尼子の忍び 鉢屋外伝 其の参
尼子の忍び 鉢屋外伝
杉原忍軍逆襲編
手間の関
夏の日差しを浴びて、長台寺の蓮池には艶やかな大輪が咲き誇り、水面を渡る風に揺れる花びらは、とても優美である。
要害山の木々が濃い緑を深め、蝉の声と静寂な寺社が対照的であった。その寺社は、安田要害山の峠を過ぎた所、安田関にある。
戦国武将尼子義久の本城である月山富田城を守る尼子十砦の一つとして重要な役割の安田要害山城。
そこからは、伯耆国の大山と中海を一望できる。優れた眺望は幾世も越え、変わらぬ雄大な景色があった。
平安時代の和歌集の古今和歌六帖に収められている古代出雲の歌枕の手間の関を詠んだ和歌の上の句にある。
八雲立つ 出雲の国の 手間の関
てまと名づけし 由も知られず
雲が幾重にも湧き立つという出雲の国にある手間の関は、いったいどうして手間などという名前がついたのか、その理由は分からないが歌詞の内容である。
地名の響きや由来に思いを馳せた歌で、手間の関は古代の出雲路において出雲国と伯耆国の国境に設けられていた関所であり、安田要害山の峠付近の安田関である。
その安田関がある安田要害山は山頂から北、南、西の三方に尾根が伸び、東西に広がる連郭式の山城が築かれている。
主郭を含め四つの郭に分かれ、堀切が有り、主郭は西に向かって階段状に段が連なり、西端の曲輪は、唯一、土塁を伴っている。
曲輪とは、城や砦の内外を土塁、石垣、堀などで区画した一つの平坦な空間のことである。
古代は祭祀の場であった。城が築かれる遥か以前から重要な見張り場所で、狼煙場でもある。
狼煙は、藁に煙の起きやすい狼の糞と松葉を混ぜた火薬を燃やし、煙を上げ情報を伝えた。
情報の伝達手段として、遠方の味方に連絡する際、使用したのが狼煙である。
煙が遠くからでも見やすいように、節をくり抜いた竹を、火薬の上に設置することで、煙突のように真上に高く煙が上がるように工夫した。
あらかじめ煙が上がることを暗号として共有し、遠方にいても一目で情報を伝達することが出来た。
尼子経久の家臣の安井光照が出雲国と伯耆国の国境警備の為に、この山頂に城砦を築いた。
その後、尼子氏の家臣の福山綱信が、出雲国と伯耆国の国境付近の防衛を担った。福山綱信は伯耆法勝寺の襲撃に出陣し、この時の城主は息子の福山源五郎である。
鉢屋衆くノ一の沙和は、尼子軍の鉄砲隊に入隊すると安田要害山城に配属となった。
沙和は要害山城で大山を眺めていた。
「なんて、美しいの…、毎日見ても飽きない。」
鉄砲隊同僚の悠輔が沙和の側で呟く。
「こんな素晴らしいのに、人々は争っている…、どうにかならないものか…」
沙和は一転、気を引き締める。
「戦わなければ攻めらる…、仕方がないよ…、大切なものを守る為に、必死になって戦うしかないよ。」
悠輔は頷いて沙和に言う。
「皆、君の御兄さんを尊敬している。人は、どこまでも人間性に従いていく。人の上に立って欲しいんだ。」
沙和は喜んだ。
「有り難う、兄は尼子の忍び、陰で縁の下を支える立場。皆の心の支えになって、十分、活躍しているよ。」
悠輔は納得して沙和に心の内を語る。
「尊敬する安長さんの妹の沙和さんを、僕が守ります。安心して下さい。」
沙和は、少し驚いて呟く。
「兄は、そんなに尊敬されているんだ…」
沙和は、身近に感じていた兄の安長が、とても遠い存在に感じた。自分自身も、精進して人の支えになりたいと思った。
大山麓の杉原忍軍
伯耆国に悠然と聳え立つ大山は、中国地方最高峰の威容を誇る名峰である。
新緑や紅葉、雪景色といった四季の彩りに加え、見る位置により、柔らかく、また険しくと様々な表情を見せてくれる。
伯耆国にあったことから伯耆大山と呼ばれ、見る方角によっては富士形に見えるその山容から、郷土の富士として伯耆富士とも呼ばれ、土地の人々から親しまれてきた。
