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短編

流れ星管理局、今夜も残業です

作者: みき
掲載日:2026/08/09

 流れ星は、自然現象ではない。


 少なくとも、地上の人々が「願い事をするための流れ星」と呼んでいるものについては、そうだった。


 夜空のずっと上、雲より高く、人工衛星より少しだけ遠いところに、天象庁第三局流星運用管理課――通称、流星管理局という役所がある。


「二番軌道、東京湾上空で三・二秒遅延!」


「願掛け申請、第三窓口からあふれています!」


「誰ですか、流星二十九号の尾を七色にしたの! 規定は白色か淡青色です!」


 十二月十四日、午後十一時三十八分。


 地上では、ふたご座流星群の見頃を迎えていた。


 そして流星管理局では、一年で三本の指に入る繁忙期を迎えていた。


「ミナ! 願掛け分類、あと何件!」


「聞かないでください!」


「聞かないと進捗が分からない!」


「じゃあ千八百四十二件です!」


「聞くんじゃなかった!」


 新人職員のミナは、机の上に積み上がった申請書の山から顔を出した。


 願掛け申請。


 地上で誰かが流れ星を見て、心の中で願い事をすると、その願いの一部が管理局へ書類として届く。


 とはいえ、管理局に願いを叶える権限はない。


 流星管理局の仕事は、ただ夜空へ流れ星を流すことだけだ。


 願いを叶えるのではない。


 願うきっかけを届ける。


 研修では、そう教えられた。


「宝くじ、恋愛、試験、健康……宝くじ、恋愛、恋愛、推し、推し、推し」


 ミナは分類印を押していく。


『明日の数学のテストがなくなりますように』


「却下」


『先生が風邪をひきますように』


「却下」


『でも軽いやつで』


「配慮しても却下」


 隣の席から、先輩職員のカイが笑った。


「独り言が増えてるぞ」


「願い事って読んでると性格が悪くなりません?」


「逆だ。人間らしくなる」


 カイは三十五歳。


 流星管理局に来て十一年になるベテランだった。


 いつも眠そうな目をしていて、コーヒーを一日に六杯飲み、どれだけ忙しくてもネクタイだけはきっちり締めている。


 新人のミナとは正反対に、どんな願いを読んでもほとんど表情を変えなかった。


「先輩は、印象に残った願いとかないんですか」


「あるよ」


「どんな?」


「言わない」


「ずるい」


「新人に教えると真似するから」


「何をですか」


「余計なこと」


 そう言って、カイは次の書類を取った。


 その言い方が少しだけ引っかかったけれど、ミナはすぐに忘れた。


 忙しすぎたからだ。


 午前零時を回った頃、ミナは一枚の申請書で手を止めた。


 紙の端が、何度も折られたようにくたびれている。


『お母さんが、少しだけ休めますように』


 それだけだった。


 申請者は十一歳の女の子。


 備考欄には、自動収集された情報が記されている。


『対象者:母親。飲食店勤務。直近二十六日間、休日なし。健康上の緊急性は低。生活介入規定第三条により対象外』


 右上には赤い印が四つあった。


 却下。


 却下。


 却下。


 却下。


「これ、四回目なんですけど」


「もっとだよ」


 カイが横から書類を覗き込んだ。


「同一願望は四回目以降、自動統合になる。最初の分も合わせれば八日連続だ」


「八日も?」


「毎晩、同じ時間帯」


「なんで知ってるんですか」


「分類班だから」


 ミナは申請書へ目を戻した。


「少し休むくらい、叶えてあげられないんですか」


「無理」


 カイは即答した。


「でも、このお母さん、二十六日も休んでないんですよ」


「流星管理局には労働基準監督権も、人事権も、雇用契約を書き換える権限もない」


「それは分かってますけど」


「じゃあ却下」


「冷たい」


「規則だ」


 ミナはむっとした。


「願いを聞いてるのに、何もしないんですね」


 カイの手が止まった。


 ほんの一瞬だった。


「何もしないために、規則があることもある」


 低い声だった。


 ミナが顔を上げると、カイはもう次の書類を見ていた。


 それ以上、何も言わなかった。



 午前一時十分。


 残業職員向けの局内放送が流れた。


『労務規定により、連続勤務時間が十二時間を超えた職員は速やかに休憩を――』


「こっちが休みたいんですが」


 ミナが言うと、カイは笑った。


「流れ星を見て願え」


「職員には効かないって研修で習いました」


「よく覚えてるな」


 休憩室へ行く途中、ミナは窓際で立ち止まった。


 地上が見える。


 夜の都市は、黒い海に散らした金色の粉みたいだった。


 そのどこかに、あの十一歳の女の子がいる。


 今も起きているのだろうか。


「気になる?」


 いつの間にか、カイが隣に立っていた。


「……はい」


「新人はみんなそうなる」


「先輩も?」


