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すーぱぁお母さんの音楽会(8)

        (15)

 その日の夜はなかなか寝付けなかった。

 小用にトイレに行った帰り、松戸夫婦の部屋から明かりが漏れてるのに気が付いた。


(こんな夜更けまで何をしているのだろう?)


 私は、我知らず様子を伺いに行ってしまった。


「お前、何を作ってんだ?」

 ご主人の声だ。


「脳波変換器と送受信機。それより、あんた、これ巻いてよ」


「何だこれは。えらく小さなテスラコイルだな。こんなの巻くよりも、既製品の半導体を使った方が楽なんじゃないか?」


(何か難しいことを話してるな……)


「半導体はねぇ、チューニング領域が限られるの。耐圧限界も低いし。こういうものを造るときは、手巻きがいいのよ、手巻きが。それに、あんただったら、そんなの巻くの一瞬でしょう」


「ああ、出来たぞ。これでいいのか?」


「ん~、結構。良く出来てんじゃん」


「こんな物を作って、本当にあの娘に歌わせる気か? あの容体じゃ、歌わせるだけで精一杯だぞ。それで残りの生命を使いきってしまう」


「でなきゃ、あの機械にくるまって、三ヶ月後に死ぬか。どっちが幸せなんだろうね。……覚悟はしてもらわなきゃ。完全に脳死状態なのをこっちへ戻したからには、対価を払う必要があるのよ。(なだ)さんには、それを解ってもらってないとね」


「そうだな……。彼なら答えを出せるかもしれんな」


「初めから分かっていたことでしょう。……なんて、何を今更こんなこと話してるんだろうね、あたし達も」


「決まってるだろう。彼には理解する必要があるからだ」


(え、もしかして私が立ち聞きしているのが、バレているのか?)


 私は、自分の心の内を見透かされたようなこのやり取りに、怖気を感じた。そろそろとその場から離れると、こっそりと自室に戻った。

 布団に入ると、もう一度さっきのやり取りを思い返していた。


 私は覚悟をしないとならない。和田(わだ)瑤子(ようこ)を歌手としてその名を残させるか、このまま平穏な死を迎えさせるか。

 どちらが正しい選択なのか、私には判断がつきかねた。しかし、そもそも彼女はどう思っているのだろうか? 彼女ならきっと「歌いたい」と言うのだろう。それは何となく解っていた。だからと言って、それに賛同するかどうかは、私の問題だ。

 ぐるぐると同じことを考えあぐねているうちに、私はいつしか眠ってしまった。



        (16)

 結局、答えを出せないまま、翌日の日曜にもう一度松戸さん達と瑤子に会いに病院へ行くことになった。


 病室に入ると、瑤子はまだ人形の様にベッドに横たわっていた。ただ、昨日よりも、やや血色がよくなっているように見える。

 松戸さん夫婦は、何やら謎めいた機器とノートパソコンを持ち、ベッドに脇に立っていた。そして、周りの医師達に、次々と指示を与えていった。


「電源こっち頂戴。点滴はそのまま続けて。ただし、この処方の薬液を20%添加すること。あんたに出来る?」


「分かりました、やってみます」

「脳波のモニタリングは、邪魔になるから外してください。代わりに、こちらのケーブルを」

「了解しました。心電図はどうします?」

「心肺測定はそのまま。酸素吸入もそのまま維持してください」

「ケーブル接続しました」

「了解。……脳幹にアクセス開始。お前の方はどうだ?」


「ん~、あたしの方に、シグナル来てないわよ。ルーティングのスイッチ、見直して」


「心拍数、上がってます。呼吸も」

「私の方でサポートする。点滴を少し遅めに」


「来た。あたしの方で身体機能の書き換えをやるから、あんたは、楽譜の書き込みをして!」


「領域確保は」


「もう、してあるわ。書き込み領域の情報をそっちに送ったから」


「わかった。灘さん、楽譜をください」

「え? 何でそんなものが」

 私は、何をやっているのか全く分からない状態で、急にお鉢が回ってきたので戸惑ってしまった。

「この娘の脳内に、歌の内容を直接書き込みます」

 そ、そんなことができるのか。パソコンや機器を、恐ろしい速度で操作している松戸夫婦に、私は人外の鬼気を感じざるを得なかった。意味も解らないまま、おずおずと楽譜を清次郎(せいじろう)さんに手渡すと、彼は再び恐ろしい勢いでパソコンのキーをたたき始めた。

