小さな国の小さな王女
あるところに、小さな国がありました。真っ白な壁と天井に囲まれた、小さな国です。季節の花々が咲き乱れ、太陽はないけれどとても明るい国です。おもちゃのような可愛らしい家々には、しゃべる動物たちと、色々な形や大きさのロボットたちが住んでいます。中には人とそっくりなロボットもいましたが、誰も人とロボットたちを間違えることはありません。なぜなら、この国には、人はたった一人しかいないからです。そのたった一人の人は、この国で一番大きくて立派なお城で、この国で一番我儘に暮らしています。
「海が見たいの」
女の子が言いました。たくさんの宝石がきらきらと光る椅子の上で、小さな女の子は家臣のシェパードの前でふんぞりかえります。シェパードは困った目で女の子を見上げます。しっぽが低く垂れ下がりますが、女の子は全く気に留めません。落ち着きのないチワワや、心配そうに周りを見渡すメイドロボットなどは、最初から目にも入っていない有り様でした。
女の子はこの国で一番偉い王女様です。
「恐れながら申し上げます。この国には海がありません。いくら王女様の命と申しましても、ないものを見せることはできないのです」
「ええ、でも私は海が見たいの。早く見せてちょうだい」
恐る恐るといったシェパードの言葉を切り捨て、王女様は窓の外を眺めます。その目は景色そのものというより、そこにない広い海を見ているようで、側仕えのシャム猫もぶるりとその身を震わせます。海の話を訊かせたのはこのシャム猫でした。側仕えになってから日の浅いシャム猫には、王女様の好奇心の強さが分からなかったのです。
「分かりました。あなた様の命に従うことが私の役目。必ずやこの私めがあなた様に海というものをご覧に入れて差し上げましょう」
恭しく頭を下げると、王女様は満足げに微笑みます。
「美しくて、魚がいっぱいいるようなのがいいわ。勿論、魚以外の生き物もね。でも、怖いのは嫌だわ」
「承知いたしました。お言葉の通りに致します」
シェパードと何匹かと何体かの家臣たちが部屋の外へ下がると、お城の中は上を下への大騒ぎです。家臣たちも、ほかの国民たちも、誰も海など見たことはありません。シェパードが指示を出し、すぐにお城の中にはたくさんの海に関する本が集められました。ああでもない、こうでもないと議論を重ね、魚や海の生き物はロボットで作ろうという話になりました。しかし、問題はまだ残っています。
ある日シェパードは信頼の厚い少しの家臣だけを集め、会議を開きました。
「みんな、分かっていると思う。海を作るには水が全く足りない。しかし、王女様の命令には逆らえない。どんな手段を使っても、海を完成させるほかはない」
シェパードの言葉に、家臣たちは重々しく頷きます。会議が終わったとき、家臣たちは顔を伏せ、沈んだ顔で帰って行きました。
命令から一週間経った日の朝、王女様は久しぶりに外に出ました。王女様専用の飛行機に乗り込み、窓からの景色に目を輝かせます。砂糖菓子のように綺麗な国の景色は、王女様の作ったものであり、王女様の誇りです。国の真ん中にある、壊せなかったあの腹立たしい黒い塔を除けば、全てが王女様の思いのままです。今日の目的の場所も、王女様の目に入ってきました。
飛行機が着陸すると、王女様はすぐに駆け出して行きます。眩しいくらいに真っ白な砂浜を踏みしめ、その上をちょこちょこと歩くヤドカリを摘み上げたり、海の上を跳ねるイルカに思わず叫んでしまったりします。普段はそんなはしたないことは決してしませんから、大変な喜びようであることが分かります。それを見て安心したシェパードは、座り込むと王女様を目を細めて見つめました。この国の動物たちの半分がいなくなったことを王女様が気付いているのかどうか。シェパードには見当もつきません。
三日程、王女様のわがままのない日が続きました。召使いたちは喜んで、王女様もきっと反省したのだろうと思いました。しかし一週間経ち、一か月経つと、召使いたちも王女様が何か悪い病気にでもなってしまったのではないかと心配し始めます。召使いたちに頼み倒されたシェパードは、渋々王女様の様子を見に行くことになりました。
王女様は、前に見たときよりも大分疲れているようにシェパードには見えます。王女様はつまらなそうにシェパードをちらりと見ると、窓の外を向いてしまいました。前にはなかったはずの本の山が、王女様の椅子を囲っていました。王女様の膝の上にも、つい先程まで読んでいたらしいぶ厚い本が置かれていました。
「ちょうどいいわ。外に連れて行ってくれないかしら」
外を歩いても、好きなものに囲まれているはずの王女様の顔はあまり嬉しそうではありません。けれど、気に入らないから何かを変えないという風ではなく、ただただ憂鬱そうな顔をして歩いているのです。
「何か、お気に召さないことがありましたか」
シェパードの問いに、王女様はため息を一つつきました。
