すーぱぁお母さんの音楽会(13)
(25)
時間が経つのは早い。あっという間に自分たちの出る時間が近づいていた。
それで、私達は舞台のそでまでやってきて、出番を待っていた。
もうすぐ瑤子の出番という時に、アカシアさんが彼女に近づいて、右手を額にかざした。
「ちょっと待ってね、お嬢ちゃん。今、リミッターを解除してあげる。そうすれば、あなたは全力で歌えるようになるから。……大丈夫、怖くないわ。伴奏はあたしがしてあげるから、あとは何の心配なんかしないで、お嬢ちゃんの思う通りに歌いなさい」
(……はい。わかりました。お願いします)
しばらくして、アカシアさんがかざしていた手をどけると、瑤子が何かの光に包まれているようにも見えた。……いや、きっと舞台のライトが反射していたのだろう。そんなことを思っていた時、私に声をかける人物がいた。
「灘君、君はいい生徒を見つけたようだね」
不意に言われて、私は振り返った。そこに居たのは、私の恩師である山根元教授だった。
「山根先生。来ていらしたんですか。お久しぶりです」
「あああ、堅苦しいのは無しだよ。灘君。君は昔、僕の言ってたことを覚えているかい?」
そう訊かれて私は、
「ええ、覚えていますとも。『感動がなければ芸術は成り立たない』ですよね」
「そうだ。……どんな高名な音楽家が高い金をとって開いたリサイタルも、感動がする観客がいなければ、ただの騒音や雑音にすぎん。どんな立派な画家が描いた高額な絵画でも、そこに感動が無ければ、落書きでしかない。灘君。君の生徒は、感動を伝えられそうかい?」
私は少し考えてから、
「ええ、間違いなく感動を伝えられると思っています」
そう、自信を持って応えた。
「そうか。では、聞かせてもらうよ。成功を祈っている」
「ありがとうございます」
そして、遂に瑤子の出番が来た。
<本日最後のプログラムとなります。『四季の歌』、作詞作曲 灘功、歌、和田瑤子、伴奏は松戸アカシアです>
会場内にアナウンスが流れる。瑤子は、スポットライトの照らすステージへ、ゆっくりと歩いて行った。
この後に何が起こるのか? それは神のみぞ知る。
(26)
アカシアさんがピアノの前に座り、瑤子と目と目でタイミングをとる。
そして……、伴奏が始まった。レッスンの時以上に素晴らしい出だしだった。
──まるで四人が同時に連弾をしているような
そして、瑤子の歌が始まった。
「オー、アー、アーアー」
言葉の使えない彼女の歌は、音声のみで組み立てられている。だが、その音域は驚くほど広く、メゾソプラノで微風が漂う如くに歌われると思えば、声音は一気にテナーからバス、更にはより低音へと、音量を損なうことなく重厚な大地をも思わせる響が会場を震わせた。
更に驚くことに、彼女は二つの違った音程を同時に発声することもできる。アルトがリズムを刻むと同時にソプラノが旋律をつづる。彼女だけにしかできない、超高難度の技術だった。
音量、リズム、ハーモニー、どれもレッスンの時には味わえなかった感性と迫力であった。
自身の生命の炎が、そのまま音となって会場に流れだしているかのようだった。それは、彼女が生きてきた春夏秋冬の四季を歌っていることであり、同時に彼女の生涯そのものを解き放っているかのようだった。
その力強い生命の波動の前では、彼女の特殊なテクニックも、超広範囲な音域も、単なる手段でしかなかった。彼女の身体も声も、感動を運ぶための器でしかないことに、いつしか私は気づいていた。
未熟だった。愚かだった。心得え不足だった。
私の書いたものは、単なる音符の羅列にしかすぎなかった。
それを、瑤子は芸術に昇華し、感動に変えていっているのだ。
私は、いつの間にか自分が涙を流していることに気が付いた。
そう、これこそが芸術。瑤子の歌に私は感動していた。
そうして、生命の火が燃え尽きる直前に壮大に燃え上がるかのように、歌はラストを迎えた。
