第三話 -京都魔術学校-
日本の魔術学校は分校を含めずに数えれば、各地方の主要都市に1校ずつ、計10校設立されている。
「北海道」は札幌魔術学校。
「東北」は仙台魔術学校。
「関東」は東京魔術学校。
「北信越」は金沢魔術学校。
「東海」は名古屋魔術学校。
「中国」は神戸魔術学校。
「四国」は松山魔術学校。
「九州」は薩摩魔術学校。
「沖縄」は那覇魔術学校。
そして、「近畿」に設けられている京都魔術学校がある。
日本は世界各国に存在する魔術学校の中でも、日本は小規模ながらも優秀な生徒と教師が集まって11おり、今では世界最高峰だとも囁かれている。
この10校の総本山的役割を果たすのは、一応東京魔術学校となっている。
だが、それはあくまで「表」の情報に過ぎない。
影でこの国の魔術を支配しているのは、古来より歴史の中心都市となっている古都「京都」に置かれた京都魔術学校なのだ。
「東京」の発言や決定事項の裏には、必ず「京都」の存在があると言っていい。
そしてそれは、魔術学校に通う者なら常識事項だった。
■ □ ■ □
流亜は今、その京都魔術学校2Fの最右端にあるクラス「2-A」の扉の前にいた。
魔術学校のクラスはそれぞれ、AクラスからFクラスまでに分かれている。その中でもAクラスは魔術適正、素質、実力それぞれが備わった生徒が集っている、いわゆる「特別クラス」だ。
そのクラスに在籍しているという事は、流亜がどれほどの魔術師の素質を持っているかお分かり頂けただろう。
彼女がこのクラスに入るのは、実に四日ぶりだ。躊躇う気持ちもある。
しばし立ち尽くしていたが、流亜は意を決して扉に手をかけ、それを開いた。
今の今まで話していたクラスメイトの瞳が、一斉に流亜に向けられる。
一気に静かになった部屋を、流亜は自席目指して一歩、また一歩と歩いていく。
窓際の一番後ろの席に座ると、流亜は左手に顎を置き、窓の外を見つめた。
降り注ぐのは、クラスメイトからの同情の視線。彼女は、あまりこういう注目は好きではない。
いや、同情が好きな人などいないかも知れない。
何の感情も持たれないよりは、むしろ有難いのだが、正直に言って痛い。
ハァ、とため息を吐くと。
「……!?」
突然、視界が黒に染まった。
何事かと、一瞬狼狽していると。
「み~くだ?」
甘ったるい少女の声が、流亜の耳に吹いて来る。
かなり意味不明な一言だったが、おそらく「だ~れだ?」と言いたかったのだろう。
「それじゃただの馴れ馴れしい女だぞ、美紅」
流亜は呆れつつも、その手を払いのけて声の主を見る。
彼女の後ろの席に座る少女は、頬を膨らませていた。
「うぅ~……久しぶりなのに、流亜ちゃん冷たい」
「餓鬼かお前は……まぁ、久しぶりだな」
美紅という名に相応しく、端正な顔立ちとモデル並みの体型を持つ彼女は、「春日井美紅」。
裏ひざまで届くほどの桃色に染まった神は首元から巻かれ、薄い赤の瞳は垂れ目のため勝気な印象はなく、むしろほんわかとした優しい雰囲気を醸し出している。
「しかし、何日経ってもお前は変わらないな」
「そりゃあ、四日くらいじゃ人は変われないよ」
「あぁ、そうだな。相変わらず淫乱だ」
「美紅は淫乱じゃないよぉ!」
「昔から桃髪の女は淫乱だって、相場で決まってるんだよ」
何それぇ、と拗ねる美紅を見て、流亜は自然と笑みを浮かべた。
美紅に「何笑ってるの?」と聞かれたが、流亜は何でもない、と答える。
それからしばらく美紅と話していると、次なる訪問者がやって来た。
「よっ! 流亜! ご無沙汰だな!」
「…………久しぶり」
声は二つ。双方とも女声。
既に聞きなれたその声に、流亜はそちらを見ずに答えた。
「久しぶりだな、花蓮、雫」
「ったく、四日もサボりやがって。オレが彩女先生からガミガミ言われてた時によぉ」
「それは単に、お前が授業中に最前席で豪快に居眠りしているからだろうが」
「…………流亜はサボり魔」
「常習犯みたいに言うな!
