すーぱぁお母さんの音楽会(3)
(5)
今度も、深い眠りの中で夢を見た。そこでも、私は灘功だった。
わたしは夢の中で、楽譜と格闘していた。ああでもない、こうでもない、と、音符を書き連ねては破棄していった。そんなことをずっと長い間しているようだった。
それをしている側にいるのは、和田瑤子、言葉を失った少女だ。彼女は窓辺に座り、鳥達と会話しているように囁いていた。あるときは高い音で、あるときは低い音で。人間の言葉を話す事はできないが、音声を発する事はできるのだ。
私は彼女の余命が残り少ないことを知っていた。事故の後遺症なのだそうだ。急がねば。早く、彼女の歌を完成させなくては。
気ばかり焦るなか、押田教授が私を訪れた。「いつまで彼女を置いておくのか」ということだった。言葉をしゃべれぬ少女に歌など歌えるわけがない。不況で大学の施設や教育方針の棚卸をしなければならないのだそうだ。そんな中、歌わぬ鳥を飼っている余裕はないと言う。
しかし、私は、彼女の在学を懸命に説明した。
しかしそれも、受け入れてはもらえなかった。そして、次の学期には私の籍も剥奪され、大学にいられなくなった。
それから私の放浪生活が始まったのだった。
(6)
目を覚ますと、さっきと変わらない部屋だった。
私は本当に夢の中の灘功なのだろうか。疑念がよぎる。夢も鮮明に記憶に残っている。
私の選択肢は二つに絞られた。灘功として音楽活動を再開するか、このままホームレスの生活に戻るか、だった。
いつまでもぐるぐると考えあぐねていると、襖の、向こうから声がした。
「入ってもいいですか?」
あの男の子の声だ。特に隠すものもないので、
「はい、どうぞ」
と、応えた。
「入りますね」
と、声がすると、この家の家族の面々だろう、男の子と男性二人に例の女性と、老人が入ってきた。
「お加減はどうですか?」
年上らしい方の男性が訊いた。
「何だか倦怠感もなくなって、自分でもずいぶん良くなったように思えます」
「あなたは、五日前に私達の家の前で行き倒れていたんです。発見がもう少し遅ければ、死んでいたかもしれません」
「ありがとうございます。拾ってもらった上に、看病もしてもらって……」
「記憶喪失と聞いていましたが、何か思い出した事はありますか」
そう言われて、私は夢の話をした。それと、その夢に確信がないことも。
「フムン、音楽家さんねぇ。それでは、あなたの事は当分の間、灘さんとお呼びしてよろしいですか?」
そう訊かれても、他に選択肢がない。わたしは了承した。
「食欲はありますか。未だお粥からですが、お腹が空いているのなら仰って下さい」
そういわれて、私はあることに気付いた。
「すいません。その前に、トイレに行かせて欲しいんですが」
「あ、それは気がつきませんでした。……一人で立てますか?」
私は、自分で立ち上がろうとしてみた。立てた。凄い、昨日までは上半身までしか起こせなかったのに。
「歩けますか?」
「大丈夫のようです」
「それじゃ輝久くん、トイレまで案内してやってくれないかい」
「わかりました」
「すいません」
私は照久と呼ばれた青年の後を着いて行った。
私は何日かぶりの排泄をした。お粥が食べれたことといい、自分でトイレに行けた事といい、生きている事がこんなにすばらしいことだとは思いもよらなかった。本当に生きている事はすばらしい。