はじまりのうた 2
夜ごろに上げると言ったな。すまん、ありゃ嘘だ。
【凡人王】
それは数ある“特別”という枠から外れた究極の一般人を指す言葉。
この世の理の一切を知らず、この世の不条理を飲み込み、この世の歯車としての誇りを掲げる一般人の王。
それは、どんな不幸からも遠く、どんな幸福からも遠く、ほんの少しの幸せを大切にする遥か遠き理想像。
七原光輝は、既に自らの特殊性を棚に上げて、凡人王を目指そうと決めた。
(凡人王って言っても、何をすればいいんだろう)
A:何もしない、が正解。
(そうだ、凡人らしく散歩でもするか。面白い事は一切なくていいから、ただのんびりと歩いていたい)
それは彼の心が安らぎを求めているからなのだが、凡人らしさという皮を被って生きようとする元天才は、無意識に目を背けていた。凡人は食っちゃ寝が基本なのだ。
「おい、あの女とか滅茶苦茶可愛くね? お前声かけて来いよ」
「えー、マジすか? どうせ先輩俺が声かけても自分で食っちゃうじゃないスか」
「大丈夫だよ、一発やるくらい問題ねーだろうが」
「出来れば最初の一発を持ってくのは勘弁してくださいよー」
「知るかよ、いい女をひっかけれるその綺麗な顔を呪えばいいだろうが」
「そりゃ先輩よりは顔面偏差値高いって思いますけどー、女が食えないんじゃ意味ねーっすよ」
「大丈夫だよ、俺が一発やったら好きなだけくれてやっから」
「ったく、分かりましたよ」
そんな会話を駅前まで散歩に来ていた俺は聞いてしまった。ふむ、下半身直結ナンパ人間か。ツンツンの金髪にいくつかのピアス、ファッション誌に載っていそうなイケメンと、革ジャンを着て決めているつもりな、絵にかいたような坊主頭のヤクザ顔。この二人がナンパしたら、確実にパックリいかれちゃうね。
どこぞのラノベの主人公なら、こういう時は助けに入ったりするものだろうけど、残念ながら俺は凡人王でね。我身に降りかかる火の粉は当たらない位置で眺めるのが一番なんだ。何をされても、釣られてしまった己が身を呪うがいいさ。
そんな“見殺す覚悟”を決めたところで、件の女に目を向ける。
肩までの長さの瑞々しい茶髪を揺らしながら歩いている。大きな瞳は心を奪い、桜色の唇は情欲を掻き立てる。服は春らしく、花柄のマキシワンピに薄手のミルク色のカーディガンを羽織っており、全体的に明るく清楚な印象がある。結論、ものすごく顔の整った茶髪美少女がそこに居た。
(あれは仕方ない、襲われても文句言えない可愛さだ。南無~)
およそ主人公とは思えない思考回路を見せる光輝、だって彼は凡人王を目指す準凡人なのだから。対岸の火事は見ていて気楽なものだ。野次馬根性を出しながら、名も知らぬ茶髪女がナンパされるのを鑑賞していると、どうやら無理矢理連れていこうとしている様だ。ふむ、あんなイケメンでも対応できないとは、俺にはナンパなど無理だと神は言ってるのか。
もはや凡人どころかネガティブ思考さえ手に入れてしまった光輝は、名前に似合わず真っ黒な闇を背負っていた。
「あっ」
(あ)
対岸の火事だろうと、飛び火することはあるんだぜ? と言わんばかりの視線を俺に向けてくる謎の茶髪女。やめろ、そんな目で見るな、俺は凡人なので助けるとか一切無理ですからね!?
「遅いよ、七原くんっ!」
「………………!?」
俺は驚いた。陳腐な言葉でしか表せないくらい、俺の驚きは天元突破だったのだ。見知らぬ茶髪女は俺を知っているらしい。しかし俺に記憶はない、つまり関わるべきではない。よし、逃げよう!
