はじまりのうた 3
やっとこーさーTSです!
お約束の「ある! ない!」があります。
ただ、ちょっと優先順位が違うけれども。
俺は失語症ではない。
普通に話せるし、言葉を忘れたわけでもない、喉が悪いわけでもない。ただ、声が酷いだけなのだ。それが嫌で、誰かに聴かれる事が嫌で、俺は声を出すことを拒否しているだけなのだ。
精神的でも、肉体的でも、なんら病気の無い健康体。正しい成長を経た姿である筈の俺を、自分で否定して声を封印した。
あの頃の声が出ないのならば、もう声を出す意味が無いのだから。
少女も絶望するだろう。俺の声が聴きたいと、懇願した彼女は失望するだろう。低く嗄れ、掠れ、酷く耳障りな雑音の如き声を聴いて、彼女は諦めるだろう。
そう、思っていた。
「素敵な声だよ」
彼女は笑っていた。嘲笑っているのではない、本気で安心しきった笑顔を向けていた。
何が? この声が? 素敵な声だと?
俺の中にドス黒い感情が渦巻き始める。この声が素敵である筈がない、そんな言葉は似合わない、この声は聴けば吐き気を催す程に下劣な声だ。その持ち主を八つ裂きにしてやりたくなる程に耳障りな声だ。この女は耳がおかしいのか、頭がおかしいのか。実は耳が聞こえないんじゃないだろうか。
「素敵な声、貴方の声。私を気遣ってくれて、あえて突き放そうとする。そんな声」
さっき見殺しにされた人間が吐く言葉ではない。偽イケメンもろとも蹴り飛ばそうと迫った人間に向ける言葉ではない。
こいつは誰だ? こいつは何だ? そもそも何故、成長した俺を七原光輝と判別できた? 小さい頃しか、俺は表舞台に立っていない。背だって急激に伸びた。分かるわけがないのに、声だって変っているのに、彼女は何故、俺だと知った?
「ありがとう、って。お話して、伝えたかったの。約束したから」
「誰と……?」
俺は自然と声を出していた。一音出す度に削れる俺の心を無視して、尚も声を出し続ける。
「どんな約束だ?」
「あなたを、助ける」
俺を助ける? この声を変えてくれるのか? 何かしらの方法でそれが可能なのか? 医者ですら“治す”とすら表現しなかったのに?
「それが、私の願いでもあるから」
「………………」
俺は一体、彼女に何をしたのだろう。彼女の過去に、どんな干渉をしたのだろう。
少女は目尻に涙を貯めながら、俺の頬を両の手で挟み、下に引き寄せてキスをした。
何が起こったのか理解できなかった、彼女を見殺しにした筈の男にキスをする。訳の分からないことをのたまう。ああ、彼女はきっと頭がおかしいのだ。面倒な人間に目を付けられてしまったのだ。
彼女の舌が俺の口内に侵入する。フレンチキスだった、人生初めてのキスがフレンチキスとか、俺ってそんな上級者だったんだな。いや、俺がやってるわけじゃないけど。
一方的なキス。乱暴なキス。でもそこには愛が感じられた。俺が欲しくて堪らなかった、愛があった。
不意に涙が溢れる。親に求めても、練習と言う形でしか向けられない愛。褒めることすらされたことが無い俺は、一方的な愛に溺れてしまった。もう、どうでもいいと思っていた。こんな人生、捨ててしまおうとすら思っていた。
きっと、彼女と出会わなければ何の救いもなく消えることができただろう。死ぬことが出来ただろう。一般人の王として、飛び降り自殺を敢行できたはずだろう。いや、そんな度胸も無いか。それでも、死んでしまいたいと思いながら生きていただろう。
不意に、意識が遠くなる。
彼女の姿がうすぼんやりと、見えなくなる。闇に包まれて、俺は闇の中へと落ちていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「………………?」
俺は、何をしていたんだろう?
とても気持ちが良かったのを覚えている。あれは夢だったのだろう、だってここは俺の部屋だ。特に飾り気のない、モノクロカラーで統一された家具群。布団も黒と白のストライプだ。上半身を起こして、欠伸をする。
どうせ今日も声を出す気なんてない。どうせだからこの喉にナイフでも突き立ててやろうか。いっそ本当に声が出なくなれば、若しくは心が晴れるのではなかろうか。
朝からローテンションな思考を回しながら、喉をさする。そこには出現して久しいゴツゴツとした喉仏が………………ない。
は?
