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すーぱぁお母さんの音楽会(7)

        (13)

 あくる朝、朗報がとどいた。和田(わだ)燿子(ようこ)の居場所が分かりそうだというのである。どうも、隣町の総合病院に入院しているらしいとのことだ。


「行ってみますか?」


 今日は土曜日であった。この家のご主人──松戸(まつど)清次郎(せいじろう)さんが、そう言ってくれた。

「お願いできますか? ぜひ連れって行ってください」

 私は思わず、そう言ってしまった。

「それは構いませんが、お身体は大丈夫ですか?」

「ええ、平気です。皆さんの看護で、こんなに回復しました。どうかお願いです。私を彼女のところへ連れて行ってください」

 彼女の死期も近づいていて、焦っていたのもある。だが、曲は完成した。後は歌い手だけなのである。私はどうしても、瑤子に会いたかった。

「そうですか……。それでは行きましょう」

「あ、ありがとうございます」

 清次郎さんに着いて行き掛けて、私はあることに気がついた。私は、まだ寝巻きのままだった。着ていた服はもうボロボロで、とても病院へ着ていけるような代物ではなかった。……どうしよう。

 それを察してか、清次郎さんが、こう言ってくれた。

「服ならもうあつらえてありますよ。(なだ)さんの寝ていた部屋につるしてありますから、使ってください」


(ああ、服の用意までしてくれてたなんて……)


 私は、感謝の気持ちでいっぱいだった。



        (14)

 その日の昼過ぎ、私は松戸家の面々と病院へ向かっていた。助手席に座っている奥さん──松戸アカシアさんという変わった名前なのだが──彼女が時おり振り向いたりしたときに、その目が金色に見えていたのは私の錯覚だったろうか。私の両脇には、一人息子の庄之助(しょうのすけ)君と、親戚だという(あおい)輝久(てるひさ)君が座っていた。二人に挟まれた中で、私は何と無く場が悪い感じがして、楽譜をしっかと抱いて黙っていた


 病院に着くと、清次郎さんが受付で病室を訊いてくれた。エレベータで目的の階まで行く。

 病室の前まで行くと、確かに「和田燿子」と書いてある。私はまるでパンドラの箱の前に置かれたように、開けるべきなのか? それともやめた方がいいのか? を悩んでいた。

「開けますよ」

 清次郎さんに言われて、はっと我に帰った。私は彼女に会いに来たのだから。


 果たして、瑤子は確かにこの病院にいた。しかし、様々なチューブや医療機器と思われるものに絡みつかれた彼女は、まるで、人形のようであった。素人目にみても死期が近いことをうかがわせる姿だった。

 私は、彼女の寝かされているベッドの傍らに歩いて行った。

 少女は、まぶたを閉じてじっとしていた。時折、口元のマスクが曇ることで、息をしているらしい事は分かった。心電図や脳波計と思しき機械が明滅していることでも、未だ生きていることは察せられる。しかし、これでは、瑤子に歌を歌わせることが出来るのだろうか? それ以前に彼女が目を開くのかどうかさえ危ぶまれた。

「ちょっとだけ起こしてみていいでしょうか?」

 清次郎さんが、主治医と思しき白衣の男性に訊いた。

「衰弱している訳ではないので、意識を取り戻させる事が出来れば可能でしょうが……。しかし、この半年以上に渡って、我々が出来なかったコトが出来るのでしょうか?」

 疑い深そうに見つめる医師に対して、清次郎さんは耳元で何かを囁いた。すうると、彼は驚愕──というよりも恐怖に近い表情を浮かべて、窓際に佇んでいるアカシアさんを一瞥すると、ゆっくりと、しかも震えながら首を縦に振った。

