第一話 -出会いは窓辺から-
ツンデレ魔術師見習いと鈍感家政夫狼少年との奇妙な日常をお楽しみください。皆様からの感想、批評も心からお待ちしております。
「魔物」と呼ばれる存在は、大きく分けて二つに分類される。
人との「共存」を目的とする「善の者」と、人の「破滅」を目的とする「邪の者」である。
「善の者」と呼ばれる魔物たちは、強大な力を人と共に生きていく事に使い、人に使える「使い魔」として過ごす者も多い。
それに対して「邪の者」は、正に「善の者」と正反対だ。
人を害し、蔑み、滅ぼすために強大な力を振るい、徹底して人と敵対する道をとっている。
同じ種族でありながら、この二つの魔物は常に対立して来た。
そして人も、「善の者」に護られるだけでは無い。「邪の者」に対抗するため、彼らと同等に戦える力を身につけた。
それが、「魔術」「魔法」などと呼ばれる力だ。
人はその力を使い、「善の者」と共に「邪の者」との戦いを続けて来た。
今日もまた、人間は戦い続けている。
ある者は、戦う事の出来ない非力な民を護るため。
ある者は、自分たちと共に生きる事を選んだ「善の者」への恩を返すため。
ある者は、共に戦ってくれる仲間たちのため。
そして何より、自分自身がこの世界で「生きていく」ために―――――。
■ □ ■ □
寒さがさり、いよいよ春の暖かさが人々を優しく包み始めた四月中旬。
今日は京都に居を構える「古川家」の一人娘、「古川流亜」の誕生日。
柔らかな日差しが差し込む窓のカーテンは、外から吹き抜ける風によってさらさらと揺れていた。
その風によって発せられる木の葉ざわめきは、聞く者の耳をそっと癒してくれる。
こんな素晴らしい小春日和の中で誕生日を迎えられたと言うのに、家の主である流亜の心は曇天に染まっていた。
一人には広いリビングの端に体育座りをして、着替えていない制服のスカートから伸びた自身の太ももに顔をうずめているさ。
彼女の母「古川御法」は三日前、「邪の者」との戦いによって命を落とした。
不幸はあまりに突然に、そして残酷に流亜に襲い掛かった。
彼女の住む東南アジアの小さな島国「日本」でも、御法はかなり名の知れた「魔術師」だった。いや、日本だけではない。彼女は世界の魔術師にとって尊敬と情景の的であった。
高い魔法の素質と人一倍の努力に裏付けされた彼女の力は、「邪の者」にとっては脅威であり、反対に「善の者」や人間たちにとってはとても心強く、信頼のおけるモノだった。
それは、彼女の実の娘である流亜にとっても例外ではない。
そして流亜の父、御法の夫もまた、有名な「魔術師」だ。現在はヨーロッパにて、「邪の者」との戦いに身を投じている。
昨日の葬式の後、父は流亜を案じ「しばらく日本に居座る」と言ってくれた。
だが、流亜がそれを断ったのだ。
父の提案は流亜にとっても嬉しいものだった。しかし、父を必要とする人間は流亜だけでは無い。
世界各国の人々が、流亜の父を必要としているのだ。
昔から我慢強いと言うか、少し自己犠牲の精神が宿っている流亜にとって、そんな希望を独り占めしておくなど出来なかった。
流亜は顔を上げ、足元に置いてある一枚の紙切れを持ち上げる。
そこには見慣れた父の筆跡で「誕生日おめでとう」と書いてあった。
しばし、時が流れるのも忘れ、素っ気無く、されど確かな温かみが伝わるその五文字を見つめていると。
ピンポーン。
彼女の心中とは裏腹に、軽快な音が広い家の中に響いた。
誰か来たようだ。
流亜はゆっくりと顔を上げ、壁に掛けてある時計に目をやる。
時刻は現在、十時三十分。
客人が来たとしても、不自然な時間帯ではない。
今、この家には流亜しかいない。いや、流亜しか居なくなってしまった。
早く出ないと。
客人を待たせるわけにはいかない。
そんな思いとは裏腹に、流亜の体は動かなかった。
彼女の体が、立ち上がる事を拒絶している様に。
この間にも、チャイムは軽快な音を断続的に鳴らし続ける。
