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第一話 蠢動

序章


「ああ、雨星(うせい)。雨星───」

 ずる、ずる。

 床を這いずる音がした。雨星をかばうようにしている、黒衣の背中越しに見れば、血まみれの男が、こちらに向かって手を伸ばしている姿があった。霜飛(そうひ)、と雨星はその男の名をつぶやいた。恐怖のあまり、喉が引き()る。

 割れ。逃げろ。

 父の声が、頭の中でこだまする。

『おまえを守ってくれるひとがいるところまで』

 雨星は、手に持つ翡翠のかんざしを見下ろした。

 小鳥の意匠の、精巧な彫りかんざし。

『その小鳥が連れて行ってくれるはずだ』

(どうして)

 雨星はかんざしを強く握りしめた。

(どうしてこんなことに……)




第一章 中王国(なかおうこく)

 雨星、と。

 遠い場所から、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 雨星、目を覚ませ、と必死に叫んでいる。

(だれ……)

 肩を優しく揺さぶられ、雨星はゆっくりとまぶたを開いた。

 目に入ってきたのは、針を持つ手と、濃緑の絹地だった。中途半端な針目で止まったそれは、花鳥文(かちょうもん)の文様を成している。

「居眠りすると、危ないわよ」

 小声で雨星を(とが)めるのは、隣に座る紅雪(こうせつ)だった。

 濃いまつげに縁取られた、大きな目が印象的な、美しい娘だ。

 雨星は親指を見下ろし、あ、とつぶやいた。

「本当だ」

 針の刺さったあとを指で押すと、ぷつりと赤い珠が浮かぶ。舐めると鉄の味がした。そのようにのんびりと、悪びれる様子のない雨星に、紅雪は呆れたようにため息をついた。

「そのうち、自分の手に刺繍する羽目になるわよ」

 まさしくそうなるかもしれない、と思い、雨星は少し笑った。

 柔らかな、赤みがかった茶色の髪がふわりと揺れる。黒髪の多い中王国では、少しばかり(めずら)かな髪色である。そのせいか、二人は横髪を編み上げて後ろ髪を下ろす、同じ結い方をしているが、まったく同じには見えない。

 二人は顔を寄せ合い、くすくすと笑った。

 雨星は(よわい)十四、紅雪は三つ上の十七と、歳こそ違うものの、二人は無二の親友であった。

 やがて女官ににらまれ、何事もなかったかのように仕事に戻る。

(あの声は……)

 ひと目刺し、雨星はふと手を止めた。

 目を覚ます間際に聞こえた声。ひどく切羽詰まった様子だった。

(誰だったのだろう)




 山の()に夕陽がかかる頃、二人は縫殿(ぬいどの)の門を出た。

 針子仲間の女たちも、仕事を終え、続々と家路についていく。

「ああ、疲れた。いくら冬至祭りが近いからって、こきつかいすぎよね」

 紅雪が伸びをしながら言う。

「わたしは、別に……刺繍ができればそれでいい」

 さほど疲れた様子もなく、針で刺した指を触りながら言う雨星を、紅雪は呆れた目で見やった。

 二人はいつもどおり、並んで大通りを歩いていった。

 通りを挟む建物の軒先には、吊り下げ提灯が赤く光り、濡れた石畳を照らしている。にわか雨でも降ったのだろう。冷たい空気を大きく吸い込むと、露に濡れそぼった草の青い香りがした。

 紅雪と他愛ない話をしつつ、雨星の目は夕闇をさまよう。

 並ぶ格子窓の、一つとして同じもののない美しい造形。そこから漏れるあたたかな明かり。にぎやかな声。ちょうど、夕餉(ゆうげ)の時刻だ。畑仕事を終え、かごを担いで家に帰る男たちとすれ違い、挨拶を交わした。