出雲の国引き神話では、島根半島を引き寄せた縄を繋ぎ固めるために立てた杭が石見国の三瓶山とこの大山であるとされている。
大山一帯に群生するブナ林は西日本最大級の面積を誇る。縄文より昔から神の居る山として崇拝され、人々から森林は固く守られてきた。
奈良時代以降も山岳信仰の霊場として入山が厳しく制限された結果、豊かなブナ林が残り、悠久の時の流れを感じる素晴らしい場所となっている。
その大山の麓に伯耆尾高城がある。城主の杉原盛重に毛利元就から月山富田城への総攻撃を踏まえ、西伯耆より雲州出雲国に進軍の命令が出ていた。
雲州出雲国に進軍するには、尼子氏の安田要害山城を攻略しなければならなかった。
安田要害山城は出雲国と伯耆国の境に聳える要害山の山頂にあり、伯耆国からは新山要害山城と呼ばれている。
杉原盛重は杉原忍軍の坂本班長と新山要害山城の攻略について話し合っていた。
坂本班長は現状を報告して進言する。
「新山要害山の周囲は、尼子軍の警備がとても固く、簡単に侵入できないように所々に見張りがいます。更に、関所である安田関を通過するには、尼子方の通行を許可する過所を持っていなければなりません。」
杉原盛重は、蓄えた顎髭を触り話し出す。
「ならば、何かに変装して潜入するしかなかろう。杉原忍軍の選抜した班に変装させよう。」
忍びは、関所を通過しやすい職業に変装して、周囲に溶け込み堂々と通る七方出という変装術を駆使する。
七方出の変装には、商人の薬売りがある。諸国を巡っても怪しまれず、会話から現地の情報を集めるのに最適である。
山伏や僧侶や出家した宗教者は、比較的自由な往来が認められていた為、最もよく使われた。
放下師という曲芸や歌舞を演じて歩く者や猿楽師の大道芸人の芸能者は、過所がなくても、関所で芸を披露することで通過を認められる特権があった。常の形は、一般の農民や旅人の変装である。
忍びは、ただ衣装を着るだけでなく、その職業らしい話し方、方言、お経や芸の技術まで完璧に熟し、関番の目を欺いた。
杉原盛重は要害山の長台寺に目を付ける。
「先ずは、長台寺に向かう修行僧の変装が良かろう。」
坂本班長は頷き進言する。
「では、修行僧に扮して海岸の吉佐地区より山根班を向かわせます。」
安田関には長台寺がある。天台宗の古刹で山号は福寿山で出雲観音霊場二十番札所である。天平時代に行基菩薩の開基とされる。
行基は和泉国大鳥郡で生まれ、民衆への布教と社会事業を施した。
僧侶は寺にこもるのが普通であったが、行基は外に出て人々へ仏の教えを説いた。橋を架け、ため池を掘り、旅人の宿泊施設の布施屋を作るなど、多くの社会貢献を行った。
勝手な活動が僧尼令違反とみなされ弾圧されたが、絶大な人望と実績から朝廷も認めざるを得なくなる。
東大寺の大仏建立で聖武天皇に請われ、奈良の大仏造立に奔走し、日本最初の大僧正に叙せられた。
長台寺は聖武天皇の勅願寺であり隆盛を極めた。入口の仁王門の仁王は着色の四尺像であり、本堂は入母屋造りである。
回廊が本堂を囲み、本堂右に護摩堂、左に阿弥陀堂、背後に鎮守の宮がある。本尊は行基の作の千手観音像が祀られ、延命長寿の観音として知られている。
杉原盛重は要害山に麓から向かう、もう一つの路について考える。
「麓の新山地区から要害山に向かう潜入は、何に変装すれば良いかのう…」
坂本班長は熟慮した上で進言する。
「兵糧の材料を尼子軍に納める新山地区の農民は、どうでしょうか?」
武士や忍びの兵糧として兵糧丸がある。原料となる餅米や粳米などの穀類が必要であった。
味噌、切り干し大根、胡麻、黄粉、砂糖、さらに高麗人参や桂心などの生薬を配合し、水分を少なくして丸め、乾燥と加熱処理を施した丸薬状のもので、長期間の携帯と保存が可能であった。
