十話 休息
歩き始めてから、どれくらい経っただろう。
さっきまで曖昧だった“僕”と“私”の境界は、今でははっきりしている。
意識が混ざり合うあの気持ち悪さも消え、身体の調子も落ち着いてきた。
「……もうあんな体験はこりごりだ」
別に悪いことじゃない。
あれがなければ僕は死んでいたんだ。
『私』が助けてくれた……という考えでいいのかな。
けれど──
僕自身が強くならなければ意味がない。
だから僕は強くならなければならない。
せめて、さっきの『私』の動きを“真似る”くらいはできないと。
何も変えられないまま戻るなんて、絶対に嫌だ。
そんなことを考えながら歩いていると──
耳に、はっきりとした水音が届いた。
「……川だ」
自然と足が速くなる。
「着いた……」
目の前には澄んだ川が流れていた。
膝ほどの深さで、流れも穏やか。
ここなら安全に水を飲めるし、身体も洗える。
「明るいうちに着いて良かった……」
安堵が全身を包み、僕はその場にへたり込んだ。
喉の渇きが一気に意識へ浮かび上がる。
水をすくって口に含む。
「……美味しい」
味なんてないと思っていたのに、甘い。
乾いた喉を通るだけで、身体が喜んでいるのが分かる。
二口、三口と飲み、ようやく落ち着いたところで顔を上げた。
「服と身体も洗わないと」
ボロボロの服とズボンを脱ぎ、川辺の石に腰を下ろす。
水に触れると、ようやく“休息”という感覚が戻ってきた。
瞑想を始めてから、ずっと気を張り続けていた。
まともに眠っていないのもあるだろう。
その反動が今になって押し寄せてくる。
「周囲に魔物の気配もないし……今は少し休んでもいいか」
溜まった息を吐き出した。
気配もだいぶ分かるようになった。
まだ『私』の影響が残っているからだろう。
ここまで無事だったのも、今こうして休めるのも、そのおかげだ。
服を洗いながら、ふと呟く。
「……でも、まだまだ弱い」
鹿型の魔物との戦いで痛感した。
僕の身体は、『私』の技に耐えられない。
木の棒だったから、という言い訳はできる。
けれどナイフを持っていたとしても、結果は変わらなかっただろう。
完全に力負けしていた。
そして──
『私』の力に追いつけず、鼻血を垂らして倒れたあの瞬間。
もしあの時、別の魔物が来ていたら僕は死んでいた。
力も、精神も、技術も、何もかも足りない。
鹿の角を斬った感覚は、まだ手に残っている。
だが分かる。
あれは今の僕では到底辿り着けない境地だ。
「よし」
洗い終えた服とズボンを絞り、近くの低木に掛ける。
「休んでる暇はないな」
水はある。
汗をかいても補給できる。
食料は……まあ、なんとかする。
僕は平らな岩場を見つけ、うつ伏せになる。
両手を地面につき、腕に力を込める。
「一……二……」
筋肉なんてほとんどない身体だ。
精神を鍛えるにも、それを支える“自信”──筋肉が必要だ。
幸い、僕には瞑想がある。
『私』には遠く及ばないが、
瞑想で身体の回復を早められるなら、鍛錬の効率は上がる。
強くなるために、今できることを全部やる。
僕は腕を震わせながら、もう一度身体を持ち上げた。