「じゃあ、また明日ね」

「うん」

 紅雪と別れ、赤い拱橋(きょうきょう)をゆっくりと渡りながら、水面を見下ろした。

 北の山脈から流れ、町を縦断して都まで続く、銀江(ぎんこう)だ。

「雨星」

 橋を渡りきったところで、後ろから声をかけられた。

 立ち止まり、目をすがめてその人物を見つめる。暗がりに紛れ、顔がよく見えない。その様子に気づいたのか、その人物は数歩前へ出て、提灯の光に顔を晒した。背の高い、若い男だった。彫りの深い顔立ちには、覚えがある。

「霜飛……」

 名を呼ぶ雨星の、弱々しい響きには気づかず、彼は優しく微笑んだ。

「送っていくよ」

 有無を言わせぬ口調だった。

 体格差を見せつけてくるかのように、ずいっと体を寄せてくる。上等な衣に焚きしめられた香が、ふわりと鼻をかすめた。

「いや、もう、すぐだから……」

「話があるんだ」

 やんわりとした断りを却下して、彼は雨星の手を引いた。

 困ったことになった、と雨星は思った。送っていくという言葉どおり、雨星の家の方向には進んでいくのだが、そうなると自然と、灯りの少ない町外れへと向かうことになる。

「霜飛、あの」

「話がしたいだけだから」

 月明かりだけが眩い、坂道や石段を、雨星の手を引きながらずんずんと登っていく。

 霜飛は、ここ───扇市(せんし)でも有数の、大商家の息子で、悪い男ではないのだが、生真面目で、融通のきかない性格ということで知られていた。そういった気質のこともあり、跡取りは弟のほうになるだろう、と噂されるほどに。

(いや、でも)

 雨星は思い直し、腹をくくった。

(いい機会かもしれない。誤解を解くには……)

 やがて、霜飛は立ち止まった。

 そこはちょうど、雨星の家へと続く石段の手前、梅の古木のあたりだった。

 冬の気配はいまだ濃く、蕾のきざしはない。黒くうねった木々が音もなくそびえている。その背後には、斜面を切り出した田畑が広がり、彼方まで広がる山々が見えた。扇市は銀江を中心に栄える職人の町であり、王国の北部山地に位置している。さらに北へと進めば雪をかぶった山脈が見え、そこは隣国、新賜(あらたま)との国境となっていた。

「雨星」

 霜飛は、どこか思い詰めたような表情で雨星と向き合った。

「おれと───」

「待って、霜飛。待ってくれ。その話の前に、聞いて欲しいことがある。ずっと前から言っているように、わたしは───」

 雨星は慌てて話を遮ろうとするが、彼はやんわりと首を振り、続けた。

「おれと、結婚して欲しい」

「だから話を……」

 え、と、雨星は声を漏らした。

 思わず唖然(あぜん)として、霜飛を見上げる。

 冗談だろうか、と思う。だが、彼に冗談を言っているような様子はない。わずかに耳を赤くして、至極真面目な表情で、こちらを見ている。

(けっこん?)

「嫌か?」

 伺うように問いかけ、霜飛は、凍りついている雨星の手を取り、そこへするりと何かを通した。それは驚くほどに冷たく、表面はなめらかだった。

「これ……」

「求婚の贈り物だ。雨星がいつもつけている、その耳飾りと同じ石で作らせた」

 それは、紅玉髄(べにぎょくずい)の腕輪だった。

 月と星の光に、うっすらと浮かび上がる色は、とろりと夕陽が溶け出したような赤橙。たしかに、耳飾りと同じ色をしている。輪は触れれば折れそうなほど繊細で、傷一つなく磨き上げられた表面は、つややかで瑞々しい。見事な細工だった。それもそのはずで、霜飛の家は、玉細工(ぎょくざいく)を主に取り扱う商家なのだった。

「きれいだ」

 思わずつぶやいてしまってから、はっとした。

 見れば霜飛は、嬉しそうに微笑んでいた。

「なら、受けてくれるんだな。求婚を」

 雨星は、もはやどうしていいかわからず、ただ彼を見上げた。

 どう伝えれば、霜飛は自分が誤解していることを理解し、潔く諦めてくれるのだろうか。わからない。すでにお手上げと言ってよかった。なぜならこれまで、雨星は何度も、何度も、彼に本当のことを伝えてきていて、その結果が()()だったからだ。

