すーぱぁお母さんの音楽会(6)
(11)
次に目を覚ました時は、夕方近くらしかった。西日が部屋を照らしている。
私の覚醒に気がついたのか、この家の住人らしき人たちが、やってきた。
「入ってもいいですか?」
「はい、どうぞ」
私が答えると、例の女性と数人の男性が入ってきた。
「お身体は大丈夫ですか?」
私は、上半身を起こすと、彼らに向かってこう言った。
「調子は……、はい、よさそうです」
「どうしてあんなところに倒れていたのですか?」
この家の世帯主らしき壮年の男性から訊かれた。
私は、自分が灘功であること、声楽を専攻していたこと、そして教え子の和田瑤子を探している事を、理由と共に告げた。
「そうですか。それは御苦労なさったでしょう」
「すいません。こんな見ず知らずの私を助けてくれて、介抱までしていただいて。ありがとうございます。と、ところで、今日は何月何日になるんでしょう?」
放浪を始めてから、私の頭から日付の概念がなくなりかけていた。彼女は未だ生きているんだろうか?
「今日は、三月五日です」
三月! と言う事は、瑤子の余命は後三ヶ月くらいしかない。未だ生きているのだろうか?
「私は、この曲を一刻も早く彼女に渡さねばならないんです。……お願いします。何か心当たりがあれば教えて下さい!」
私は、自分の立場も考えが及ばず、そう口走ってしまった。
「ふーむ、言語中枢の障害を持った少女か。……分かりました、心当たりを探してみましょう」
「本当ですか! ありがとうございます。ありがとう……。本当に、ありがとうございます」
これでもうすぐ彼女に会える。そんな希望が湧いてきた。
「お疲れでしょう。今日はもう休まれたらいかがですか? 未だお粥からですが、お食事を用意しましたので、食べられるようなら食べてください。」
そう言って、男性が布団の枕元にお粥の入った膳を置いてくれた。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「何か必要なものがあれば、言ってくださいね。それでは私たちは退席させていただきますので」
そう言って、彼らは私を一人にしてくれた。
私は、膳のお粥を口に運んだ。「おいしい」、と我知らず涙を流した。そして、未だ死ねないとも思った。私の成すべき事は未だ終わっていない。
食事を終えた私は、眠りについた。何ヶ月ぶりだろうか、こうやって心安らかにして、眠れるのは。彼女と、歌の事を考えながら、私は深い眠りに落ちていった。
(12)
翌朝はよく晴れていた。体調も昨日までのことが嘘のように回復している。
今日は、この家の人たちと一緒に朝食を摂った。やはり生きていると言うことは素晴らしい。
それから、これは吉報だが和田瑤子という少女のいるところが分かりそうだと、教えてくれた。
もう後少しだ。彼女さえ見つかれば、この歌を届けられる。
もう、音楽会の重鎮のことなど、どうでもいい。
彼女の歌を聞けさえすれば、それでいい。
今はそう思っていた。
私は、書き上げたスコアを入念に点検していた。少しだけでも、より完璧に近いものにしたかったからだ。
私の書いた歌には、唯一つ問題があった。歌が画期的な分、伴奏も普通ではないのだ。私にもピアノの心得えはあるが、歌にあわせて書いた伴奏は、とても常人には出来そうになかった。4人くらいが連弾で伴奏するか、オーケストラ並みのバックが必要なのだ。
もちろん無伴奏で歌う事は出来る。しかし、それでは、歌の魅力が少し落ちてしまう。出来れば、きちんとした伴奏付きで歌わせたかった。それをこの家の息子さんに話してみると、
「大丈夫だよ。家には父さんがいるから。それくらいの伴奏なら一人で出来るはずだよ」
と、突拍子もない返事をもらった。
いくらなんでも、プロの演奏家でない者が一人で出来るものでは到底ないのだが……。
取り合えず、私はスコアの細かいところを、あーでもない、こーでもないと、なおしていた。速く燿子に会いたい。会って歌を歌ってもらいたい。
もう、それだけが望みだった。