全てを歌いきった瑤子は、ステージの中央で会場を見渡していた。
彼女の歌の前に、観客は感動し歌が終わったことすら忘れているようであった。
そして、長い感動の余韻のあと、静かに、僅かずつ、会場から拍手が聞こえてきた。始めは僅かだった拍手は、そのうち、大きなうねりとなり、盛大な拍手と賛辞となって会場から湧き上がってきた。
「素晴らしい……」
傍らの山根先生が、そう漏らした。
「はい」
私は、ようやっとそう応えることしか出来なかった。
ステージでは、瑤子が鳴り止まぬ拍手に深々とお辞儀をしていた。その度に、拍手はより盛大になっていた。
幾度かのお辞儀の後、瑤子はステージの中央から我々の見ているそでまで、ゆっくりと歩いて戻ってきた。
それを私は満面の笑みでもって、向かえようとしていた。
「よくやった、瑤子」
私は、両手を広げて戻ってくる彼女を待ちわびた。
(先生、わたし……、わたし歌い切りましたよ。もう、何も悔いはありません。……ありがとう)
私の目の前で、瑤子の心はそう伝えてきた。
「素晴らしいステージだったよ。君は私の誇りだ」
私がそう言って彼女を迎え、抱きしめようとした瞬間、瑤子は突然糸の切れた操り人形のように、くたりと倒れこんできた。
「瑤子!」
そう言って、私は急いで彼女を抱きとめようとした。
──軽い
まるで羽根のように彼女は軽くなっていた。そして、彼女の生命の鼓動は、もう、一欠片さえも伝わってくることはなかった……。
(27)
瑤子の歌に拍手の鳴り止まぬ会場とは裏腹に、審査員席はどよめいていた。
そして、審査員たちは、ステージそでに居た私を見つけると、
「灘君、君の差し金だったのか!」
と、非難するかのように罵声を浴びせてきた。
「押田教授……」
そうだ。彼こそが、私達を大学から追い出した張本人であった。
「こんなものは認められない。これは歌ではない! ただ叫んでいただけじゃないか」
「そうだ。神聖なステージを穢した責任を、灘君、君はどうやって償うのだ」
それぞれが大きな肩書を持っている審査員たちは、口々に我々──私と瑤子を罵倒し始めた。
それを見かねて、山根先生がやってきて、こう言った。
「君たちは、彼女の歌に感動しなかったのかね。自分たちの権威と、真の芸術と、いったいどちらが大切なのだい」
「あなたは、……山根教授。いや、元教授でしたな。教壇を離れて、あなたは老いぼれてしまった。こんな素性の分からない娘に、感動などするはずがない!」
自分たちの恩師にすら罵詈雑言を投げつける彼らに、山根先生はこう指摘した。
「では、君たちの頬を伝っているのは何なのかね?」
実は審査員たちも、我知らず感動の涙を浮かべていたのである。
その事を指摘されても、彼らは引き下がろうとはしなかった。
「め、目にゴミが入っただけだ。私は認めん。絶対に認めんからな」
涙を指摘されても尚、彼らは私を、瑤子を、認めようとはしなかった。そして、ますます頑なに我々を非難する始末であった。
「じゃぁ、あたしが、その感動とやらを教えてあげましょうか?」
不意に聞こえたその声は、アカシアさんのものだった。
いつの間にか、拍手は鳴り止んでいた。<シン>と静まり返った客席に、観客は一人もいなかった。
──何故、何時、いなくなった?
そこには、私と瑤子と、審査員たち。それから、松戸家の面々しかいなかった。そう、最初から我々だけだったかのように……。観客席から人々はいずこかに失せ、ステージには我々だけが、取り残されたように立っていた。
「これは何だ? いったい何をした」
「なぁ~んにも。あんたたちに、あたしの歌を聴かせてあげようと思ってね。あなた、ピアノ頼むわよ」
「うむ、何時でもいいぞ」
気が付くと、ピアノの前に清次郎さんが座っていた。
「おじさん、これを付けて」
庄之介君から渡されたそれは、耳栓だった。何故、そんなモノをつけなくてはならない?