くるりと踵を返して去ろうとする俺。茶髪女はなんだかぎゃーぎゃー言っているが知るものか、俺は一人だろうと平穏無事な人生を歩むのだ。可愛いい女に生まれたその身を呪うがいい。俺は何も関係ない。
「お~い、おめぇの女が助けを求めてるぜ? 助けてやんないのかよ」
俺の肩に手を置いて文句を垂れるヤクザ顔の坊主。近くで見るとマジで酷いな、目をそらそう。
「こっち見ろや!!」
なぜだ、そこの見知らぬ茶髪女など好きにすればいいだろう。俺は関係ないのだから気にしないでくれ。レイプだろうが殺しだろうが好きにすると良い、俺には関わるな。
「なんだ? ビビってんのか? 何とか言えやコラァ!!」
人が何も言わないと思ったらお高く留まりやがって、仕方ない。俺は大き目のスマートフォンに付属のペンで文字を書いて見せる。
『関係ない 好きにしろ』
それを見たヤクザ(仮)は青筋をピクピク立てながら俺に迫ってきた。
「俺に喧嘩売るとは上等じゃねえか!?」
駄目だコイツ、早く何とかしないと。会話が成り立たないなんて予想もしなかった、これが特殊な世界に身を置く人間の弊害か。
「やってやるよおおおおおおおおおっ!!」
勢いよく踏み込み、拳を振るうヤクザ(仮)。俺は面倒くさいので一発受けて関心を散らそうかとも考えたが、一般人なので痛みには弱い、怖い、恐ろしい。なので避けることにしたのだが、それがいけなかったようだ。渾身のパンチ(笑)を避けられたヤクザ(仮)は、顔を真っ赤に染めて俺を睨む。やめてくれよ、お前のドキドキは恋じゃないよ?
そこで俺は、未だに金髪の偽イケメンに捕まっている茶髪女に走る。全ての元凶はあの茶髪女である。俺は無関係なのに、名前を知っている程度で凡人たる俺を巻き込んだ諸悪の根源だ。滅さずにはいられない。
「く、来るな! この女がどうなってもいいのか!?」
大丈夫だ、問題ない。むしろこれから俺が蹴りでも一発ぶち込む気概で走っているのだ。どうなろうと知ったことではない。むしろ死ね。
「くそっ、何だコイツ……化物か!?」
一切の怯みを見せずに距離を詰める俺に、信じられないものを見たと言わんばかりに崩れた表情と視線を向ける偽イケメン。安心すると良い、俺は凡人である。人に危害を食わえることなど出来る筈がないじゃないか。
一気に走って、偽イケメンと茶髪女の目の前まで距離を詰める。このままではタックルを受けてしまうくらいに近くなったところで、左足に力を込める。ナイフを取り出して突き出した男の右横をすり抜けるように走り抜け、そのまま逃走に移る。呆然と俺の逃走劇を見守るギャラリーと茶髪女(泣)とヤクザ(怒)と偽イケメン(漏)はアンモニア臭を辺りにまき散らしながら暫く立ち竦んでいたという。
茶髪女? 知らん、俺は関係ない。きっと俺の分まで二人の馬鹿がお仕置きしてくれているだろう。ありがとう馬鹿、顔はもう忘れたけど!
結論、散歩は事件を呼ぶ。こんなのは俺の望んだ散歩じゃない、もっとのんびりと街を眺めたかったのに、なんでフルマラソンになってるんだ。謝罪と賠償を要求する。
俺はなるべく家から出ないために、ゲームでも買って帰ろうかと思い電気屋に入った。勿論一人である。俺は友人どころか、家族以外の他人と話す機会なんて業務連絡以外には数回くらいだし、今年からは高校生なのでさらなる凡人道を極めるべく空気同前にならねば。そのためには適当なゲームでもやって一般人アピールだ。協力プレイ? そんなものは要らない、ソロプレイ俺TUEEEEで十分だ。
VRゲームが発売されたことで下火になりつつある携帯ゲーム業界。しかし俺の様なオールドゲーム愛好者には二次元ゲームは魅力として不動の人気を博している。きっとこれからも横スクロールやシューティングは消えないだろう。喜ばしい事だ。
そんなゲームコーナーに入ったところで、見覚えのある女が目に入った。くりくりとした大きな瞳、ぷりっぷりな桜色の唇。肩までかかるくらいのショート茶髪。うん、どっからどう見てもさっきの女っぽい。唯一違うのは服装がさっきと違うことくらいか。つまり別人、よし解決!