「あなたも分かっているはずよ。私は今まで、やりたいことをやりたいようにやってきた。あなたたちは、私に一切逆らわなかった。でも、それはどうしてなの。私を王女だと言うけれど、なぜ私なのかしら。私は何のためにここにいるの。それに、お城にあった本。召使いたちはあれを嘘の物語だと言ったけれど、全くの嘘だとは思わないわ。私以外の人の国、本当はどこかにあるんじゃないかしら。あと、」
王女様はそこまで言うと、しゃべり過ぎたことを恥じて顔を伏せます。
「明日はあなたの誕生日です。明日になったら、私の知っていることを全てお話しましょう」
誕生日の前になると、いつも王女様はあれこれ命令を出して盛大に祝わせていました。そんな王女様が誕生日も忘れ真剣に思い悩む姿を見て、シェパードは時が来たのだと気付きます。シェパードはそれが嬉しく、けれどどうしようもなく悲しい気持ちになるのを止められませんでした。
次の日、お城ではいつものようにパーティーが開かれます。命令こそなかったものの、王女様が何を求めていてもいいように、むしろいつもより豪華なくらいでした。それでも王女様は浮かない顔です。クジャクのダンスにも、チンパンジーの大道芸にも、王女様は気がそそられないようでした。ミーアキャットのピアノ演奏を途中で止め、シェパードを呼びます。シェパードは周りを気にせず、外に王女様を連れて行きます。臆病なチワワは、気を紛らわせようと自分のしっぽを追いかけまわしています。王女様は黙ってシェパードについて行きました。公園のベンチにシェパードが座るように言うと、王女様はそれに従います。
「王女様、長い話になりますが、約束通り私の知っていることをお話します」
「ええ、お願い」
これは、本当にあった物語。昔、人の国、しかもこの国の国民の何十倍もの数の人がたくさんあったのです。動物たちはしゃべることが出来ず、ロボットも心を持たず人の言うなりになっていました。国々は助け合い、争い合い、時には殺し合ったりすることもありました。そんな中、一人の科学者が現れました。科学者はとても賢くて、そしてとても欲張りでした。お金になることならなんでもして、特に爆弾や兵器の開発には非常に熱心でした。そうして発明によって使い切れない程の富を得ました。
しかし、科学者はお金のためだけに研究をしていたわけではありません。特に生き物が大好きで、動物を人のように賢くしたり、機械を動物に近付けたりする実験には、爆弾や兵器以上に懸命に取り組みました。有り余るお金のほとんどをその研究に湯水のように注ぎ込んでいきます。多くの人は科学者の志を理解出来ず、科学者はたった一人の助手と共に研究を続けました。
科学者はありとあらゆる国に発明を売ってきました。自分の国も、仲の良い国も、悪い国も、戦争をしている国も、およそ商売相手を選ぶということをしませんでした。思い付く限りの戦争に使える道具の発明を売った後、科学者はかつてないひどい戦争を予見します。地上は全て焼け、全ての人が死んでしまう様が確かな未来として化学者の頭の中に見えました。しかし、科学者は戦争を止めようとはしませんでした。誰も自分の言うことを聞かないことも、科学者には分かっていたからです。
地下にどんな攻撃にも耐えられる壁で囲った大きな部屋を作り、その中で発明品に囲まれながら助手と暮らすことにしたのです。部屋の中でも、科学者は研究を続けました。
人と同じくらい賢い動物を作り、それ自身より良いロボットが作れるロボットを作りましたが、科学者は自分の寿命を恨みながら死んでいきました。部屋の中の誰もが科学者の死を悲しみ、科学者の研究を受け継ごうと力を尽くします。特に助手は科学者の脳をホルマリンにつけて、毎晩それを眺める程でした。
助手の思いが実を結び、科学者の脳の全ての情報を機械に映し終えたとき、助手の命は尽きました。そして、科学者は助手の作った黒い塔の形をした機械の中で、もう一度生を受けることになったのです。科学者も含めた部屋の中の全てのものは大喜びです。誰もが自分に感謝し、誰も逆らうことのない世界の中で、科学者はより一層研究に熱を入れます。
しかし、ある日科学者は思いました。自分も体が欲しい。かつてのような、人の体が。幸い脳だけはまだ残っています。科学者はすぐにそこから傷の少ない遺伝子を取り出し、一つの細胞を作り出しました。科学者にとっては容易いことです。それを一人の人にすることも、その脳に手を入れて自分で自由にその体を使えるようにすることも。
話が終わる頃には、王女様は大型犬と大きなロボットに囲まれていました。王女様は興味がなさそうにそれらを眺めます。
「下がりなさい。私はこの国の王女です。私の役目は十分に分かっています。案内はそんなに要らないわ」
王女様の堂々とした様子に大型犬とロボットは戸惑いましたが、シェパードの頷くのを見て下がっていきました。
「さあ、行きましょう。私のお母様の元へ」
黒い塔に今まで見えなかった入口が現れます。王女様は優美な足つきで真っ直ぐに入口へと向かって行きました。