私が学校を休んだのはコレが初めてだぞ!」
そんな軽口を叩きあっているのは、金髪をショートカットにした、制服の上から黒のパーカーを着込んだ少女と、綺麗な黒の長髪を持ち、猫の様なつり目の中に金色の瞳を閉じ込めた小柄な少女。
金髪の少女は「須藤花蓮」、黒髪の少女は「新垣雫《あらがき、しずく》」。
対照的な印象を受けるが、流亜、美紅共々いつでも一緒にいる程の仲良しである。
三人は、何気ない会話と態度で流亜に接してくれる。それは、彼女たちとって流亜への最大の気遣いでもあった。
今までの日常が、母の死によって崩れ去った流亜。誰もが彼女に同情するだろう。
だからこそ、自分たちだけでも普段どおり接しようと、三人は決意したのだ。
それが流亜にとっては気楽であり、何よりも嬉しかった。
■ □ ■ □
「よし、今日は此処まで。
放課後、須藤は生徒指導室まで来るように。以上」
四限の授業が終わり、社会科教師は教室を出て行く。
魔術学校とは言っても、一般教養を欠かすわけにはいかない、という一人の大魔術師の意見のためだ。
一気に昼食ムードに沸く教室内で、花蓮だけが一人、机に突っ伏していた。
いや、つい先ほどまでも同じく突っ伏していたのだが、今はその時とは違い「負のオーラ」が立ち込めている。
「くそぅ……何でオレだけ」
「だから言っただろう、最前席で寝るなんて無謀な事をするなと」
「…………馬鹿」
呆れ気味に言う流亜に対し、雫は驚くほど冷めている。
美紅はと言うと、ただ楽しそうにニコニコと笑っていた。
その様子に、花蓮はムッとした様に顔をしかめる
「何笑ってんだよ美紅!」
「だって私、人が困っている所見るのが大好きなんだもん」
とんだ腹黒女だ。
「ええぃこうなりゃ飯だ! 飯食って全部忘れる」
「いや忘れちゃダメだろ……ん?」
昼食を出そうと鞄の中をあさっていた流亜の手が止まった。
いつも感じる感触が、今日に限って無かったのだ。
しばらくそのまま手を動かしてみるが、やはり無い。
「ん? どうした流亜」
「あぁ、いや……どうやら、弁当を忘れてしまったらしい」
苦笑する流亜。
そう言えば今朝、ジンが朝食を作っている隅にあった気がする。
あの時は一刻も早くジンから離れたくてすぐに出て行ってしまったから、忘れてしまったようだ。
おそらくジンも、もう持っていってしまったものだと思って呼び止めなかったのだろう。
「あーあ、やっちまったな。食堂でも行ったらどうだ?」
「生憎今日は、財布も持って来ていないんだ。
でもまぁ、良いさ。今日は短縮授業で早く終わるしな」
「でも、ついついお弁当忘れちゃう時って、あるよねぇ」
「…………私も今日、忘れた」
「ん? 何だ、雫も弁当忘れたのか?」
花蓮の問いに、雫は黙って首を横に振る。
「…………弁当以外、忘れた」
「お前は魔術学校に何しに来たんだ?」
雫は非常に記憶力が良い。そのため、授業は大抵一度聞けば覚えてしまうのだそうだ。
それでも教科書を一冊も持って来ないのはやはり良くないのだろうが、彼女曰く「鞄の軽量化のため」らしい。
「でもやっぱり、何にも食べないのって良くないよ?