「よかった、雨星。とても嬉しい。これで父上にいい報告ができる。そうだ、冬至祭(とうじまつ)りの夜は、一緒に祭りを回ろう。その後で、我が家に寄って父と会っていってくれ。きっと喜んでくれるはず───」

「霜飛」

 饒舌(じょうぜつ)な喋りを遮り、雨星は、震える手で腕輪を外すと、彼に突き返した。

「これはもらえない。ごめんなさい」

「え」

 霜飛の緩んだ頬が、ひくりと引き攣る。

 発した声は、上擦(うわず)っていた。

「な、なんで」

「ごめんなさい。あなたと、結婚はできない。なぜなら、わたしは」

 噛んで含めるように、雨星は告げた。

「男だから」

「は……?」

 霜飛はよろめいた。

 梅の木に手をつき、そんなはずはない、と低くうめく。

 ───中王国では、服装や髪型に、明らかな男女差はない。男女ともに、丈の長い上衣と、共布(ともぎれ)(はかま)を身につけるのが日常であり、そのことと、霜飛の思い込みの激しさが悪いように相まって、彼は、出会ってからこれまで、雨星のことを女だと頑なに信じ込んでしまっているのだった。

「お、おれと結婚したくないから、そんなことを言うのか?この期に及んで、まだそんな嘘をついてまで……」

「違う、嘘じゃない。本当のことなんだ。ちょっと女顔で、針仕事が好きだというだけで、わたしはれっきとした男だ。これまで何度も伝えてきただろう。本当に───」

「やめろ!」

 唐突に叫ぶと、霜飛は、力任せに雨星の腕をつかんだ。

「やめろ、黙れ。おまえまで、おれのことを馬鹿にするのか。おまえが男のはずがないだろう。男が、縫殿などに通うものか。あそこに通うのは女だけだ。あんなものは、女の仕事だ。男の衣を縫うのは、女の仕事なんだ!」

「あんなもの、って」

 その言葉が腹に据えかね、雨星は霜飛の手を振り払うと、彼の体を強く突き飛ばした。

 霜飛は思わぬことによろめき、足をもつれさせ、尻餅をつく。彼は、何が起きたのかわからない、という顔で雨星を見た。

「縫殿の仕事を、刺繍を、あんなもの呼ばわりするのは許さない。職人の仕事に、女も男も関係ない。縫殿のみんなは、わたしが男でも、一緒に働くことを許してくれている。そんな人たちを悪く言うな。みんな、誇りを持って仕事に携わっているんだ。どうしてそんなことがわからない?針仕事を侮辱するような言い方はよしてくれ!」

「うるさい。黙れ!」

 霜飛は弾けるように立ち上がり、雨星に飛びかかった。

「……!」

 細い首を、大きな手が絞め上げる。

 雨星はのけぞり、その手を必死に引き剥がそうとしたが、力が入らず、ついにはのしかかられ、地面に押し倒されてしまった。

「おまえまで、そんなことを言うのか。雨星も、他のやつらと同じだったんだな。なぜわかってくれない?なぜ拒む?こんなにもおまえを、愛しているのに」

 端正な顔立ちを別人のように歪めた霜飛が、血管が浮かび上がるほどの力を込めて、雨星の首を絞める。雨星は耳元で、自分の首の骨がきしむ音を聞いた気がした。

(もうだめだ)

 死ぬ───その言葉が頭をよぎる。ふと、父の顔が浮かんだ。家で帰りを待ってくれているはずの父。母の顔は知らない。雨星が物心つく前に、死んでしまった。

(誰でもいい。誰か)

 助けて!