「心拍数、安定してきました。血圧はやや上昇中」


「待っててねぇ。今、自力で生きられるようにしてあげるからねぇ」


「血圧、下降してきました。平常値です」

「点滴液に、薬液を添加します」


「オーケイ。……そこのあんた、この薬剤を調製しておいて」


 アカシアさんはそう言うと、ポケットからメモを取り出して、若い医師に手渡した。

「こ、これは……。一歩間違うと、血栓が大量発生して脳が壊死してしまいますよ」


「それが起きないようにするために、こうやってモニタしてるんでしょ。もう死んでる脳細胞を切り離すのに、それがいるの。作れないんなら、ほかの人に渡して」


「……いえ、自分がやります」

 そう言うと、若い医師は、青褪めた顔をして病室を出ていった。


「恐ろしい光景ですな」

 私は背中からいきなり声をかけられて、驚いてしまった。振り返ると、かなり年配の男性が白衣を着て立っていた。

「こんなことを人間がやってしまっても、いいものなのか……。今、我々は神の領域に踏み込んでいるところを目の当たりにしているんです」

「神の……、領域……」

 医学には疎い私は、それが何を意味するのかも解らず、ただただ現場を見ていることしかできなかった。



 かれこれ、もう五時間は経ったろうか。どうやら作業は一段落したようである。


「一応、成功ね。人工呼吸器は、もう外していいわ。もう自力で呼吸できるから」


「はい、分かりました」


「点滴とカテーテルは、まだそのままにしておいて。脳内の運動野を代替領域に書き込んだから、動くことは出来ないでもないけれど、手足の筋肉は衰えたままだし、関節もほぐして(・・・・)あげないとならないから」



 結局、私は最初から最後まで、何をしているのか分からずじまいだった。

「灘さん、今なら少し起こせますが。どうします?」

 清次郎さんからそう言われて、私はどうしたものかと迷ってしまった。


「折角だから起こしてもらいなさい。はい、これを左手に巻いて」


 アカシアさんは、そう言って私にリストバンドのようなもの差し出していた。彼女の不思議な感覚に囚われながらも、それを受け取った私は、バンドを左手に巻いた。


「あなた、起こしてあげて」


「分かった」

 清次郎さんはそう応えると、手元のパソコンを操作した様だった。

 しばらくすると、昨日のように瑤子の目がひくひくと動きを示した。それから目を開くまでには、大した時間はかからなかった。


(先生、また来てくれたのね、嬉しいわ)


 瑤子がそう言っているような、感触が左手から伝わってきた。昨日と同じように。

「ああ、君はまた眼を開けてくれたんだね」


(そうよ。明日はもっと元気になるわ。そして、ステージで歌うの)


「やっぱり、そう言うんだね、君は。歌ったら最後、死んでしまうかも知れないよ。それでも歌うのかい?」


(歌わせて。このまま何もしないで死んでゆくのは淋しいの。わたしが生きていたという証が欲しいの)


「そうか……。そう言うと思ってたよ」

 彼女はもうすでに覚悟を決めていた。私も覚悟をしないといけない。

「じゃあ、起き上がって立てるようになったら、レッスンを始めるよ。いいね」


(はい。楽しみだわ。この歌を歌えるなんて)


「そうか、君の頭の中には、もう楽譜があるんだね」


(ええ。でもレッスンは必要だわ。いっぱいお稽古しなけりゃ。わたしの初めてのステージなんだから)


「そうか。そうだね。じゃあ、絶対に成功させなきゃならないね」


(きっと、素晴らしいステージになるわ。先生、そうなるように手伝ってね)


「ああ、分かったよ。その代り、レッスンは厳しいよ」


(はい、分かりました)



 私と瑤子は、しばらくの間そういうやり取りを交わしていた。

 来週の音楽コンクール、絶対に成功させて見せる。ついに私は、そう決意した。




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