ほら流亜ちゃん、あ~ん」
そう言って美紅は、自身の昼食の中に入っていたタコさんウインナー(自作)を流亜に近付けていた。
これだと普通の光景だが、彼女の場合こう言った類の行動を男子にまで行ってしまうのが玉にキズだ。
「冬眠系少女」と呼ばれるほど天然でぽわんとしている彼女だが、難易度はかなり高い。
過去何人の夢見る男子生徒が、彼女に泣かされてきたか分からない。
「あぁ、何か悪いな美紅」
そのまま、あ~んと大きく口を開く流亜。
だが、ウインナーは流亜の口の手前でUターンし、そのまま吸い込まれる様に美紅の口へと入っていった。
「あ~美味しい!」
「美紅……楽しいか?」
「うん! すっごく楽しい!」
「そうか、良かったな」
最早怒るのも疲れてしまったらしい流亜が、悟りきった様な微笑みで言った。
「はぁ、全く……昨日の今日で疲れるな」
ため息交じりに吐き捨てる流亜を、雫はじっと見つめる。
「…………流亜、昨日何かあったの?」
「ん? あぁ、実は」
そう言えば、まだジンの事を話してなかったな、などと思い、流亜が口を開いた時だった。
「ねぇ、何あの人」
「え? わぁ! すっごいイケメン!」
急に、クラスの女子がざわつき始めた。
「何だ? 一体……」
不審がって、花蓮たちもそちらを向いた。
「あら~……何かしら、あの人」
どうやら、クラスに見かけない人物がいるそうだ。
が、そう言った話題に一切興味がない流亜は、そちらを見ようともしなかった。
次の、雫の一言を聞くまでは。
「…………獣の耳と尾がついてる……狼? 「魔物」みたい」
狼。魔物。
その二つ単語からある人物を思い浮かべた流亜は、まさか……と呟いた。
恐る恐るそちらに目をやると、件の「イケメン魔物」と目が合う。
そのイケメン魔物は流亜を見るなり微笑みを浮かべ、彼女の前へと歩み寄って来た。
狼の耳と尾を生やした魔物、送り狼「ジン」が。
「お前……」
わなわなと体を震わせながら、流亜は言う。
だがジンは、やはり笑みを絶やさない。
「流亜様、忘れ物をお届けに参りました。どうぞ」
ジンが差し出して来たのは、桃色の袋に包まれた弁当箱だった。
流亜はそれを一目見ると、また視線をジンへと戻す。
「わざわざ、届けてくれたのか?」
「はい、家政夫ですから」
「そ、そうか……ありがとう」
弁当箱を受け取りながら、流亜は言う。
ジンはニコッと笑うと、その蒼の瞳を花蓮たちへと向けた。
「御友人ですか?」
「あぁ、まぁな」
ポカンとした様子でこちらを見やる三人に、ジンは微笑んだ。
「お初にお目にかかります。昨日付けで、古川家の「家政夫」となった送り狼のジンと申します」
「どうも~春日井美紅で~す」
美紅だけが、右手を振ってジンに答えた。
花蓮はと言うと、乱暴に流亜の首根っこを掴み、机の影に隠れる。
「おい流亜! 誰だよあのイケメンは!」
「いたっ!」と小さく声を上げる流亜に対し、花蓮はジンに小声で呟いた。
「私、あんな人見たこと無いよぉ?」
「…………私も初見」
「あ、あぁ……アイツは」
流亜が再びジンに目を向けると、
「ねぇねぇ! ジン君って何歳くらいなの?」
「俺ですか? そうですねぇ……今年で千五百歳くらいですかね」
「へぇ~すっごい長生きなんだね」
「ありがとうございます」
「ジン君って送り狼なんでしょ? やっぱり肉食系男子?」
「どうでしょう……試してみますか?」
「ふぇ!?」
ジンの周りには、多数の女子による人だかりが出来ていた。男子はと言うと、ただ呆然とその人だかりを見つめているだけだった。中にはハンカチをくわえていた者もいたが。
恐るべきイケメン。恐るべき送り狼。
「おいおい大人気だな」
「…………あれって天然? それともわざと?」