 その瞬間、ふいに絞め上げる力が消え失せた。

 ぎゃあ、という悲痛な叫び声が響き渡る。

 身をよじり、激しく咳き込む雨星の顔に、生あたたかいものが降りかかった。必死になって呼吸を繰り返すうち、ようやく力の入るようになった腕を支えに、雨星はその顔を上げた。

「───」

 そして、真っ黒な人影を見た。

 その人影は、銀色に光る抜き身の刀を手に、雨星のそばに立っていた。

 足元で、何か言葉にならぬ言葉のようなものを喚き散らしながら、転げ回っているほうが、霜飛だった。つんと、鉄くささが鼻をつく。雨星は震える手で、顔に降りかかった生あたたかい何かを手で拭った。赤い───血だ。

(逃げなければ)

 喉が、ひゅっとおかしな音を立てた。

(逃げろ。早く!)

 身じろぎすると、刀を持った人影が、こちらを振り返るのがわかった。

 逆光で顔は見えない。さほど背は高くないが、その引き締まった体つきから、男だとわかる。黒い獣のようだと雨星は思った。この男はきっと、やろうと思えば一瞬で自分を殺せるだろうと、なぜか確信していた。

「う、雨星」

 助けてくれ、と泣きながら、霜飛がこちらへ手を伸ばしてくる。

 男の視線が、雨星から霜飛へと移った、その一瞬の隙に、雨星は走り出していた。

 足がもつれ、転びそうになりながらも、必死に石段を駆け上がる。つまずき、よろめいて、何かの割れる音を聞き、少しだけ振り返った。美しい紅玉髄の腕輪が、石段の上で砕け散っていた。


               **


「雨星、どうした」

 戸口をくぐった途端、その場にうずくまってしまった雨星に、手が差し伸べられた。

 そのあたたかさにほっとして、顔を上げる。

「何があった」

 首には赤黒くあざが浮かび、髪は乱れ、顔や衣には血のような汚れもついている。ひどいありさまだった。何でもない、で言い逃れはできそうにない。雨星は、心配そうに覗き込んでくる父親を見上げた。

 雨星よりも赤みの強い髪を、無造作に束ねている。丈の長い無紋の上衣。仕事から帰ってきた格好のままだ。細かな刺繍の入った帯は、雨星が仕立て、贈ったものだった。

 父───季潤(きじゅん)は、膝をつき、袖で息子の汚れた顔を拭った。

「これはまさか、血か?どこか怪我をしているのかい?」

 雨星はゆるゆると首を振る。

「違う。わたしは、怪我してない」

「じゃあ、これは誰の血なんだ?一体、何があった」

「わ、わからない……」

 それは本音だった。

(わからない。何が起こったのか……)

 ひとまずあたたまろう、と言って、季潤は、炉端(ろばた)のそばまで雨星の手を引いた。

 赤々と燃える炭が、冷え切った体をじんわりとあたためてくれる。上に置かれた鍋の、蓋の縁から、美味しそうなにおいと煮え汁が漏れていた。目の覚めるような香辛料の香りだ。

 雨星は深く息をつき、うつむいていた顔を上げた。

 見慣れた壁が目に映る。棚に並べられた瓶。置きっぱなしの包丁と木のまな板。かまどと鉄鍋。大きな水がめと、かたむいた柄杓。町外れの小さな家。大切な我が家だった。

「痛むか?」

 季潤は、濡れ手ぬぐいを雨星の首に当ててやった。

「大丈夫。ありがとう」

 雨星はゆっくりと話し出した。

 仕事からの帰り道、霜飛が待ち伏せていたこと。求婚されたため、再度誤解を解こうとして、失敗したこと。激昂した彼に首を絞められ、殺されそうになり、そして───。

「知らない男があらわれて……」

 町の人ではなかったと思う、と、雨星は自信なげに言う。

「暗くてよくわからなかったけど、物取りにしては、様子も変だった。仲間がいるようにも見えなくて。刀を手にしていたから、その男が、霜飛に斬りかかったのだと……」

「刀」

 雨星はうなずき、そういえば、と続けた。

「町の衛士(えじ)が持っているような刀とは、少し違った気がする。細くて、短かった」

「何だって?」

 突如、季潤が目をむいた。

「それはたしかか」

「わからない。暗かったから……」

 難しい顔で黙り込んでしまった季潤に、雨星は困惑した。

 常に朗らかな父が、このような表情を見せるのは珍しいことだった。

「───潮時だな」

 ややあって季潤は、どこかせいせいとした様子で笑った。

「え?」

「雨星。この町を出よう」

「町を出る?」

「そうだ。ここには長く居着き過ぎた。ちょうど、そろそろ別の町に移ろうと考えていたところだったんだ。面倒なことになる前に、姿を消してしまえばいい」

(ここを……出る)