「許可が出たぞ。やってくれ」

 清次郎さんは、アカシアさんに、そう声をかけた。


「オーケイ。ふふふ、可愛い()。まるで眠り姫みたい。ほら、王子様が来たわよ。そろそろ目を覚ましなさい」


 彼女はそう言って、眠っている瑤子の額に右手をかざした。すると、一瞬、病室内の機械や蛍光灯までが明滅した。目眩く光の瞬きの中で、私は目眩をおぼえた。

 しばらくすると、瑤子の目元がヒクヒクと動き、ゆっくりとまぶたが開いた。そして、最初は虚ろだったその瞳が、徐々に光が戻ってきたように、しっかりとしてきた。

「め、目を、覚ました……」

 私が我知らずそう言うと、瑤子はこちらを向いて、両目を3度瞬きし、その後右目でウインクをしたのだ! それは、まさに、会話の出来ない彼女がいつも私にしてくれていた、挨拶だった!

「よ、瑤子! 私だよ。分かるかい、お歌の先生だよ」

 私は、つい、夢中になって彼女に話しかけていた。


「未だダメ。慌ててはダメよ。……あたしがインターフェイスになってあげるから」


 アカシアさんは、私をそう制すと、彼女の額に右手をかざしたまま、左手で私の手を握った。


(先生……わたし、未だ生きてます。会いたかったわ……)


 言語に翻訳すると、そうなるのだろうか? 彼女がそう喋っているような感触が手首から伝わった。

「良かった。先生も会いたかったよ」

 私は、そう言うと、抱えていた楽譜を見せた。

「出来たよ。君のための歌だ。君だけのための歌が出来たんだ。分かるかい?」

 私は、彼女が喋れないことも忘れて、そう言った。


(出来たんですね。……ありがとう。もっと見せて下さらない? わたし、歌いたいの)


 手首を通じて、そう彼女が返事をしているような感覚が伝わってきた。

「う、歌えるのかい? 身体は大丈夫なのか?」

 歌を歌うどころか、到底立ち上がることも出来ないような姿に私は怯えた。


──もしかすると、私は彼女に無理をさせているんじゃないのか?


──こうやって意志の疎通をすること自体、彼女に負担をかけてるんじゃないのか?


 そう思った。

 すると、


(大丈夫。わたしが歌いたいの。先生のためだけじゃなく、わたし自身のために)


 瑤子の意識がそう訴えているようだった。


(だから、大丈夫。怖くないわ。わたし、歌えるようになるから)


「そんな……、そんな事が……」

 私は、後悔しかけていた。こうやって意識のやり取りをすること自体が、彼女の生命(いのち)を削り、死に追いやっているのかも知れないのに……。ただ、私が歌を聞きたい為だけに瑤子を起こすのは、彼女を殺すことになりはしないか?


(大丈夫、……大丈夫なのよ。今すぐはダメだけれど。ごめんなさいね。わたしのことで、そんな怖い思いをさせて)


 私は逆に彼女に励まされてしまった……ような気がした。


(今日は、初めてだったから、疲れちゃった。ごめんなさいね。また来てくださる?)


「ああ、もちろんだよ……」

 あまりの事に、私はそう言うのがやっとだった。


「はい。オシマイ。今日は、もう眠らせてあげて。灘さん、あなたの願い(・・・・・・)は叶うから」


 アカシアさんはそう言うと、両腕を上げてバンザイの恰好をした。

 それとほとんど同時に、彼女が瞬きを二回し、しばらくして今度は左目で二回ウインクをした。これは、彼女が私にお別れをする時の、決まりだった。

 そうして、彼女はまた目を閉じた……。

 私は、「もうこれで目を覚まさないんじゃないか」と怯えていた。それを察したのだろうか、


「大丈夫よ。来週末に、ここの市民ホールで音楽コンクールがあるのよ。そこで歌えるように調製してあげるわ」


 アカシアさんは、そう言った。


「あたしのコト、疑ってる?」


 彼女は目を細めると、そう言った。

 私は、その底知れぬ瞳の中に、何か「(ひと)が見てはいけない何か」を見たような気がした。


 私の記憶は一旦そこで途切れた。

 気がついた時は、もう松戸家の玄関の前だった。


──まさか、病院での事は夢だったのじゃないか?


 そう思わせるような一日だった。




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