私には──いや、私と山根先生には、その理由が分かっているような気がした。
──アカシアさんの歌を聴いてはならない
「な、何をする気だ」
審査員たちは、半ばその理由に気づきつつも、その場を離れることが出来なくなっていた。彼らの足は、凍りついたようにステージから一歩たりとも動かせなくなっている。それは私も同じだった。
──これから何か恐ろしいことが起こる
私の中の芸術家としての感性が、そう訴えていた。逃げなければならない。しかし、怖いもの見たさのためか、身体が、足が、動かない。いけないと分かっていて、聴いてみたいと本能が訴えている。
「山根先生、あなただけでも耳栓を付けてください」
私は懇願するように、そう言った。
だが、先生はそれを拒んだ。
「僕の、……芸術家としての僕の魂が教えているんだ。彼女の歌を聴いてみたいと……」
そのうちに、ピアノの音が、高く低く流れてきた。そのピアノは、不思議と心惹かれるものであった。そして、アカシアさんの歌が始まろうとしていた。
ゴクリと、私は生唾をのみこんだ。これを聴き逃してはいけない。芸術家であれば聴かなくてはならない。
「非礼は後で誤ります」
輝久君の声が後ろで聞こえたかと思うと、私は首の根元に痛打を感じた。そして、そのまま意識が遠のいていく。
(聴きたい、なんとしても。彼女を歌を……)
アカシアさんの歌の始まりが僅かに耳に届いたきり、私はそこに昏倒させられてしまった。
その後どうなったのか? 私は暗い闇の深淵に落ちていった……。
(28)
私が気がついた時には、瑤子は私の腕の中でこと切れていた。
そして、山根先生も審査員たちも、蒼い顔をして、微動だにできないようだった。
「終わったんですよ」
清次郎さんがそう言った。
「終わった? 何が?」
「何もかもが、ですよ。何もかも」
「何もかも?」
「そうです」
そうして、私と瑤子の一週間が終わった。終わってしまった。
数日後、瑤子の葬儀がひっそりと行われた。
私はそこで、再び山根先生に出会った。
「惜しい娘を亡くしたね」
山根先生は、そう私を慰めてくれているようだった。
「いえ、彼女はその生命の全てをかけて、歌を歌いきったのです。そうでなければ、あの感動は訪れなかったでしょう。あれは命の歌だったんです」
「そうか、そうだろうね……。ところで、押田くんたちだが、あそこにいた連中は、皆、音楽界を引退したそうだよ。中には自決した者や、行方不明になった者もいるそうだ……」
先生は、遠くを見るような目で、そう語った。
「僕も、音楽とは縁を切ることにしたよ」
「山根先生、まさかあなたも!」
私は驚いて、そう訊き返した。
「心配は要らん。死んだりなんかしやしないよ、僕は。こう見えても、神経は図太い方なんだよ」
先生はそう言ったものの、私はまだ心配を隠せなかった。
「ですが、先生はあの歌を聴いたんですよね。……私も、ほんの少しですが、あの歌を聴きました。全曲を聴いた先生が、無事でいられるなんて想像できません」
「そうだな。あれは……、あの歌は、人界のモノではなかった。神々の……、異世界の歌を聴いてしまって、なお、この世界の音楽に感動することは、もう無いだろう。和田瑤子の歌を除いてはな。瑤子くんの歌も、ある意味、違う世界のモノだった……」
先生は、一言ひとことを、区切るようにそう言った。
「実はね灘くん、僕は年老いて耳が少し遠くなっているんだよ。それで、辛うじて助かったのかも知れないね」
先生はニヤリと笑うと、そう言ってウィンクをしてみせた。
「そうそう、引退する前に、一つ仕事をしておいたよ」
山根先生は、何かを思い出したようにそう言うと、普通サイズの封筒を私に差し出した。
「先生、これは?」
「僕の推薦状だ。これがあれば、君も大学へ戻れるだろう。また音楽家として教鞭を奮うこともできるよ」
私は少し考えて、封筒を先生に返した。
「やはり、これは受け取れません」
「大学へは戻らないのかい?」
「ええ。……姪夫婦が一緒に暮らさないか、と言ってくれてるんです。彼女たちは、小さなカフェをしていて、そこでピアノを弾いてくれないかと」
「そうか。灘くん、君の人生は君のモノだ。しがないピアノ弾きでも、音楽を続けると言うなら、その方がいいだろう」
「はい。ありがとうございました」
そうして、私は山根先生と別れた。
姪たちのカフェでピアノを弾きながら、今も思う時がある。
「瑤子、君は幸せだったかい?」
すると左腕から懐かしい感覚が走り、頭の中に言葉が響く。
(先生、わたし幸せでした)
「そうか。それならいいんだ。私も幸せだよ、瑤子」
(了)