 扇市を去る。すると紅雪を───一番の友だちを、失うことになる。

 縫殿のみんなにも、会えなくなってしまう。

 嫌だ、と雨星は思った。だが、言葉にすることはできなかった。

 何か理由があって、住処(すみか)を転々としていることはわかっている。その理由を尋ねても、季潤は笑ってはぐらかすばかりだが、朗らかさの向こうで、雨星は、父がいつも苦しんでいるような気がしてならないのだった。

 雨星は、わかった、とうなずいて、でも、と続けた。

「冬至祭りまでは、ここにいたい……」

「雨星」

「お願いだ。紅雪と、一緒に祭りを回ろうって、約束したんだ。その時に、ちゃんとお別れを言うから、だから……」

 季潤は眉を険しくして何かを言おうとしたが、雨星のしおれた様子を見つめたのち、観念した様子でため息をついた。

「……わかったよ。冬至祭りまでだな。ただし、何かあればすぐに……」

「わかってる。その時は、すぐに町を出るから」

 季潤は苦笑した。

「さあ、食事にしよう。着替えてきなさい」

 わたしは外の様子を見てくる、と、季潤は立ち上がる。

 雨星もまた立ち上がろうとして、ひどく体が強張っていることに気がついた。

 怖かったのだ。ただひたすらに。季潤について、外の様子を見に行く勇気は、とてもじゃないが湧いては来なかった。霜飛が死んでいたとしても、生きていたとしても、どちらであろうと怖かった。今さらながらに、あの男があらわれなければ自分は死んでいたのだ、という実感が、足先から氷のような冷たさで這い上がってきた。

(わたしは、助けられたのだろうか?)

 そう思うには、あの男の気配は剣呑だった。

 雨星はおのれの肩を抱き、火の前でうずくまったのだった。


               **


「───どこへ行っていた」

 突如発せられた、理生(りお)の鋭い刃のような声に、(けい)は顔を上げた。

 見れば、部屋の扉が音もなく開かれ、ちょうど一人の男が入ってくるところだった。

 長く伸ばした黒髪を、中王国風に一つに結わえている。その髪と同じ漆黒の瞳に輝きは乏しく、咎めるようにかけられた声にも、まったく揺るがない。

 男はやはり、物音を立てずに慶の前を通り過ぎていったが、かすかに鳴った(つば)の音で、帯刀していることがわかった。

「答えろ」

 理生が再度問う。

 男───冬来(ふゆき)は、窓際に腰掛けると、ようやく口を開いた。

「偵察だ」

(くだん)の家ですか?」

 ピリつく二人の間を取り持つように、慶が口を挟む。

 しかし冬来は、ああ、とうなずくだけで、一人で偵察に出たわけも、その結果がどうであったかも話し出そうとはしなかった。

 その態度にまた理生が、つっかからないまでも、聞こえよがしに大きく舌打ちをする。

 すると、ずっと部屋の隅で貧乏ゆすりをしていた維人(いひと)が、もう我慢ならないといった様子で立ち上がった。

「おい、理生。隊長にその口のきき方は何だ。態度を改めろ。以前から思っていたが、おまえの言動や行動は目に余るものがある。本国に報告して、送り返してやってもいいんだぞ!」

