十一話 覚悟
「じゅう……」
プルプルと震える腕で無理やり体を持ち上げ、また下げる。
汗が目に入る。腕が悲鳴を上げる。それでも止めない。
今の僕の姿を村の人たちが──母が見たらどう思うだろう。
馬鹿にされるだろうか。哀れまれるだろうか。
それでもいい。母が認めてくれるなら、それでいい。
母はそういう人だった。
母を追い込んだ村のことなんて、気にするな。
いざ何かをされても守れるくらいには強くなるんだ。その為に、見た目からして強くならなければ。
「さん……じゅう……」
腕が震える。腹筋にももう力が入らない。体は持ち上がりそうで持ち上がらず、その場で停滞する。
「……く……ぅ……ッ……!」
もうだめだ。上がらない。
どうやらこれが今の僕の限界らしい。
筋トレなんてしてこなかったヒョロヒョロの身体で三十回も腕立て伏せができたんだ。上出来だと言ってもいい。
──本当に?
魔力のない僕にできる限界なんてたかが知れているだろう。ここで限界を超えなければ凡人で留まる他ない。
──力ではない。流れだ。
その声は、僕のものではない。
もっと深く、もっと遠く──魂の奥底から響いてくる。
「さん……じゅう……いち……ッ……!」
ブチブチと、筋肉から鳴ってはいけない音が聞こえてくる。
とっくに限界を迎えているため呼吸すらままならない。それでも灼熱のように熱くなる腕と腹を、更に追い込んでいく。
何が僕をそんなに駆り立てるのかは分からない。皆を見返したい、母に認めてもらいたい──そういった気持ちはもちろんあるものの、なんだかそれだけではないような気がする。
理由はわからないけど、心の底で常に燃え続ける言葉がある。
──強くならねば。
『私』の声に駆り立てられるように、僕は筋肉を鍛える修練をただがむしゃらに続けた。
腕、腹、足、思いつく限りの場所を鍛え上げた。何度も何度も限界を迎え、そのたびに強くなれと『私』が訴えかけてきた。
身体が動かなくなれば瞑想し、痛みが収まれば修練、また瞑想、修練──どれほど経っただろうか。
いつの間にか空を支配していた光はなくなっており、あたり一帯は何も見えないほどに暗くなっていた。
水を取ることも忘れていたため、乾ききった喉を感じながら僕はそっと息を吐いた。
たった数日で身体は劇的に変化しない。しかし確実に筋肉がついているのは確かだ。
やはり瞑想による治癒力が大きいのだろう。腕も若干だが太くなり、腹も硬くなったような気もする。
今なら、『私』の素振り程度ならば真似できるかもしれない。
僕は川の水を少し口に含み、喉に流す。それが胃にたどり着くころ、今更気づいたのか空っぽのお腹がみっともなく鳴る。
その時だった。
風向きが変わる。
鼻をつく悪臭。
「一……二……」
視界を閉じ、聴覚に感覚を研ぎ澄ます。風から流れてくる悪臭が脳に届き、警鐘を鳴らし始める。
数は三匹。この臭い、そして聞こえる息遣い、落ち葉を踏みしめる音から、僕の背後から少し先にいる。
──ゴブリン。
僕の足をぐちゃぐちゃにし、玩具のように弄んでくれた魔物。
今ではわかる。彼らは僕のことを警戒している。奴らはまだ僕が気付いていることを知らないためか、そこから動く気配はない。
不思議と恐怖はない。あの鹿型の魔物と戦ったからか、それとも筋肉を鍛えたことによる自尊心からか。
数は三。
最初は一体にすら勝てる見込みがなかった。
でも今は不思議と──負ける気がしない。
しかし今、僕の手には得物がない。
後方、二十歩ほど歩いた先の木に立てかけている。
今振り返れば僕がゴブリンを視認することになり、三体と正面からぶつかり合わなければならない。
しかし逃げるのも悪手だ。ほかの魔物に遭遇する危険性があるほか、夜なので足場の悪いここで逃げられるとは思えない。ゴブリンたちには土地勘がある。逃げても追いつめられるのは目に見えている。
「すぅー……はぁ……」
多くの空気を取り込み、それを外へと吐き出す。
僕に魔力はない。だから純粋な力のみで戦わなければならない。
殺されかけた時の記憶がフラッシュバックし、僕の心を大きく乱す。恐怖はないが得物無しで勝てるのかという『僕』の不安。戦うときにおいてそれは邪魔な感情であるが、どうしてもぬぐい切ることができない。
「覚悟を決めろ」
──それは、意識せず漏れた言葉。
私からの激励のようだった。
その時──『私』の記憶が、流れ込んできた。
※
それはある男との出会いだった。
『僕と手合わせしてくれませんか?』
彼は自分の作り上げた武術を試したかったようだった。
私は答えた。
『私は刀以外に興味ない。練習相手にはなれん』
しかし彼は言った。
『使っていいですよ。その得物』
その眼に驕りはない。真剣な眼だった。
『僕が勝ったら、この武術は本物だと知れ渡る。これ以上贅沢なことはないでしょう』
私は了承した。
こんな真っすぐな彼を殺してしまうことを惜しみながら、刀を使って彼と対峙した。
結果は──私の惨敗だった。
その身体遣い、足遣い、その間合い。全てが洗練されていた。
彼の動きには力を感じず、まるで私の力が全て自分に返ってきているような──妙な武術だった。
私は彼に謝罪した。そして、最後に問いかけた。
『これに、名はあるか?』
汗一つかいていない彼は──ただ静かに、笑った。
※
記憶が途切れる。
気づけば、僕の身体は──動き始めていた。