だがやはり、流亜の体は動かない。
まるで上級魔物のメドゥーサにでも睨まれたかのように。
(…………あぁ、そうか)
流亜は一人、納得する。
そして、流亜はまた顔をうずめる。
『「この場から動く事」を拒絶しているのではない。「人と逢う事」を拒絶しているのだ』と。
ひどい顔をしているとか、出るのが面倒くさいとか、そういう問題では無い。
とにかく今は、誰とも会いたくない。
どんな顔をして会えばいいのか分からない。
それが、彼女の素直な心境だった。
やがて諦めた様に、チャイムは音を止めた。帰ってしまったのだろうか。
(何処の誰かは知らないが、悪い事をしたな……)
罪悪感にも似た感情が、流亜の心に充満しそうになる。
だがそれは、すぐに自身の持つ「哀しみ」によって打ち消されてしまった。
日本有数の魔術学校に通い、その中で上位の成績を誇る彼女も、普通の中学生と何ら変わりない。
大事な人と共に過ごしている時間は楽しいし、その大事な人を失えば哀しいのだ。
彼女には白を基調としたこの空間が、まるで深い藍に染まっている様にも錯覚た。
深い深い海の中に、一人沈められている感覚。かつてないほどの孤独感。
どうしようもない「負の感情たち」が、流亜を殺そうとする。
その時だった。
ギィ……
流亜の耳元で、窓がかすかに動く音がたった。
最初は風で少し動いただけかと思った流亜だったが、やがて不審そうに顔を上げる。
窓に、明らかな気配を感じる。
風ではない。
「誰か」が意図的に窓を開いたのだ。
一体誰だろうか……。
ふと。流亜が気配の方へと首をまわす。
そこには、所々伸びた銀髪と今日の空の様に蒼く澄んだ瞳を持つ少年が、その眠たげな眼をこちらに向けていた。
おそらく、先ほどからのチャイムの主は彼だろう。
見方によっては少女にも見える様な中性的な美貌を持つ少年に、流亜は思わず眼を奪われた。
背は、それほど高くは無いようだが、それでも女子にしては割と長身な流亜よりもいくらか高いだろう。
唐草模様の衣に青い袴を身にまとい、足袋の下に草鞋を履いた平安時代風の格好が、よく似合っている。
だが、彼女が目を奪われた理由はそれだけではない。
少年の銀色の髪には深い青色の獣耳が、そして尻の部分からは同色の尾が生えていたのだ。
一目で、流亜は確信した。
コイツハ「魔物」ダ。
だが「邪の者」から感じる独特の邪なオーラは、不思議と彼からは感じなかった。
ただひとつ気になったのは、「何故〝窓〟からなのか」という事だ。
(何だ、コイツ……もしかして、泥棒か?)
こんな白昼に堂々と?
普通そんな事するか?
疑問が流亜の頭に充満すると、少年はやっと口を開いた。
「何だ、ちゃんと居るじゃないですか」
外見に相応した中性的な声色で、少年は言う。
その声は、その瞳と同じく眠たげなものだった。
目を丸くしている流亜を余所目に、少年は部屋の中へと入ってくる。土足で。
そこで流亜は我に返り、あれだけ動こうとしなかった体を反射的に立ち上がらせた。
「な、何なんだ貴様は!」
突っ込みたい所は山ほどあったが、まず彼女の口を切って出たのはコレだった。
当然、流亜には目の前の少年に面識などない。
だが流亜の問いに、今度は少年が目を丸くする方だった。
「俺ですか? 俺は……御法さんの知人です」
ズキッ
心がナイフで抉られた様な感覚が、流亜を襲った。
「……そうか……母さんの、知人だったのか」
「御法さんの訃報については、聞いています。
俺も、彼女には大変世話になりまして……本当に、惜しい人をなくしました」
哀しげに微笑んで、少年は言う。
そうだ。寂しいのは、自分だけではないのだ。
改めて、流亜は「古川御法」という人間の大きさを思い知る。
だが次の少年の一言に、流亜は違う意味で驚愕する事となった。
「それで彼女の遺言で、流亜様。
アナタの使い魔として、此処に来たのですが」
………………
「は?」
しばしの沈黙の後、ついて出た言葉がこれだった。