 理生は、息巻く維人を鼻で笑った。

 肩にかかる一つに編んだ赤毛を、後ろへと手で払う。

「やれるものならやってみろ。おまえにそんな権限などないくせに」

「この……っ!」

「維人、よせ」

 その冬来の声に、今にも理生の胸ぐらをつかもうとしていた維人は、ぴたりと動きを止めた。

 四人の男たちの中ではもっとも髪が短く、自身の性根をあらわすかのように、肩ほどでまっすぐに切り揃えられたそれを揺らしながら、維人は冬来を振り返った。

「はい……」

 非常にしぶしぶといった様子で理生から離れる。

 しかし目線ばかりは外さずに、彼をにらみ続けていたが、一方で理生のほうはすでに維人への興味を失い、窓の外を眺めながら大あくびをしていた。その態度が、ますます維人の癪に障ることを承知の上で。

 再び喧嘩が始まるのを予感して、そうなる前に、慶は口を開いた。

「それで───決行は、すぐにでも?」

 三人の部下の目線を受けて、冬来は顔を上げた。

「目立たない日を選ぶ」

「目立たない日?何それ」

 冬来の言葉に、ぷっと吹き出したのは理生だ。

「殺しに目立たない日なんてあんの?」

 なあ、と、わざとらしく維人を見ながら問いを投げる。あからさまな挑発だ。だが維人は額に青筋を立て、「黙れ……!」と理生をにらみつけた。

 維人は、冬来を敬愛している。心酔している、と言ってもいい。

 冬来は、先代の女王から今の女王へと唯一引き継がれた山箭(さんや)であり、その実力は折り紙付きである。慶も維人も、もちろん理生も、彼から指導を受けた経験がある。そんな彼の命令に、一も二もなく従うのはまず維人であり、大概の場合、理生が後からそれをあげつらうのだ。

 慶はため息をついて、

冬至祭(とうじまつ)りですね」

 と告げた。

 維人が止まり、「祭り?」とつぶやく。

「ああ。この国には、冬至を含めて数日間、祭りを行う風習がある。その期間は、死者があの世から帰ってくると言われ、死者が紛れてもそれとわからないよう、祭りに参加する者は面布(めんぷ)をつけなければならないんだ」

「面布を」

 なるほど、と維人はうなずいた。

「怪しまれず顔を隠すことができて、人出も多いから動きやすい。まさに、もってこいの日ですね!」

「祭りねえ……」

 理生は皮肉っぽく笑った。

「日を選ぶ必要性を、おれはあまり感じないけどな。そこまで慎重になる理由がわからない。子供一人、殺すだけだろ?まあ、父親を生け捕りにしろっていうのはちと面倒だが、長居はせずに終わらせてしまったほうが、まだ危険はないと思うね」

「……!」

 維人は反論しようとして、歯噛みした。

 慶もまた珍しく、理生のその意見に賛成だった。そこまで慎重にならなくてもよいのでは、という点で。だが───逆に言えば、それほどまでに慎重を期さねばならないほど、重要な任務であるということなのかもしれない。

(子供一人を殺すだけ、か……)

「それだけ、失敗が許されない任務だということだろう」

 慶が助け船を出すと、維人は、それ見たことか、といった顔で理生を見た。

「おまえは、いつもいい加減すぎるんだよ!」

「クソ真面目よりはマシだね」

「もっと敬意を払えと言っている!」

「おまえは過払いなんだよ、うっとおしい」

「この……!」

 呆れつつ、再び二人の間に割って入ろうとしたその時、

「慶」

 と冬来が呼んだ。

 静かな声音だったが、二人を黙らせるには十分な迫力があった。

「はい」

「おまえと維人で、あの家を見張れ」

「わかりました」

 維人はぱっと顔を明るくして、「はい!」とうなずいた。

「冬至祭りの夜に決行する。変更はない。これは、女王陛下のご命令である」

「はい」

 冬来は今一度、全員の顔をぐるりと見回し、言い放った。

「───『雨星』を殺せ」


               **


(雨星が仕事を休むなんて……)