「昔はな」


「今は?」


 カイは答えなかった。


 代わりに紙コップを二つ買い、一つをミナに渡した。


「甘いやつ」


「ありがとうございます」


「戻るぞ」


 仕事は続いた。


 午前一時四十二分。


 小規模な軌道トラブルが起きた。


 通常なら地上の大気圏で完全燃焼するはずの流星片が、予定より長く残光を引いたのだ。


「三十二号、燃焼時間六秒!」


「観測区域を修正!」


「願掛け回線、負荷上昇!」


 一瞬で局内が騒然とした。


 ミナの端末にも、申請が滝のように流れ込んでくる。


『受験に受かりますように』


『父の手術が成功しますように』


『猫が帰ってきますように』


『もう一度だけ話せますように』


『ごめんなさいって言えますように』


『明日が来ますように』


 手が止まりそうになる。


 その一枚一枚の向こうに、誰かの夜がある。


「ミナ!」


 カイの声で我に返った。


「分類だけしろ。読むな」


「でも」


「今は読むな。潰れるぞ」


 ミナは唇を噛んで、印を押した。


 願いを処理する。


 叶えられない願いにも。


 間に合わない願いにも。


 仕分け印を押していく。


 三十分後、トラブルは収束した。


 局内に、疲れ切ったため息が広がった。


 ミナは椅子に座ったまま動けなかった。


「先輩」


「ん」


「『明日が来ますように』って、何なんでしょうね」


「考えない方がいい」


「どうして」


「俺たちは、その人の人生を知らないから」


「でも」


「知らないから、勝手に救った気になるなってことだ」


 カイは静かに言った。


 ミナは初めて、その言葉の奥に何かあると感じた。


「先輩、昔、何かしました?」


 しばらく沈黙があった。


 カイは、空になった紙コップを見つめた。


「入局二年目の頃、一つだけ、勝手に軌道を変えた」


 ミナは何も言わなかった。


「十五歳の子の願いだった。『父さんが家に帰ってきますように』」


「……それで?」


「父親は長距離トラックの運転手だった。俺は、帰路で見えるように流星を一本ずらした」


「いい話じゃないですか」


「その子は、その流れ星を見た父親から電話をもらった。『今夜は帰る』って」


「じゃあ」


「無理に予定を変えた父親は、途中で事故を起こした」


 ミナの顔から血の気が引いた。


「命は助かった。相手も無事だった。でも、その家族がその後どうなったかは知らない」


 カイは窓の外を見た。


「俺のせいだったとは言えない。流れ星がなくても帰ったかもしれない。でも、だからこそ分からないんだ。誰かの人生に触るっていうのは、そういうことだ」


「……だから、規則を」


「規則は、冷たいからあるんじゃない。知らない人生に勝手に手を突っ込まないためにある」


 ミナは、あの申請書を思い出した。


『お母さんが、少しだけ休めますように』


 それでも。


 何もしないままでいいのだろうか。



 翌日。


 ミナは勤務前に、過去一か月分の申請履歴を検索した。


 規則違反ではない。


 分類担当者に認められた範囲だ。


 十一歳の女の子から届いた願いを並べる。


 最初の三週間は、違う内容だった。


『お母さんとケーキを食べられますように』


『学校の合唱をお母さんが見に来られますように』


『お母さんが日曜日に家にいますように』


 そして八日前から、


『お母さんが、少しだけ休めますように』


 に変わっている。


 ミナは胸が詰まった。


「朝から何やってる」


 カイが出勤してきた。


「調査です」


「嫌な予感しかしない」


「生活介入はしません」


「本当か?」


「はい。ただ、願掛け申請には『本人の意思を促す範囲の演出』なら許可される場合がありますよね」


 カイの眉が動いた。


「研修資料のどこで見つけた」


「別冊七の四十二ページ」


「誰も読まないところを」


「読みました」


 ミナは予定表を見せた。


 その日の午前四時十二分。


 小型流星が一基、関東南部を通る。


「母親の勤務先の裏手から見える軌道です。流星を流すだけ。何も起こしません。仕事を休ませることもしない」


「ただ見せるだけ?」


「はい」


「目的は」


「本人が、自分のために願うきっかけをつくる」


 カイは黙って資料を読んだ。


「お母さん本人は、何を願うと思う」


「分かりません」


「そこが大事だ」


「だから、そこから先は私たちが決めません」


 長い沈黙のあと、カイは赤ペンを取った。


 軌道案の端に、二か所修正を書き込む。


「東へ〇・五度。燃焼時間は二・一秒。これなら航空路との干渉なし」


 ミナが顔を上げる。


「いいんですか」


「規則の範囲内だ」


「先輩」


「勘違いするな。これは願いを叶えるんじゃない」


「分かってます」


「流れ星を流すだけだ」


「はい」



 午前四時十二分。


 地上。