「ちょっと」
横を通り抜けようとした瞬間、声をかけられた。いや、違う俺のはずがない。だって俺はこんな女知らない。初対面の俺に何をしてほしいとか言うはずがない。つまり別の人に言った言葉を俺が偶然拾ってしまっただけか。なるほど、恥ずかしいな、はっはっは。
「ちょっ、あなた私に一言もないの!?」
俺じゃない、茶髪女が話しているのは俺じゃない。
「さっきどうして助けてくれなかったのよ! なんとか言ってよ七原くん!!」
七原なんて珍しい苗字じゃない、きっとこの辺りを歩いている人の中にもいるのだろう。哀れ七原、というか本気で五月蠅いから変な女を黙らせろ。
「七原くん!」
俺の服の裾を掴んで足を止める。おや? 七原って俺なんですか? はて、こんな人見たことないのにな、邪魔だなぁ、どっかいかないかな。
「ねぇ、何でなにも言ってくれないの……?」
切なそうな瞳で俺を見つめる茶髪女。というか、こいつはさっきの茶髪女か? どうやってヤンキーコンビのお仕置きタイムから抜け出してきたんだろう。俺のお仕置き分はどうした。
興味なさげに、裾を掴む小さく華奢な手を叩き落としてツカツカをゲーム売り場に向かう。俺は凡人なので欲望に忠実なのだ、ゲームは買う。アクションが好きだけど、学校でもやると考えると授業中用のやりこみ式ターン性RPGと、放課後用の狩りゲーかな。凡人として授業中は遊ばなくてはならない、それは凡人道の鉄則である。
ゲームのパッケージを手に取って見てみるが、狩りゲーは横スクロールで和風なイメージの狩りゲー。巨大妖怪を倒して強力な妖具を作り出して売りさばく、そんなゲームだ。
やり込み式ターン性RPGは転生システムというものが存在しており、各転生ごとにダンジョン構成やマップ、シナリオが変わるという手の込みようだ。これまで気になっていたのだが、歌の練習でそれどころじゃなかったからな。
凡人道を極める俺は、日がな非生産的で無駄の極地な生活を送るのだ。
「何よ、約束したのに……」
約束は破るためにあるんですよ……っと、会計を済まして店を出ようとするが、この近距離ストーカーさんは一向に足を止めずについてくる。うざい。しかも頻繁に語り掛けてくる、面倒くさい。
「ねぇ、七原くん……七原くんの声が聴きたいよ……」
切なげな声色で、俺に懇願するようにその句を吐く。どうやら茶髪女は昔の知り合いの様だ。おそらく俺の声変わりからの転落っぷりを知らないんだろう。じゃあ思い知らせてやる。
自分自身で封印した“声”を、今この瞬間だけ解放する。それは夢見る女に現実を見せるため、喧しい馬鹿を地獄へ叩き落とすため。俺の凡人道にとって、こんなに綺麗な女は要らない。三流程度に憧れながらも、不細工と付き合うのが順当だ。
「これが俺の声だ、分かったら二度と話しかけるな」
茶髪女は目を見開いて唖然としている。当然だろう、今の俺の声は酷く掠れたド低音。淀みまくりの嗄れ声だ。かつての美声など幻だったと思えるくらいに、醜悪で耳障りな酷い声。
こんな声に絶望しない歌手など、この世に存在するものか。
まだです、まだ事件は起こってませんよー?
まだ前座に過ぎないですよ。