喉を触る、両手で触る。以前の様な荒い肌に喉仏の突起、太い首の感触が無い。俺の手に感じられるのは、すべすべでもちもちな肌の感触、細く長い首筋、喉仏など無いなだらかな直線。
手を見る。細い指に、小さな手、白い肌に綺麗な爪。手首も細く、毛深くなって長袖を突き破っていた硬い毛は無く、これまたすべすべでもちもちな肌が鎮座していた。
顔を触っても同じ感触。いや、何故か長い髪が手にかかる。バカな、俺はロン毛にした覚えはない。そもそも、うすらデカい身体になってしまったのだから、ロン毛なんて滅多に似合うわけがない。
きっと俺は長い事眠っていたのだ、何かの病気で体が痩せ細るほどに眠っていただけに違いない。
俺は携帯を探すべく、いつも置いてある場所に手を向ける。ベッド横にキャスターで移動出来るサイドテーブルが置いてあり、その上にいつも携帯とペットボトルの水が置いてある。もう習慣となってしまっているが、長い事こん睡状態に陥っていたのならそんなものがあるわけがない。
しかし、それはそこにあった。いつも通りの場所にあるそれ。俺は携帯のホームボタンを押して起動させ、カレンダーを確認する。
翌日だった。何の変哲もない、ただの翌日。なのに、俺の体は酷く細くなっている。訳が分からず、自分の体を見直す為に布団を剥ぐ。するとそこには意識していなかったせいか気付かなかったが、小ぶりな乳房を発見した。
なんだよ、これ。
股間に触れてみるが、やはりそこに有るべきものが無い。これから凡人王になるにあたって、結婚して子供を作らないといけないのに、もしかして俺が生む方なんですか?
胸を触ってみるが、しっかりと感触がある。それもただの脂肪の塊ではない。ちゃんと中の感覚がある。これが乳腺というものだろうか。乳癌の原因になるんだったよな、確か。
下を見ていたら、長くなっているのか髪が垂れ下がってきていた。黒髪には変わりないが、昨日の様なツンツン毛ではない。細くしなやかで、瑞々しく艶やかな美しい髪。腰まであるだろうか、そんな長さだった。
パジャマ代わりのジャージはブカブカになっており、自分の物とは思えない匂いを感じる。いや、この匂いこそが俺の匂いなのだろう、今の自分の匂いをあまり感じない。男の匂いに敏感になっているのだ。
ベッドから抜け出して姿見に向かう。そこにはブカブカな黒いジャージに身を包んだ、可愛らしい少女が立っていた。
「何だ……これ……」
自然と出た言葉。やはり、これは俺の声ではない。いや、今の俺の声ではない。
天使の歌声と評された、親からの愛を受けるに値する、価値のある声だった。
泣いた。訳も分からず泣いた。こんな姿になった事が悲しいのでは無い。失ってしまった声が、二度と帰らぬ声が。今、俺の喉から発せられている。泣き声すらも美しい、心地良い声。まるで歌うかの様に、俺は暫く泣きじゃくった。
しかし、それも長く続かない。家族と一緒に暮らしているのだ、音に生きる彼らに対して、これが聞ける筈の無い声である事などすぐに分かる。録音の音声で無い事もすぐに分かる。何者かが、俺の声だったものを使っている。とでも考えているのだろうか、勢いよくドアを開けた姉は、かつて見た事の無い様な表情で俺を見つめる。
それは憐みでも、同情でも、驚愕でもなく、ただ敵意だけを向けていた。
いろんなTS作品を見て、模倣して、感じた事がいろいろあります。
男に戻ることを諦めたり、男に戻ることにこだわったり、男性に恋をしてしまったり、男であることを忘れたり。
家族や友達は泣いたり、主人公を支えたり、溺愛したり、いろいろと力になってくれる。
それは、お約束だし、王道だし、読んでいて気持ちがいい。
ニヤニヤが止まらない私の顔は、さぞ気持ち悪いことだろう。
だから、私は今回それを書かない。
絶望と悲哀と孤独と嘆きと後悔と死を。
その先に一欠けの救いを。
ほんの少しの優しさが、間違った彼を癒してくれるように。