地の外へと耳を傾ける。にわかに騒がしく、あわただしく人が通り過ぎていくのがちらほらと見えた。先ほどミンハが言っていたタイミングが訪れたということが分かる。
「さ、行くぞ……。いいか、どうどうと行くんだ。何食わぬ顔で俺に続けよ。動揺したら怪しまれる。堂々と、自信をもって、行くんだ」
ミンハの声に、一同はうんうんと頷く。
「ヒュウは、なんかあったらそのお嬢さん、イーナの面倒頼むよ」
「……なんで俺が」
ヒュウはそう言いながら、小さく頷く。
一同は行動を開始した。すたすたとマジーネ大聖堂の裏口へと近づく。大聖堂を囲む木々に囲まれたその裏口は、通りを通る人からはちょうど死角になっている。マジーネ大聖堂という建物を魅せるためには、裏側の入口というのはあまり見栄えがよいものではないためだ。
そこまでは意外とすんなりたどり着く。メンバー一人も、誰からも声をかけられずたどり着く。イーナは内心ドキドキしていたが、あまりにもすんなり近づけてしまったので、拍子抜けしていた。しかし、ここで問題が発生する。
「鍵かかってるぞ……!」
その扉には、錠がかかっていた。
「マジか、前はこの裏口は何にもかけられてなかったのにな……」
しまった、という顔をしているミンハ。
「ど、どうするの?」
不安そうに話しかけるイーナに、ミンハは、きょとんとした顔で返す。
「あけるに決まってるよ」
ミンハは懐から何やらごちゃごちゃとした金属性の道具を取り出す。推察するに、これは鍵を開けるための道具だろう。開けるといっても、勿論、世紀の手段でではない。不正な手段。ピッキング、というやつだ。
「そ、そんな、ばれたら……!」
おどおどとしているイーナだが、ミンハは実に毅然としていた。
「何言ってんだ、ここまできて。おーい、ヒュウ、木の外で誰か近づいて来ないか見といてくれ」
「へいへい」
ヒュウはそう言うと茂みの外へとガサゴソ出ていく。そうしているうちにも、ミンハは錠を開けようとガチャガチャと操作をしていた。
「こんなとこ、見つかったら……」
おどおどとするイーナに、他のドワーフメンバーたちが声をかける。
「そんときは逃げりゃいいんだよぉ、心配症だなぁ」
それは、そうなのかもしれないが、明らかに悪いことをしたことのないイーナにとっては、内心バクバクだ。誰かを傷つけたりする行為ではないのが救いと言える。
「んん、もう少し、だな」
ミンハがガチャガチャと音を立てながら呟く。手ごたえを感じているようだった。もう少しで中に入れる、というわくわくと、誰かが来ないだろうかというどきどきがイーナの胸の中をほとんどすべて埋め尽くしていた。
もう少しで開く。期待とともにわずかな罪悪感がイーナの頭に過ぎる。同時に、まだ開かないのかというもどかしさも高まる。それは徐々に焦りにもなる。誰かが近寄ってきたらどうしよう。自分が捕まったらどうしよう。その時、シリルとロジーになんといったらいいのだろうか、という焦りだ。
その時、ヒュウがガサガサと慌ててこちらに戻ってきたかと思うと、小さい声で、ミンハへと言う。
「おい、司祭服を着た奴がこっちへ歩いてきてる。怪しんでる風じゃなかったけど、急げ……!」
「えっ、そ、それって、ま、まずいんじゃないの!?」
イーナが一番慌てているのを笑いながら、ミンハは扉を指さす。
「ほれ、開いた」
言うと同時に扉を開けて、全員がわらわらと中へと入っていった。イーナは少しためらいつつも、
「ここまできたら、行くしかないわよね……」
などと自分で自分に言い聞かせて中へと入っていく。全員が入った後に、ヒュウが入り、扉を閉めた。
扉が閉まると、中は結構な暗がりだった。イーナが立ちすくんでいると、
「まだ目慣れないのか?」
とヒュウがからかってくる。
「ドワーフとは違うのよ!」
と、意気込んで返す。
「ま、たしかに。仕方ないな」
ヒュウが本当に仕方なさそうに、何をするかといえば、イーナの腕を掴んだ。
「ここは一階だからな、まだ誰かいるかもしれない。早いところ、上へ登らないといけないんだ、急げ」
実に言い訳じみたことを言いながら、イーナの腕を引っ張る。何このと思うイーナだったが、もはや建物内に入ってしまったのだ。決して見つかる訳にはいかない。ヒュウにひかれて大人しく進むことにした。
大聖堂の中は、嘘のように、しんと静まり返っていた。本当に、誰もいない抜け殻の様だった。大聖堂の入口入ってすぐの大広間も一目見たいと思っていたイーナだったが、
「そこはさすがに危ない」
というミンハの言葉であきらめざるを得なかった。しかしながら、大聖堂内を歩く道中、まるで人類が滅んでしまったかのように静まり返った内部は、それだけで不気味であり、そして、荘厳であった。
通路にも関わらず、そこら中の壁には綺麗な装飾、絵が施されており、イーナの目を奪う。階を上がるにつれ、徐々に光を取りこむ量が増えているのは、ステンドグラスの量が徐々に増えているからだろう。光を取りこむことと、その美しさの両方の役割を果たしているそれは、優雅で、ずっと眺めていたい衝動に駆られた。
「おい、急げってば」
ヒュウはもうイーナの手を離していたが、リーダーミンハから言い付けられた通り、しっかりとイーナの面倒を見ている。
「わ、わかってるわよ」
イーナも負けじと言い返すが、見惚れていたのは確かなので、強くは言えない。
階段を昇り続けて、しばらくの時間が経った。最初は、忍びこんんだという事実、悪いことをしてしまっているんじゃないか、見つかったらどうしようという不安から心臓がバクバクしていたイーナだったが、すっかりその原因はどこかへと消え去っていた。その代わりといってはなんだが、今、イーナの心臓は、階段を昇り続けるという運動によって、バクバクと大きく波打っていた。
「はぁ、はぁ……」
息を切らしながら、ドワーフたちに続く。その最後尾を担うヒュウの存在によって、イーナは足を止めることを許されない。
「大丈夫かー」
後ろからかけられる、何も心配していなさそうな声だけの励ましに、イーナは、腹を立てつつも、激励され、なんとか力を振り絞って足を動かし続ける。