 珍しいこともあるものだ、と紅雪は思った。

 縫殿からの帰り道───ここ数日は、一人である。誰よりも刺繍が好きな彼が、何日も仕事を休むとなれば、相当な体調不良なのだろう。本当ならお見舞いにでも行ってやりたいところなのだが、あいにく、紅雪には家の手伝いがあった。

 紅雪の両親は、宿屋兼食堂を営んでいる。

 だが弟妹たちはまだ小さく、祖父母は高齢だ。紅雪は縫殿の仕事が終わった後、夕食時の食堂の仕事を手伝わねばならず、お見舞いに行こうにもその暇がないのであった。

(遅くなってしまったわ。早く帰らないと)

 紅雪は重い荷物を抱え直しながら、足を早めた。帰り道の途中、知り合いの農家の女に呼び止められ、立ち話をした後、一抱えもの野菜をおすそ分けされてしまったのである。

 飾り提灯の赤々とした光に照らされながら、大通りを行く。

 均等に並ぶ建物の柱が、飴色に輝いて見えた。

 とうとう腕がしびれてきた頃、ようやく見慣れた門が見えてきたことに安堵し───だが、紅雪は眉をひそめた。

 門の前で、数人の男たちが言い争っていたのである。

 いや、どちらかと言うと、二人が一人に詰め寄っている……そういった様子だった。

 居丈高な二人組は、青鈍色の衣を着て、長刀を下げていた。この町の衛士だ。

 詰め寄られている一人のほうはというと、苦笑いを浮かべながら、のらりくらりと、彼らをかわしているような雰囲気である。着ている衣は商人風。一つに編んだ赤毛には、見覚えがあった。

「……あの!」

 紅雪は、野菜の入ったかごをドンと地面に置いた。

 その音に、衛士二人は振り返った。若いほうが紅雪の顔を見て、「ああ」という顔をする。

「そこの宿屋の娘ですけど、どうかしたんですか?」

「何でもない。さっさと行け」

 年長のほうの衛士は顔をしかめ、紅雪を追い払うかのような仕草をする。小娘がでしゃばることをよく思っていないようだった。

「その人が何かしたの?うちの前で騒ぎを起こされると、迷惑なんですけど」

「うるさい。邪魔をするな」

「もうやめましょう」

 紅雪を押しのけようとした手を留めて、若いほうの衛士が言った。

「騒がしくして、すまない。先ごろ、町外れで(ぞく)が出てね。人が怪我をしたんだ。見慣れない格好をしていたと言うから、外国人に声をかけていたんだが……この人は、きみの宿の客なのかな?」

「そうです」

「そうか。なるほどね」

 衛士たちは、なおもちらちらと赤毛の男に目をやりつつも、それ以上は何も言わずに去っていった。紅雪は、ほうと息をついた。

(賊って……)

 縫殿でも噂になっていた、あの件だろう。

 怪我をした人というのは、霜飛だ。大怪我を負ったそうだが、一命は取り留めたという話だった。紅雪はそれを聞いて、バチが当たったのだ、と思った。霜飛は、雨星を女の子だと思い込み、迷惑を顧みず執拗に言い寄っていた男である。それ以前に、女を見下すような態度が多い、嫌な男だったのだ。

(いい気味よ)

「ありがとう」

 声をかけられ、紅雪ははっとした。

「おれをかばってくれたんだよね?」

(外国人……)

