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二話 後悔

 どれほど走ったか。

 そろそろ足が限界に近づいてきたので歩きに切り替えた。荒れた呼吸を整えながらゆっくりと歩く。

 ジメッとした風が肌を舐めていった。朝なのに薄暗いのも相まって気味が悪く、声が漏れそうになる。

 走っていた時は感じなかったが、いざ立ち止まると──この静けさが、恐ろしく感じられた。


「本当に……大丈夫かな……」


 進むたびにそんな不安がよぎる。

 どれだけ時間が経ったかも分からない。脚は疲労によってか棒のようになって、感覚が薄い。

 それでも、なんとか森と呼べる場所までやってきた。

 ぎりぎり太陽光が届く薄暗い空間。

 不気味さが増したが、最初ほどの恐怖はなかった。


「ちょっと休憩……」


 動かし続けた足を止めようとしたその時だった。

 がさッ、と、明らかに僕以外の何かが落ち葉を踏む音。

 しかも一つではない。複数の足音が、こちらへ近づいてくる。


 反射的に茂みに身を隠し、息を殺す。


 それは前から聞こえてくる。それも1つではなく複数の音だ。

 息を殺してその足音が過ぎ去っていくのをただひたすらに待つ。


「ぎゃあ、ぎゃぅらぁ」


 聞いた瞬間、背筋が凍った。

 ゴブリン──見たことはないが、声だけで分かる。

 凶暴で、残酷で、いたぶるのが好きだと教わった。

 幸い、足音は僕に気付く事なく過ぎ去っていった。


「ふぅ……」


 少しして、詰まった息を吐いて座り込む。

 こんな所で死ぬ訳にはいかない。もしこんなところでやられたらまた皆の笑い者になるに違いない。まだ、まだ──


「ぐぁるゥ゙」


 ──声が、聞こえた。

 それは前でも横でもなく、真後ろから発せられたものであった。


 反射的に振り返った僕は、それが失敗であったとすぐに後悔することになる。


 ゴリッと、自分の身体から聞いた事もない音が鳴った。

 体感で一メートルは飛んだと思う。転がった末に仰向けに倒れた僕は、視界がふわふわと明滅し、まともに息が出来ない状態に陥る。何が起きたのかすらも把握する事が出来なかった。


「ぐぎゃ、ギャギャ」


 聞いていて不快な音──いや、これは声だ。明らかに人間ではないそれは、機嫌が良さそうに響いた。

 姿はぼやけていてよく見えない。しかし大量の汗と共に一つの答えが脳内で何度も何度も繰り返される。


 逃げろ。


 早く浅い呼吸を何度も繰り返しながら僕は地を這った。

 立ち上がる事は出来ない。いずれにせよ、慣れない運動により限界を迎えた脚では立てたとしても走る事は叶わないだろう。


「逃げ……なきゃ……」


 だからこれは、必然の結果であったのだ。

 突如として右脚のふくらはぎに激痛が走った。

 考えるまでもなかった。

 踏まれたのだ。

 


「ぐ、ああぁぁああぁぁぁぁああああァァァ!?」


 あまりの痛さに声を抑えきれず、僕の情けない叫び声が森の中に響き渡った。

 息ができない。痛い。息が。痛い。いたいイタイイタイいたい痛いイタイ!


 何度も気絶しかける。

 しかし右脚から伝わる激痛によって無理やり覚醒させられてしまう。


 ――嫌だ。


 死にたくない。生きたい。

 自分がいまよだれを垂らしているのか叫んでいるのかはたまたすでに気絶しているのかそれすらも分からなくなってきた。


 ぼやける視界。そこにチカチカと光が飛ぶ。

 そろそろ死ぬんだ。

 直感で理解した。


 そんな時、僕の手に何かが触れた感触があった。襲い来る激痛に耐えながら、反射的にそれを握る。


 それは、硬く、重かった。

 丸い棒のような感触だ。

 

 そうだ、立ち上がることは出来なくていい。仰向けで、この棒のようなもので殴ってやればいいんだ。


 どうせ殺されるんだ。最後に一矢報いてやる。


 いつもの僕にはない思考がよぎり、その時だけは痛みなんてものは感じる事も無かった。

 不思議と目が覚めてくる。

 心臓がバクリと大きく脈打つ。


「──おおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉおおォオオオオォォォオオオォオオォオッ!」


 身体を仰向けに変えると同時に、僕は手に持つ武器を横に振るってやった。

 鈍い音が聞こえた。手による感触は一切感じられなかったが、当たったことは確かなようである。


 その証拠に、苦しむ様な声が耳に入ってきたのだ。


「ギャアぅるァ……」


 しかし倒せるほど威力は無かったみたいだ。

 当たり前だ。ずっと引きこもっていた僕の身体にそんな筋肉なんてあるはずもない。

 攻撃された事に腹を立てたのかは分からないが、明らかに唸り声からは怒りを感じ取れる。


 死んだ。


 そう頭をよぎった瞬間に、脇腹に凄まじい衝撃が走った。吹き飛んだ僕は無様にもゴロゴロと地面を転がる。


 もう僕の身体には、微塵の力すら残っていなかったようだ。

 呼吸は出来ているのだろうか。痛みはないが、頭がだんだんとぼーっとしてくる。

 僕の目にはもはや何も映ることは無かった。


 魔力があれば、変わったのだろうか。

 魔法が使えたら、変わったのだろうか。


 そうだ。なんで僕ばかりがこんな目に合うんだ。少しばかり幸運が振りかかってもいいじゃないか。


 そうだ。そうだ。

 僕は悪くない。悪いのは全部ぜんぶ、両親(アイツら)じゃないか。僕は悪くないじゃないか。僕はただ生まれてきただけじゃないか。ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな──


 ──違う。


 母だって望んで僕みたいな奴を産んだわけじゃない。僕がこうなることがわかっていたら、産むことは無かったはずだ。


 そうだ──悪いのは僕じゃないか。

 何の努力もせず、魔力がないから仕方が無いと、この現実に甘えていたのは僕の方だ。


 ──僕が強ければ──


 不快な音がなったような気がした。

 それと同時に深い深い暗闇へと僕は誘われ、意識を落とした。

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