一つ食べると半日はお腹が空かないと言われる程、滋養の補給が出来た。滋養だけでなく、生薬の作用によって疲労回復と精神安定や緊張を和らげる鎮静効果も持っている。
兵糧丸は武家によって異なる様々な原材料が配合され各地の城砦で盛んに作られた。要害山城でも日々作られ、要害山周囲の見張りをする尼子軍に配られていた。
杉原盛重は、蓄えた顎髭を触り話し出す。
「兵糧丸の材料か…、よし、坂本班は尼子方の関所の通行を許可する過所を得るまで農民に扮して新山地区に潜伏せよ。」
「御期待に応えられる様、尽力致します。」
坂本班長は笑みを浮かべて答えた。
坂本班の潜入
農民に扮した坂本班五名の忍びが新山地区に潜伏して一ヶ月、杉原忍軍の忍びと知られぬ様、忍び同士で様々な方法で連絡を取り合った。
忍びの伝達手段として、あぶり出しと呼ばれるものがある。書状や手紙の一見なにも書いてない箇所を火であぶると文字が浮かび上がる仕掛けである。
あぶり出しには、蜜柑や大豆を搾った汁や、酒が用いられた。それらで書かれた文字は乾燥させると文字が消え、熱を加えると再び文字が浮かび上がる。
更に、暗号性の高いやり取りとしては五色米がある。五色米は赤、青、黄、黒、紫に染められた米を使用する。
あらかじめ色の組み合わせや米の個数による暗号を仲間で共有しておき、通り道などに五色米を残して情報を伝達した。
その他、縄を用いたもので、結縄がある。縄の結び方や形状で暗号文字を作り、それを怪しまれないように農家の軒先や木などにぶら下げて情報を伝達した。
農民に扮し潜伏していた杉原忍軍の忍びに、兵糧の材料を納入する通行許可の過所が程無くして届く。坂本班長は班の忍び達に納入の準備を急がせる。
班の忍び達は、手際良く急いで支度を済ませ、出発の準備を整えた。
「皆の者、準備は良いかっ!」
坂本は班の忍びに声を掛けた。
納入する農産品は胡麻、大豆、切り干し大根など、乾燥野菜である。大八車に乗せ出発した。
要害山の周囲にいる尼子軍の見張りに携えた過所を見せ、関所がある安田関に到着する。
坂本は関番に挨拶する。
「納入に参りました。胡麻、大豆、切り干し大根などで御座います。」
安田関の関番である遠道が入口に立ち声を掛ける。
「ご苦労さん、見たこと無い顔だが、初めてか?」
坂本は頷いて答える。
「はい、この度、初めて納入に参りました。宜しくお願いします。」
関番の遠道は坂本達の顔を、じっくりと見て言う。
「荷を見せて貰おうか…」
坂本は荷台の農産品を見せる。
「旦那、御手柔らかに御願いします。怪しい物は一つも御座いません…」
関番の遠道は頷き、坂本の顔を見詰める。
「そうだな、見たところ大丈夫だ…、では、過所を見せて貰おう、もちろん、持ってるだろな…」
坂本は懐から通行許可の証、過所を遠道に見せる。
「旦那、御願いします。」
遠道は、頷いて関所の通過を許可する。
「良かろう、通るがよい。」
坂本班は安田関を通過すると、既に長台寺に潜伏していた山根班と合流する。山根班は一ヶ月前、修行僧に変装して、中海の海岸の吉佐地区より潜入し、長台寺に潜伏していた。
山根班長は坂本班の到着を心待ちにしていた。
「おおっ、坂本殿、待っておったぞっ!」
坂本班長は笑みを浮かべた。
「尼子に大打撃を与える時が来たっ!」
杉原盛重は杉原忍軍の潜入に呼応して尾高城より雲州出雲国に進軍を始める。軍は伯耆武士と備後武士の混成であった。
新山要害山に潜入した杉原忍軍は、要害山城の兵糧庫の見張りを始末して倉庫に火を放つ。更に、軍事施設を次々と放火して破壊した。
安田関の関所に居た遠道は、放火による煙を見ると、城に向かい、城主の福山氏の身を心配する。福山源五郎は、曲輪で被害の状況報告を家臣から受けていた。
遠道は、福山源五郎の傍に駆け寄り、膝をついて忍びの侵入を許したことに謝罪した。