 衛士が言っていたとおり、近くで見ればそれとわかる、彼は異国の人だった。

 鮮やかな赤い髪に、緑の目。中王国は大陸から飛び出た半島にあり、北側の新賜と、南側の南方諸国に挟まれている。彼の容貌は、その南方諸国の人間に特有のものに見えた。

「いえ、まあ」

 わずかに染まった頬を隠すように、紅雪は、よろめきながらかごを抱え直した。

「うちのお客さんですから……」

「持つよ」

 ふと重さが消え、気がついた時には、かごは赤毛の男の手にあった。

 彼は片手で軽々とそれを持ち上げ、肩に負うと、びっくりしている紅雪に笑いかけた。

「名前は?」

「へ?」

「名前」

 きみの、と男が言う。

「紅雪です」

 ふうん、と男はつぶやき、

「おれは、理生」

 短く名乗った。

 理生はこうして話してみると、口調や仕草が思っていたよりも幼かった。遠目には二十代くらいだと思っていたが、おそらく十代かそこら、同年代だろう。

「で、これはどこに持っていけばいいの」

「あ。ごめんなさい。持たせてしまって」

「別にいいよ」

 母屋(おもや)の厨房にそのまま持っていこうと思っていたのだが、やめた。客に荷物を持たせているところなどを母親に見つかれば、こっぴどく叱られるに違いないからだ。母屋をぐるりと回り、自宅になっている平屋のほうへと向かう。

 理生を招き入れ、かまどのそばに置いておいてくれるよう頼んだ。

 その間に、紅雪は灯台に火を入れた。

「このあたりでいい?」

「ええ。ありがとう」

 どさりとかごを置く音が、静かな家の中に大きく響く。

 紅雪は、どこか落ち着かない心地がした。不思議だった。雨星と二人でいても、このように静寂に落ち着かなくなることなど、絶対にないというのに。

「いい家だ」

 理生がぽつりと言った。

 家人(かじん)が皆忙しく、子供も多いため、片付けもままならない荒れた家を見てそんなことを言うものだから、紅雪はぷっと笑ってしまった。

「汚い家よ。なかなか片付かなくて」

「いい家だよ。帰りたくなるから」

 そうつぶやく横顔が、笑っているのにどことなく物悲しくて、紅雪は思わずじっと見つめてしまった。その視線に気づいた理生は、「おれは、ブリシェの出身でね」と軽い調子で言う。

「故郷も、家もなくして、こんな仕事をしてる」

(こんな仕事?)

 身なりは商人風であるから、商人だと思っていたが、違うのだろうか。

 ブリシェとは、中王国の領土となっている南方諸国の一つ、最も北に位置する国である。そうなったのも、さほど昔の話ではない。おそらく理生は、その戦に際して、故郷を失うこととなった人間の一人なのだろう。

 理生は、この話を続けたいとは思っていないようだった。だが紅雪は、もう少し彼と話をしたいと思った。もう少しだけでいい、彼のことを知りたかった。ゆえに、

「冬至祭り……」

 ぽつりと、言葉は口をついて出た。

「え?」

「ええと、そう。もうすぐお祭りがあるの。冬至祭り。もちろん知ってるでしょうけど……あなたも、お祭りを回ったりする?もしそうなら───」

 その時だった。

 こちらを振り向いた理生の目に、紅雪は射すくめられた。

 息をするのさえつかの間忘れ、炯々(けいけい)と光る彼の目を、見つめ返すことしかできなかった。先ほどまでの柔らかな雰囲気とは、まるで違う。別人のようだった。

「理生……?」

「───冬至祭りには、行くな」

「え?」

 理生は音もなく紅雪に近づき、立ちすくむ彼女の髪の一房をつかんだ。

 軽くそれを手繰り寄せ、耳元で、

「行かないほうがいい。死にたくなければ」

 低く続けた。

 あたたかな吐息が耳朶(じだ)に触れ、紅雪はぱっと耳を押さえてうつむいた。

 ややあって、言われた意味に気づき、

「それってどういう───」

 顔を上げた紅雪の目に入ったのは、がらんどうの部屋だった。

(え?)

 誰もいない。

 灯台の火がかすかに揺れるだけで、音もなく、一瞬にして、理生は姿を消していた。

(何?)

 わけがわからない。

 脅し───という言葉が頭に浮かぶ。そう、あれは、脅しだった。冬至祭りに行くな、さもなくば、何か悪いことが起こるぞ、という……。

(でも)

 なぜだろう。絶対に脅しだ、と言い切れないのは。

 かすかに感じられた、こちらの身を案じるような響きのわけは?

 紅雪はしばし、開け放したままの扉を、その向こうの夕闇を、じっと見続けたのだった。

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