このままではクラスの女子生徒ほとんどが、ジンに(色んな意味で)食われかねない
その時、またある女子生徒が、ジンに素朴な疑問を投げかけた。
「ジン君って、古川さんとどう言う関係なの?」
それはおそらく、ほぼ全員が抱えていた疑問だろう。
その疑問に、ジンは笑みを絶やさず、さらりと答えた。
「流亜様は、俺の主人です。俺は流亜様の「使い魔」ですから」
一瞬のうちに、静寂が喧騒に代わって教室を支配した。
男性陣ですら、その返答に固まっている。
そして花蓮たち三人もまた、同様に石状態だ。
流亜は一瞬、ジンはメドゥーサの類だったか? などと思ってしまった。
長らく続いた沈黙の後。
「「「「「使い魔ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!??」」」」」
流亜は、ビクッ! と体を激しく震わせる。
その直後、花蓮が胸倉を掴んで来た。
「どういう事だ流亜! お前いつから使い魔なんか手に入れたんだ!?」
「お、落ち着け花蓮」
花蓮が狼狽するのも無理は無い。
彼女が十四歳になった為に使い魔を持つ事を許可されたとは言っても、使い魔を操るのは簡単な事では無い。
使い魔も、主人となる人物を選ぶ。使い魔の主となる人物の力量、魔力、器が十二分に揃っていなければ、使い魔は服従を誓わない。
結婚と一緒だ。対象年齢になったからといって、すぐに出来るというわけではないのだ。ましてや魔術師見習いが使い魔を操るなど、異例といっても良い。
例外として、名家の血統である魔術師見習いならば可能という程度だ。
つまり、使い魔を操る魔術師は限られている言う事だ。
それがジンの様な「人型の使い魔」であれば、尚更の事。
もし此処で「母さんの遺言で」などと答えれば、コネだ何だと騒ぎ出す輩がいて面倒な事になりかねない。
流亜が答えに困っていると、
「おい、何だ騒がしい」
「あ、先生!」
黒のリクルートスーツ姿の女性、このクラスの担任である「三筋彩女」がAクラスに入ってきた。
彩女は人だかりの方まで歩み寄り、ジンを見ると怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「誰だ? お前は」
「お騒がせして申し訳ありません。俺は流亜様の使い魔で、送り狼のジンと申します。」
「古川の使い魔……あぁ、お前だったのか」
納得した様に、彩女は小さくうなずいた。
「先生、流亜ちゃんに使い魔さんがいたって知ってたんですかぁ?」
「あぁ、さっき学校に電話が入ってな。
『古川流亜の使い魔をさせて頂いている者ですが、流亜様の忘れ物を届けたいので入校許可をいただけませんか?』と」
妙に律儀なものだな、と流亜は頭の片隅で思う。
「しかし、ふぅん……お前、面白そうな狼だな」
「何を持ってそう思うんですか?」
「何となく、雰囲気で」
適当な教師だ。
「気に入ったぞ、使い魔……ジンと言ったか。どれ、少し話がしたい。生徒指導室に来ないか?」
「そうですね……流亜様。よろしいですか?」
急にふられ、流亜は一瞬狼狽したものの、すぐに首を縦に振った。
「あぁ、構わんぞ。ただし、終礼が終わったら帰すからな」
「かしこまりました。では、行きましょう」
そう言って頭を下げると、ジンは彩女と共に部屋を出て行った。
「嵐が去ったな……」
一同が呆然と扉を見つめる中呟かれた花蓮の一言が、すべてを物語っていた。
その時、二人の後ろ姿を見つめるクラスメイトの中、流亜を見つめる少女が一人。
流亜は気付いていなかったが、それはまるで敵を見る様に鋭く、煌いていた。
誤字・脱字、話の矛盾点などがありましたら御指摘下さい。改善に努めます。