「折角、今まで積み上げてきたものが、全て音を立てて崩れ去ってしまった。」
遠道は涙を流し呟いた。
「全ては、安田関の関番である我に責任がある。」
関所を安易に通過させてしまったことに後悔した。
城主の福山源五郎は遠道を慰める。
「過ぎたことを悔やんでも仕方ない、遠道殿。」
落ち込んで座っている遠道の肩に手をやった。
遠道は嘆願する。
「どうか切腹を命じ、責任を取ることを御許し下さい。」
福山源五郎は首を振った。
「いかん、埋め合わせにならん、共に戦ってくれっ!」
遠道は涙を流し頷いた。
城主の福山源五郎は尼子軍に告げる。
「見張りを止め陣を整える。忍びが潜伏している。兵糧がやられ、最早、三日と持たん。伯耆から毛利の侵行を杭止めながら月山富田城へ退却する。」
鉄砲隊の沙和は見張りを止め城の曲輪にいた。
「大変なことになった...」
沙和が呟くと傍にいる悠輔が言った。
「安心して下さい、沙和さんは僕が守ります。」
沙和は首を振って悠輔に言う。
「有り難う、私は大丈夫だから、皆を守って。」
悠輔は、沙和を見詰めて頷いた。
杉原盛重が率いる伯耆武士と備後武士で混成された毛利軍は、安田要害山城の尼子軍と激突する。安田関で激しい戦闘となり長台寺は戦火に包まれた。
伯大川の激戦
安田要害山での毛利軍の侵行を止めることが出来ず、月山富田城へ退却しながら尼子軍は戦いを続ける。
安田要害山の麓の安田地区は、伯大川が流れ込んでいる。奈良時代の出雲国風土記に伯大川と記され歴史ある川である。
その川の中流域は、広い湿地帯で天然の堀になり、毛利軍の侵攻を阻んでいた。
尼子軍と毛利軍は、伯大川の両岸に別れ、睨み合いになり、膠着状態が続く。
福山源五郎は、関番の遠道を安田関で見た切り、姿を見ないことに傷心して呟く。
「安田関で最期まで戦ったであろうか…、随分、責任を感じていた…、為すべきことを為し、遠道殿は、本懐を遂げた。我も奮い立つ、もう、後には引かん。」
福山源五郎は尼子軍に告げる。
「我が軍は、この伯大川を挟み、毛利軍と対峙する。我こそ、精鋭と思う者は、最期まで戦おうぞっ!」
鉄砲隊の沙和は、身動ぎもせず聞く。
「私は、戦う、鉢屋衆のくノ一として…」
沙和は呟き、鉄砲を持ち精鋭と共に戦場に向かった。
悠輔は沙和に駆け寄り声を掛ける。
「沙和さん!共に戦おうっ!」
暫くの間、尼子軍は、侵攻する毛利軍を止めた。両軍は損害を出しながら戦は続く。
戦いの最中、尼子十砦の一つ高守山城より、城主の立原備前守幸隆の率いる援軍がやって来る。立原幸隆は、尼子三傑の一人の立原久綱の兄にあたる。
伯大川の水運の要衝である高守山城を築城し、伯大川流域を含む出雲国大原郡の防衛を担っていた。
立原幸隆は率いる援軍に告げる。
「全軍、突撃せよっ!」
勢い付いた尼子軍は、伯大川流域の毛利軍を撃退した。杉原盛重は軍を率いて損害を出しながら安田要害山まで退却する。
なんとか、毛利軍の侵攻を阻止したが、尼子軍には多大な死傷者の損害が出ていた。
安田要害山城の城主であった福山源五郎は討死していたのである。鉄砲隊の悠輔は行方不明であった。
沙和は伯大川流域で悠輔を捜していた。
「悠輔さんっ!悠輔さんっ!」
我慢していたが、涙が溢れ落ちた。
沙和は、安田要害山城で大山を眺めていた悠輔を思い出した。悠輔の言葉が蘇る。
「こんな素晴らしいのに、人々は争っている…、どうにかならないものか…」
「尊敬する安長さんの妹の沙和さんを、僕が守ります。安心して下さい。」
沙和から涙が溢れ落ちる。
涙で何も見えなくなった沙和の前に、誰かが立っている。そこには、傷だらけの悠輔が立っていた。
「御無事で、何よりです…」
悠輔は沙和に静かに呟く。
沙和は、驚いて言葉を失い、安堵して涙を流した。
伯大川には、彼岸花が咲いている。
夕焼けで、空は紅に染まっていた。