「母さんの……遺言?」
「はい。遺言状が、御法さんの部屋にあると思うのですが……」
直後、まだ何か話している少年を尻目に、二階へと走り出した。
目的地は、二階の奥にある母「御法」の部屋。
バタン! と乱暴な音を立てて扉を開くと、御法の机の引き出しを順番に開けていく。
「魔術師協会」からの書類などを床に散らばしながら開いていくと、上から三番目の引き出しにそれ《・・》はあった。
その中には、何も書かれていない茶封筒がひとつ。
何故、あの少年がこれの存在を知っていたのか。
疑問は山ほどあるが、今はそんな事はどうでもいい。
流亜は乱暴にそれを破り、中身を取り出して黙読する。
『親愛なる流亜へ』
手紙の書き出しには、こう書かれていた。
『アナタがこれを読んでいる時、私はもうこの世には居ないのでしょう。もしもの時のために、この手紙を書いておきます。
流亜、私はアナタが「魔術師」として成長していく姿をもっと見たかった。
アナタの傍で、アナタが一人前の「魔術師」となる時を楽しみにしていました。
アナタが幼い頃、「私もっと強くなって、いつか絶対お母さんを護れる位になってみせる!」って言ってたのを聞いた時、私本当に嬉しかった。
ちゃんと夢を、目標を持ってくれた事が、母として誇りだった。
「お母さん、その時までずっと私とお父さんと一緒にいてね」って言う約束、護れなくてゴメンね』
流亜の視界がぼやけて行くのを感じた。
それは、幼き日に母と交わした約束。まだ魔術師の卵でも無かった当時の自分には「雲を掴みたい」というものを同じ様な願い。
それを、母はずっと覚えてくれていた。勿論、流亜もそれを覚えていた。
「母さん……」
こみ上げて来る雫を拭い、流亜は続きを読んでいく。
『私、アナタが十四歳の誕生日を迎えた時に渡したいって思っていたものがあったの。
アナタも分かるわよね? 十四歳って言うのは、「魔術師」が自身の僕となる「使い魔」を持つ事が許される年。
もしも私が死んでしまって、お父さんは海外にいても、アナタが寂しく無い様に、という想いも込めて、アナタが十四歳の誕生日を迎えた時、アナタに「使い魔」をプレゼントしたいと思います』
「使い魔?」
流亜の脳裏に、かすかな悪寒が走ったが、再び遺言書を読み始める。
『でも、「魔術師」は常に「邪の者」と戦い、死と隣り合わせの存在。
もしもアナタが十四歳になる前に、私がこの世を去っていた時のために、これを記します。
私からプレゼントする「使い魔」の名前は「ジン」。銀狼の姿をした「送り狼」です。
実力は、私が見てきた全ての魔物の中でも最強クラスだから心配しなくて良いわ。
ちょっと変わった子だけど、とても良い子です。アナタの事を話したら、すぐに承諾してくれました。
私がいなくなっても、彼はアナタの十四歳の誕生日になればアナタの前に現れるでしょう。
最後になったけれど、お誕生日おめでとう。ジンと、そしてお父さんや友達と仲良くね。
P.S ジンは古川家の「家政夫」も兼ねてるから、どんどん扱き使っちゃっていいからね(はぁと』
最後のはぁとが全てを台無しにした気がした。
だが、それよりも。
「銀狼の姿をした「使い魔」……?」
彼女の記憶で、御法が書き留めた「使い魔ジン」に該当する少年が一人だけいた。
ちょうど今日、十四歳の誕生日を迎えた自分の前に(窓から)現れた、獣耳を生やした少年だ。
「読まれましたか?」
突然の声に、流亜は肩を震わせてそちらを見た。
そこには、件の銀狼が、やわらかな微笑みを浮かべて立っていた。
「この「使い魔」って……やっぱり……」
震える人差し指で少年を指差すと、少年は深くお辞儀をする。
そして、しばらくして顔を上げ、告げた。
「この度、流亜様の「使い魔」兼古川家の「家政夫」となりました、「ジン」と申します。
改めて、よろしくお願いしますね。流亜様」
こうして、「魔術師見習い」の少女と「最強の使い魔」の少年との奇妙な生活が始まったのだった―――。