 小さなファミリーレストランの裏口が開いた。


 一人の女性が、ゴミ袋を二つ持って出てきた。


 肩を回しながら、集積所へ向かう。


 二十七日目の勤務。


 昨日は、娘から「もう寝るね」とだけメッセージが届いていた。


 返事を打つ暇もなかった。


 女性はゴミ袋を置き、空になった手を腰に当てた。


 そのとき。


 夜明け前の空を、一本の光が横切った。


 ほんの二秒。


 白い光。


 女性は足を止めた。


「……流れ星」


 願い事を三回唱える暇はなかった。


 そもそも、何を願えばいいのか分からなかった。


 お金。


 休み。


 健康。


 娘の成績。


 いろいろ浮かんだ。


 でも最後に思ったのは、ひどく小さなことだった。


 日曜日。


 娘と朝ごはんを食べたい。


 それだけだった。



 翌朝。


 流星管理局に、新しい申請が届いた。


 申請者は、あの母親。


『今度の日曜日、休みをくださいと言えますように』


 ミナは思わず立ち上がった。


「先輩!」


「大声出すな」


「見てください!」


 カイは申請書を読んだ。


 そして、少しだけ笑った。


「これは本人の願いだな」


「はい」


「じゃあ、俺たちの仕事は終わり」


「叶うと思います?」


「知らない」


「気にならないんですか」


「気になる。でも、知らない」


 カイは書類を分類箱へ入れた。


「そこから先は、あの人の人生だ」


     *


 三日後。


 同じ母親から、もう一枚届いた。


『店長に、休ませてくださいと言えますように』


 翌日。


『断られても、もう一回言えますように』


 さらに翌日。


 申請は来なかった。


 ミナは一日中落ち着かなかった。


「来ませんね」


「来ないな」


「どうなったんでしょう」


「知らない」


「先輩、そればっかり」


「仕事だからな」


 その夜、十一歳の女の子から申請が届いた。


 ミナは慌てて開いた。


『日曜日、お母さんとホットケーキを作ります。焦がしませんように』


 ミナはしばらく、何も言えなかった。


 カイが横から覗き込む。


「これは食品安全?」


「家庭生活です」


「じゃあ対象外だな」


「でも、ちょっとくらい」


「介入するな」


「分かってますよ」


 ミナは笑った。


 申請書を分類箱へ入れようとして、やめた。


「これは保存したら怒られます?」


「公文書私物化になる」


「ですよね」


「ただし」


 カイは自分の机の一番下の引き出しを開けた。


 そこには、古い紙が一枚だけ入っていた。


『父さんが家に帰ってきますように』


 十一年前の申請書。


「捨ててないんですか」


「捨てられなかった」


 カイは静かに引き出しを閉めた。


「規則を守ることと、忘れることは別だからな」


 ミナは、自分の机の引き出しを開けた。


 そしてコピーではなく、規定どおり個人メモ用紙に、ひとことだけ書いた。


『ホットケーキの日曜日』


 それをしまった。



 日曜日。


 地上では朝から雨だった。


 流れ星は見えない。


 だから流星管理局は少しだけ静かだった。


「今日は願掛け、少ないですね」


「雨の日はな」


「みんな空を見ないから」


「そういう日もある」


 ミナは窓の向こうを見た。


 雲の下にある家の一つで、きっと今頃、ホットケーキが焼かれている。


 焦げているかもしれない。


 母親は眠そうかもしれない。


 娘はしゃべりすぎているかもしれない。


 何も分からない。


 それでいい。


「先輩」


「ん」


「流れ星って、願いを叶えないんですね」


「最初からそう言ってる」


「でも、願いを作ることはあるのかも」


 カイは少し考えた。


「正確には、本人が忘れてた願いを思い出す、くらいかな」


「それ、いいですね」


「報告書には書くなよ。抽象的すぎて差し戻される」


 ミナは笑った。


 午後十一時。


 雨雲が切れた。


 軌道班から声が上がる。


「流星四十二号、準備完了!」


「観測地域、異常なし!」


「願掛け回線、接続!」


 ミナは端末を開いた。


 今夜も、誰かが空を見上げる。


 宝くじ。


 恋愛。


 試験。


 仲直り。


 明日が来ますように。


 もう一度頑張れますように。


 世界には、叶わない願いがたくさんある。


 流星管理局は、そのほとんどを叶えられない。


 それでも夜空へ、光を一本流す。


 願うことを、やめなくていいように。


「ミナ、四十二号、流すぞ」


「はい!」


 窓の向こうで、小さな光が地上へ落ちていく。


 たった二秒。


 それだけの仕事。


 けれど、その二秒のために、今夜も管理局は残業だった。


 ミナは少しだけ笑って、次の申請書を手に取った。

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