十六話 帰還、絶望
村へ戻る道のりは短いはずだった。
足は前に出る。
なのに、心だけが遅れてついてくる。
僕は知っていた筈だ。
でも、帰れば何かが残っていると思いたかった。
力を持たない僕は笑われた。
力を持ちすぎた“私”は恐れられた。
違うようで、同じだ。
人は、都合の悪いものを捨てる。
答えはない。
風の音だけが、村の方から流れてくる。
一歩。
また一歩。
そして、立ち止まった。
喉の奥が先に拒んだ。
「……どうすればよかった」
その言葉は、誰に向けたものだったのか。
自分自身か。
それとも――もう、ここにはいない誰かか。
鼻を刺す焦げた匂いが、答えを返した。
血の臭い。
焼けた木材の匂い。
熱を孕んだ空気。
視界の先には、ただ炎があった。
胸の奥が、パチリと嫌な音を立てる。
喉が乾く。心臓が、やけに速く打つ。
――嘘だ。
何度も自分に言い聞かせる。
きっと偶然だ。
きっと、別の場所だ。
足が、勝手に止まる。
進めない。進みたくない。
だが、風が煙を押し流した瞬間――否応なく理解させられた。
そこは、かつて僕が暮らしていた村だった。
家屋は崩れ、黒く焼け焦げ、原型を留めていない。
道だった場所には瓦礫が散らばり、あちこちに炎の名残が燻っている。
かつて母と歩いた道も、友と遊んだ広場も、すべてが灰に還ろうとしていた。
「……何が起きた……」
声が、震えた。
返事はない。
あるのは転がる死体だけだ。
風に揺れる髪。
見開かれたまま閉じない瞳。
手を伸ばしたまま硬直した腕。
その中には、よく知る顔があった。
僕を笑った奴ら。
石を投げてきた奴ら。
憎しみも、復讐心も、今は湧かなかった。
思考が、すっと冷える。
今の私は僕なのか。
それとも私なのか。
そんなことはどうでもいい。
母さんは。
父さんは。
生きている者は、いるのか。
気配を探る。
五感を限界まで研ぎ澄ませる。
炎と血の臭いが、全てを塗り潰している。
木が弾ける音。
燃え残りが崩れる音。
風が煙を運ぶ音。
それ以外――何も聞こえない。
――この村に、生きている人間はいない。
「……ふざけるな」
喉の奥から声が漏れた。
拳が、震える。
希望は、どこにもない。
「ふざけるなッ!!」
叫びが空へ吸い込まれていく。
誰にも届かない。誰も答えない。
何が原因かなんて、どうでもよかった。
考える余裕もなかった。
どうすればいい。
ここまで強くなったんだ。
ゴブリンを三体同時でも倒せるようになった。
あの鹿の魔物だって、蛙の魔物だって倒した。
いまの僕なら、この村の誰よりも強い自信があった。
それを――見せたかった。
魔力がなくても、ここまでやれるんだと。
胸を張って、帰りたかった。
本当は毒のことなんて、どうでもよかった。
村に帰るための口実に過ぎなかった。
ただこれを――誇りたかっただけだったのに。
母に認めてほしかった。
父に驚いてほしかった。
村の連中に見返したかった。
怒りが胸の奥で膨れ上がる。
逃げ場も、行き場もなく、ただ溜まり続ける。
その時だった。
空に気配を感じた。
見上げると、煙の向こうに巨大な影が見える。
大きな翼を広げた魔物。
その姿は、炎と煙の中でもはっきりと浮かび上がっていた。
――お前か。
確信はない。
だが、たとえ違っていたとしても、いまの 僕には関係なかった。
ただ怒りをぶつける相手が欲しかった。
そんな自分に、さらに嫌気が差す。
それでも止まらなかった。
木の棒を握る。
握り慣れた、唯一の得物。
ささくれ立った木の感触が、手のひらに食い込む。
「――」
声にならない何かが喉を通り抜ける。
風が背を押す。
僕は得物を振るった。
斬撃が空を裂き、煙を切り裂き、魔物へと届く。
それは確かに当たった。
だが、浅い。
魔物の目と、視線が交わる。
鷹のような鋭い眼光。
小さな頭に似合わぬ巨大な胴。
四つの足。
黄金の翼。
威圧感が肌を刺す。
呼吸が、重くなる。
この森の頂点。
圧倒的な存在。
それを直接脳に叩きつけられたようだった。
明らかに今までの魔物とは格が違う。
それでも――今はただ、八つ当たりする相手が欲しかった。
魔物が口を開く。
笛のような甲高い音が空気を震わせる。
遠く離れているのに、肌が痛む。鼓膜が悲鳴を上げる。
「ぐっ……」
蛙の毒がまだ抜けていない。
身体がふらつく。視界が揺れる。
「動けば……問題ない。あとは……」
奴を落とす手段を考える。
先ほどの一撃でわかった。
この刃では届かない。
風が弱く、距離もある。
致命傷を与えるには、もっと強い技が必要だ。
「思い出せ……」
戦いながらでいい。
僕の中に残る"私"の記憶と感覚を掘り起こせ。
たとえ、僕と私の境界が曖昧になろうとも。
魔物が鳴く。
大きく羽ばたき、煙を突き破り、僕の目の前で停止する。
空気が重い。
足元の地面が、わずかに震えている。
自分の身の丈以上の相手だと、そう"私"が告げている。
しかし――僕には逃げる選択肢など無かった。
急展開ですみません。
流石にヒロイン未登場でダラダラと長く書きすぎたので、本来のペースよりも短縮してお届けしています。




